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Nonsense Story

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旧校舎の幽霊 8


 自分の机に例の封筒と指輪を置いて、ぼくは迷っていた。川野先生に見せる前に読みたいという衝動が突き上げてくる。
 今日も休憩時間は生徒が押し寄せていたので、栗田からの預かり物を渡すことができないまま、放課後になってしまった。今は職員会議が行われているので、ぼくはそれが終わるのを待っているのだ。
 あれから多目的教室には行っていない。
 封筒を睨みつけて、ぼくは考える。
 栗田亜湖は先生と子供をどうするつもりなんだろう。子供の望みだと言っていたが、本当にそうだろうか。それに、あの川野先生が、生きている子供を平然と死んだと言っているなんて。準備室の机には、幼い子供の写真があった。あれも演技の一部なのか?
 なんでこんなことになってしまったんだろう。最初の手紙を渡してしまったことが悔やまれる。しかし、ぼくが渡さなければ、きっと赤松が渡すことになっていただろう。
 それよりはマシだと自分に言い聞かせて、ぼくは立ち上がった。そろそろ会議が終わる時間だった。
 結局、中身は見なかった。赤松が栗田に言ったという言葉が、ぼくの衝動を抑えていた。
 英語準備室の近くまで行くと、水道のある所で赤松が身をかがめていた。
「まだ残ってたのか」
 後ろから声をかけると、彼女は振り向いた。スカートの裾を掃いながら立ち上がる。
「うん。先輩に会いに行こうかどうしようかって迷ってたら、こんな時間になっちゃって」
 窓の外は、もう暗くなってきている。運動部のかけ声も、ブラスバンドの楽器音も止んでいた。時計の針は、もうすぐ八時がくることを知らせている。
 幽霊の正体を知ってしまったことで、会いづらくなったと赤松は言った。ぼくは、免許証を返したことだけ伝え、赤松に帰るよう促した。今はあいつに会わないほうがいい。
「どうせ、今日はもう帰ってるよ。あいつ、幽霊なんかじゃなかったんだから」
 旧校舎には芸術系の教室があるため、放課後は吹奏楽部や美術部の人間が出入りする。そいつらを警戒してか、栗田亜湖が放課後まであそこにいることは滅多になかった。
「そうだね。今日は諦める。でも、今ちょっと探し物手伝ってるから、帰るのはもう少し後になりそう」
 幽霊ではないことはさすがの赤松も予想していたようで、さらりと受け流していた。ぼくは何気なく訊いた。
「何探してんの?」
「大橋先生の指輪。ここを通ったら、先生が大騒ぎして探してたの。とっても大事な物なんだって」
 そういえば、大橋もいつも指輪を付けている。独身のくせに、結婚指輪のようにそれを外すことはない。
 人がアクセサリー類を付けてたら取り上げるくせに、自分ばっか付けてるからだよ、と思ったが、近くに居そうなので口には出さなかった。
 ぼくは大橋と聞いて、赤松には悪いがさっさと退散することにした。
 英語準備室に入ると、川野先生も大橋の指輪を探していた。まったく大橋は傍迷惑な教師だ。
「あれから何かあった?」
 川野先生は、心底心配といった顔で、ぼくの顔を覗き込んできた。この表情が偽りだなんて信じられない。信じたくないだけかもしれないけど。
 ぼくは最後の封筒を差し出した。
「中はまだ見てません。本人は、人違いじゃないと言ってました。間違いなく川野先生に書いてるって。それに、冗談でもないみたいです」
 先生は複雑な表情で受け取ると、中身を取り出した。
「あの、この指輪、見たことありますか?」
 先生が便箋を開く前に、ぼくは言った。あの指輪を親指と人差し指でつまみ、突き出すようにして見せる。先生はそれを自分の手に取って、少しの間眺めていた。表情がだんだんと変わっていく。
 やっぱり栗田亜湖の言っていたことは本当だったのか。ぼくがそう思い始めた時だった。先生がドアを開け、廊下に向かって叫んだ。
「大橋先生! 無くなった指輪、これじゃないですか?」
 え? 何で大橋なんだ。
「あの、ここ、川野先生の名前が彫ってあるんですけど」
 ぼくは慌てて、指輪の内側を指差した。K.MAMIKOと彫ってあるところだ。川野先生は少し笑った。
「たしかに私もK.MAMIKOだけど、大橋先生の名前もマミコさんなのよ」
「でも、Kは? それに川野先生の指輪と同じじゃあ・・・」
 大橋ならO.MAMIKOのはずだ。川野先生は自分の指輪を外して見せてくれた。
「たしかにデザインは似てるけど、よく見て。私のは、中央の線が鎖状になってるでしょ。それに、内側の旦那様の名前が違うから。大橋先生は昔、ご結婚されていたの。その時の苗字の頭文字がKだったのね」
 たしかに川野先生の指輪の線は鎖状なのに対して、栗田亜湖の指輪の線は、全く飾り気のない直線だ。
「じゃあ、これは・・・・」
「きっと大橋先生の結婚指輪よ。大事だって言ってた意味が分かったわ。先生、離婚なさってもお子さんの写真とか持ち歩いてらっしゃるし、結婚指輪も手放せないでいるのね」
 マジかよ。
 ぼくがあまりの事実に腰を抜かしかけていると、大橋と赤松が準備室に入ってきた。
「先生、指輪あったって?」
「ええ。これじゃありません?」
 期待と不安の入り混じった顔で問いかける大橋に、川野先生が笑顔であの指輪を渡す。
 大橋は一瞬安堵の表情を浮かべたが、すぐに変な顔をした。
「たしかに似てるけど、これ、ちょっと大きいわ」
「でも、ここに先生の名前が彫ってありますよ」
 川野先生は大橋に指輪の内側を見せている。
 その様子を見ていた赤松が、ぼくに耳打ちしてきた。
「あの指輪って、先輩のじゃない?」
 ぼくは何と答えていいのか分からなかった。まさか、その先輩が誘拐した子供の持ち物だなんて、赤松に言えるわけがない。
「これ、ひょっとしたら・・・・」
 指輪の内側を指でさすっていた大橋が、思い出したように声を上げた。川野先生に促されて、ぼくの方を見る。
「これ、あなたが見つけたの? どこで? 何故これを見つけたの?」
 いきなり詰問されて、ぼくは戸惑った。
 何故、川野先生ではなく大橋が動揺しているのかも理解できないし、どこまで話していいのかも分からない。
 大橋の顔をまともに見ることができなくて、ぼくの目は彼女の耳ばかり見ていた。恵比寿様のような広い耳たぶ。栗田亜湖と同じ、珍しいくらいの福耳。
「その指輪、ちょっと見せてください」
 急に横から声がして、白い手が大橋の方へ伸びた。赤松だった。
 赤松は指輪の内側を見て言った。
「大橋先生の名前、マミコさんていうんですか?」
「そうだけど」
 大橋は、わけが分からない、といった様子だった。赤松は少し考えて、もう一つ質問をした。
「ひょっとして、マミコのコは、みずうみの湖っていう字じゃありませんか?」
「そうよ。それがどうかしたの?」
 赤松は言葉に詰まった。しかし、ぼくには彼女の質問の意図が分かった。
 そうか。そうだったんだ。
 川野先生が手にしている便箋のことを思い出し、それをこちらに渡してもらう。
「川野先生、やっぱり人違いみたいです。この手紙、この指輪に心当たりのある人物に宛てたものだって言ってたから。川野先生の指輪とこれが似てたから、犯人が勘違いしてたんだ」
「じゃあ、その手紙は私に・・・・?」
 大橋が震える声でぼくに尋ねる。ぼくの代わりに川野先生が答えた。
「そういうことみたいですね。きっと良くないことが書いてあると思うけど、気をしっかり持ってくださいね」
 やっぱり栗田亜湖は人違いをしていたのだ。この手紙を渡すべき人物は、川野先生ではなく大橋。
 そして子供というのは・・・・。
 大橋がおそるおそる手を伸ばしてきた。ぼくは頷いて、便箋を渡した。それまでの二通の書面も一緒に手渡す。川野先生が気の毒そうにその様子を見守っていた。
「まさか・・・・」
 先の二通の書面を開いて、大橋は息を飲んだ。川野先生が寄り添うように、大橋の傍らに立つ。
「先生、何かお心当たりがあるんですか? これを書いた人物は、単なる嫌がらせではないと言っているそうですが」
「いえ・・・でも・・・こんな物が私宛に来るはずは・・・・」
 大橋は呟きながら、最後の便箋を開いた。ぼく達も覗き込む。
 便箋には、いつもの文字でこう書かれていた。

   オマエ ノ コドモ ハ アズカッタ
   ゴゴ8ジ マデ ニ キュウコウシャ ノ オクジョウ ニ コイ
   コナケレバ ムスメ ヲ コロス

 耳をつんざくような悲鳴を上げ、大橋がくず折れた。時計を見ると、八時まであと五分もない。
 赤松は大橋を支えると、ぼくに向かっていつになく緊迫した声で叫んだ。
「大橋先生への説明はわたしがするから、すぐに旧校舎へ行って! 先輩、死ぬ気かもしれない! お願い! 助けて!」
 ぼくは弾かれたように走り出した。


-つづく-



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