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Nonsense Story

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旧校舎の幽霊 6


 能島に川野先生と話した内容を白状させられ、また手紙を言付けられた。ぼくは断ろうとしたが、例によって赤松のことを引き合いに出され、引き受けざるを得なかった。
 放課後、ぼくは仕方なく、白い封筒を持って英語の準備室に向かった。それまでにも何度か訪ねていったのだが、いつも他の生徒が質問に来ていて、話ができなかったのだ。中には英語以外の質問や相談をしている生徒もいるようだった。川野先生は、ぼくにすまなそうな顔を向けつつ、一人一人の質問に丁寧に答えていた。
 先生は結構な歳なのだろうが、旦那と子供を亡くして独り身でいるせいか、若く見える。生徒と話している姿は、歳の離れたお姉さんのといった感じだ。赤松が憧れるのも無理はない。
 ぼくが準備室のドアを開けると、中には川野先生が一人でいた。先生は、ちょうど良かった、と優しい笑顔を向けてきた。ぼくまで憧れてしまいそうになる。
「あの、実は、また手紙を預かってきたんです。名前は聞けなかったんですけど」
 ぼくは能島に渡された白封筒を差し出した。先生は笑顔を曇らせて、封筒を受け取った。しかし、中を見ようとはしない。代わりに、机の抽斗から同じような封筒を取り出した。昨日ぼくが渡したものだ。中身を取り出して、ぼくに渡す。中を見ろというのだ。
 ぼくは戸惑った。
「いいから見てみて。ただの悪戯だと思うんだけど、少しタチが悪いの」
 懇願するような顔をされ、ぼくは三つ折にされていた紙を開いた。そこには、右上がりの文字でこう記されていた。

   オマエ ノ コドモ ハ アズカッタ

 ぼくは自分の目を疑った。これは脅迫文なのか。でも、それにしては交換条件が書かれていない。では、ただの犯行声明か。だけど、手書きの脅迫状や犯行声明なんて、今どき書く奴がいるだろうか。
 その文字には、書いた人間が、わざと自分の字ではないように見せかけようという意志は感じられなかった。つまり、当人の癖がそのまま滲み出ているような文字なのだ。
「気味が悪いでしょう? 私は何年も前に子供を亡くしているから、子供の形見を盗まれでもしたのかと思って、昨日家中をひっくり返してみたけど、何も盗られてはいなかったの」
 便箋を開いたまま放心しているぼくに、先生が言った。
「それで人違いだと思ったんだけど、また私宛てに手紙を渡されたってことは、やっぱり私へのものなのかしら」
 ぼくは何と答えていいのか分からなかった。能島は何を考えているんだ?
「先生、こっちも見せてもらっていいですか?」
 ぼくが今渡した封筒を指差すと、川野先生は急いで便箋を取り出した。ぼくにもよく見えるように、目線の合う高さに広げてくれる。
 今回の文面はこうだった。

   オマエ ノ コドモ ハ アズカッタ
   カエシテホシケレバ ココニ デンワ シロ

 やはり同じクセのある手書きの文字だ。下に携帯の電話番号が書き記してある。
 ぼくは川野先生に頼んで、この二通の書面を借りることにした。先生は電話をしてみるべきではないかと懸念したが、「また何か、ぼくに預けに来るかもしれないし」と言って思いとどまらせた。
 英語準備室を出る時、先生は心配そうな表情で言った。
「何か分かったら、いつでも連絡して。もし、私へのものでなくても、いくらでも協力するから。あなたも危ないことはしないでね」
 ぼくは数年ぶりに、教師というものに信頼感を覚えた。
 部屋を出ると、赤松が立っていた。不安な面持ちをしている。さっきの川野先生のようだ。
「どうかした?」
「探してたんだ」
「俺を?」
 赤松は頷いた。
「教室に行ったら、クラスの人が川野先生の所に行ったって言うから」
 ぼくは驚いた。赤松がぼくのクラスに来ることは、まずない。余程の用事なのだろう。
 ぼく達は、帰りながら話すことにした。
 ぼくは電車通学をしているのだが、駅と学校の間は自転車を利用している。一方、赤松は学校の近くの祖父母の家に下宿しているため、徒歩での通学だった。帰りが一緒になった時にはいつも二人乗りするのだが、今日はぼくが自転車を押して、並んで歩いた。
 空が赤く染まり始めている。だいぶ日が長くなったね、とどうでもいいことを口にする赤松に、ぼくは言った。
「何か言いたいことがあったんじゃないの?」
 赤松の表情が曇る。彼女にしては珍しく、上を向いて歩いていたのに、また下を向いてしまった。
 なんだか今日は人の表情を曇らせてばかりだ。ぼくは、自分が疫病神にでもなったような気がしてきた。
「うん。あのね、多目的教室でこれ拾ったんだ」
 赤松は、制服のポケットからパスケースのようなものを取り出した。ぼくが受け取って中を開くと、免許証が出てきた。
「先輩のだと思うんだけど、今日は朝会ったきり会えなったから、返せなくて」
 赤松は能島のことを『先輩』と呼ぶ。
 だと思う、じゃなくて、能島の物に間違いないと思っているのだろう。だって、免許証の写真は、どう見ても能島本人の顔だ。
 昨日の朝、彼女が探し物をしているように見えたのは、気のせいではなかったのだ。幽霊は、自分の正体が写っているこのパスケースを探していた。
 免許の取得日は今年になっている。二年前に死んでいたなんて、嘘っぱちもいいところだ。
 生年月日を見ると、本人の言うとおり、ぼく達の2コ上だった。しかし名前が違う。
「能島って、本当は栗田亜湖って名前だったのか・・・・・」
 ぼくの呟きに、赤松が反応した。
「やっぱりその写真、先輩だよね? 何で嘘ついたんだろ」
「さあな」
 二通の書面が頭をかすめたが、赤松には言わないでおこうと思った。あいつを慕っている赤松に、あの文面を見せたくはない。
「それより、なんで能島・・・・じゃなくて、栗田は、あそこにいるんだろうな。もうここの生徒じゃないのに」
 死んでいないなら卒業しているはずだ。なのに、何で制服を着て多目的教室なんかに潜んでるんだ? 何か心残りでもあるのだろうか。
 ぼくがその疑問を口にすると、赤松は少し考えて、答えらしきものを提示してきた。
「心残りなら、お母さんのことだと思う」
「お母さん?」
 赤松は頷いた。ぼそぼそと考えながら話す。
「一度、何で成仏できないの? って訊いたことがあるんだ。そしたら、お母さんに会ってみたいからかもしれないって。先輩、小さい頃にご両親が離婚して、お母さんの顔知らないんだって」
 心残りが生き別れた母親だというのは納得できる理由のような気もするが、それだとあの教室にいる必要はないだろう。
 赤松も、彼女が本物の能島愛子でないことは、薄々気付いていたらしい。自殺した能島愛子の両親は、離婚などしていなかったからだ。
 それにしても、何で成仏できないかを訊くあたりが赤松だ。彼女は続けてこう言った。
「先輩、お母さんに会えたら、成仏しちゃうのかな」
 まだ幽霊だと思っているらしい。いなくなることを危惧しているようなので訂正してやろうかとも思ったが、幻想を壊すのも可哀相なので放っておいた。本当は、単に面白いからかもしれないけど。
「そういえば、能島・・・じゃなくて栗田か。ややこしいな・・・・・・。あいつ、今朝の赤松の態度にショック受けてたぞ」
 ぼくは今朝、赤松がぼく達を避けるように教室へ飛び込んだことを思い出して言った。赤松は慌てた。珍しく顔を上げてぼくを見る。
「あれは、迷惑になると思って」
「分かってるよ。でも、そんな気使う必要ないって言ったろ? それに、あいつは赤松の考えなんて知らないんだから。赤松は自分を過小評価してるから、自分の言動が誰かに影響を及ぼすなんて思ってないかもしれない。けど、身内意外にもおまえの言動に一喜一憂する奴がいるって、少しは考えたら?」
 思わず怒ったような言い方になってしまった。俯いてしまった赤松を見て後悔するが、次に掛けるべき言葉が見付からない。やはり今日のぼくは疫病神だ。
 赤松の言動に一喜一憂する奴。それはぼくだと言ったら、彼女も少しは自分に自信が持てるだろうか。
 そんなこと、死んでも言えないけど。死んだらもっと言えないけど。
 夕方の薄蒼く染まった空気の中、赤松は小さく「ごめん」と呟いた。


つづく



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