仏間で線香を上げてから、客間に通された。久しぶりだから、従妹達とゆっくり話でもしていくようにとの、伯母の計らいである。
姑の実家、つまり旦那の祖父母の家であるが、わたしがここに来るのは初めてである。実家といっても姑は養女であったので、養父母が亡くなってからは、姑も旦那もあまりここを訪れることはない。しかし、旦那と従妹はそれなりに仲が良かったらしい。従妹は旦那を兄さんと呼ぶ。
床の間で、咲き始めの椿が色づいている。座っていると、旦那の従妹が酒の用意をしてきてくれた。彼女と屋敷の前に佇っていた男も一緒である。
彼は、少し前から彼女と付き合い始めた男性だということだった。ここの酒に惹かれて購いに来たのがきっかけで、彼女と親密になったそうだ。
「昔、一度だけここの酒を呑んだことがあるんですが、その味が忘れられなくて」
この家によく出入りしていると思しき青年は、細い眼を更に細めて云う。旦那の従妹は、彼と旦那に酒を酌ぎながら、嬉しそうに微笑んだ。
「何年も探していたんですって」
「そうなんです」
「この辺りの方ではないんですか?」
杯に口をつけながら、旦那が訊く。わたしも呑みたいところであるが、帰りの運転をする人間がいなくなるのでやめておいた。
青年は曖昧に頷いてから、出身はこの辺りなのだと云った。
「この辺りに居た頃、ここに一度だけ訪れたことはあったのですが、ずっと離れていたので舗の場処などはよく憶えていなくて。これがなかったら見つけられなかったと思います」
彼は一枚板の座卓の上に、小さな金物を置いた。酒瓶の蓋である。かなり錆びてはいるが、この舗の屋号が見て取れる。
「来た時に、この舗の男の子が呉れたと思っていたのですが、この家には男の子は居ないって聞いたから、違ったみたいですね」
「そうですね」
旦那は蓋を返しながら同意する。青年は、闊達な笑みを浮かべてそれを受け取った。
「ありがとう。貴方に逢えて良かった」
街灯が、煌々と路を照らしている。自分達の影を追うように、わたし達は駐車場への道を歩く。それぞれ一本ずつ、土産に貰った酒瓶を抱いている。
「不味いな・・・・・・」
旦那がなにやら難しい顔で呟いた。楽天的な彼にしては珍しい。
「何が?」
「あの男だよ。ありゃ、蛇だ」
「蛇? もしかして、あの昔話に出てきた男の子だと思ってるの?」
彼は肯いた。
「あの蓋をあげたの、おれだもん。かくれんぼする前に綺麗だから呉れって云われてあげたんだ」
「違うんじゃない? だって、その時の子は、まだ子供だったんでしょう」
あの青年は、酒の味が忘れられないから、あの舗を探していたと云っていた。一度訪れた時に呑んだ酒の味が。あの少年は、旦那が小さい時に、彼と同じくらいの年の頃だった筈である。酒など呑める筈がない。
「それに、かくれんぼの途中でいなくなっちゃったんだから、お酒なんて口にしていないじゃない」
「それがしっかり呑んでたんだよ。あの後、伯父さんが帰ってきて分かったんだけど、蔵の酒樽が一つ丸ごと空になってたんだ」
「大した上戸ね」
「上戸なんてもんじゃないよ。蔵ごと呑まれなきゃいいけど」
「大丈夫でしょう。蛇ならもう冬眠しなきゃ。それとも、従妹さんが気になる?」
わざと意地悪な声音で訊いてみる。一人っ子の彼のことだ。仲睦まじい二人を見て、妹分を取られたようで寂しくなったのかもしれない。
しかし彼は、きょとんとして云った。
「いや、あの子は蛇好きだからぴったりだと思う。槽で蛇が見つかった時も、飼うって云って、なかなか離さなかったんだ」
血の繋がりはない筈だが、旦那同様、従妹も変わり者であるようだ。
わたしは努めて明るく云った。
「だったらいいじゃない。まだお付き合いしているだけで、結婚すると極まったわけでもないんだし」
「それもそうか。それに、下戸の建てたる蔵はなしって云うもんな」
旦那はすっかり前向きになっている。本当に蛇ならば、こんなことも云っていられないだろうという気がちょっぴりしたが、倖せそうな二人を想い出して、口には出さないでおいた。だいたい、師走に入ろうとしているこの時期に未だ起きているなど、蛇であるはずがない。
駐車場から吹きつけて来る風に、わたしはジャケットの前をしっかりと合わせた。
土産の酒が無くなる頃、旦那の従妹から電話があった。泣きながら、彼が突然いなくなってしまったと云う。
「何処かで寝てるんだよ。啓蟄まで待ってみたら?」
旦那の要らぬ助言に、彼女の激怒する声が聞えたような気がするが、気のせいだろうか。
土産の酒は、蛇が長年探していたというだけあって、非常に美味であった。
了
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