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カテゴリ:その他
今日紹介する本は、最近は数少ない1人で3役を務める選手を描いた本です。
今や数少ないこういった選手、今年のセンバツでも優勝した敦賀気比の平沼翔太、大曲工の武田龍成、糸満の金城乃亜、豊橋工の森奎真の4人だけです。彼らはまさにチームの大黒柱です。一昔前ならこれにプラスキャプテンという大役を担っていた選手もいました。 私の覚えている限りでは、平成3年夏の荒井修光(我孫子)、米子東の松本泰弘(この二人は初戦で対戦し、5-0で我孫子の勝利)、平成9年夏の川口知哉(平安=現龍谷大平安)、最近では昨年の岸潤一郎(明徳義塾)。彼らは主将という肩書もついているので1人4役です。チームをまとめなければならないことから、彼らには相当な精神力があったのでしょう。 そんな4番・ピッチャー・背番号1の物語ですが、この中で印象に残ったのが藤原安弘(東海大山形)の話です。彼はもともと姫路の出身で、山形へ野球留学をしたのでした。そこで彼は瞬く間に主戦となり活躍します。2年夏も決勝まで行くが、日大山形に敗れ、3年春のセンバツも逃し、あとは夏のみ。もちろん最後なので必死に戦い、勝ち上がり、そして迎えた決勝は再び日大山形。 試合は途中まで4対2と東海大山形がリードするものの、8回表藤原のヒジがブチっと切れ、棒球を打たれ、ついに試合は4対6とひっくり返され、そのまま9回ウラに突入。この回2死一・二塁から藤原に二塁打が出て1点を返します。続く5番打者がヒットを放ち、二塁走者の藤原まで還りとうとう7対6で逆転サヨナラ勝ち。東海大山形は3年ぶり2回目の甲子園出場を果たすのです。 しかし喜びはここまで。藤原の右ヒジは腫れあがり、練習でろくにキャッチボールもできないのです。そんな中大会の組み合わせ抽選があり、日程は大会第7日の第2試合、これはまあ藤原のヒジが少しでも良くなるかなあと思っていた矢先、相手がなんと桑田・清原最後の夏であるPL学園(大阪)に決まりました。藤原は「決して勝てる相手ではない。せめて自分の納得できるボールを投げられれば」。ただそれだけの思いでマウンドに立ったのでした。 試合はPLが初回に2点を先行すると、あとはつるべ打ち。毎回の32安打・29得点です。 東海大山形001001005=7 PL学園 25436252×=29 藤原投手が5回を投げ切り、21安打を浴び20失点でした。しかしこれには訳があり、当時の滝監督によれば、「あそこで藤原を5回まで投げさせたのは彼を負け犬にしたくなかったから」ということです。ただ東海大山形もこの試合、桑田から3回に1点を取り、9回には5点を取っています。藤原も4番打者として最終打席でヒットを放っており、一塁を守っていた清原から「ナイスバッティング」と声をかけられています。 試合終了後ダグアウトに向かう際、藤原に向かって桑田が「ヒジは大丈夫か」と声をかけたそうです。エースで4番・背番号1という看板を背負って投げられない状態ながらも21本のヒットを浴びて5回を投げ抜いた藤原のことを思うと、同じ投手として桑田も同情したのでしょうね。この頃から桑田はこういった人に対する思いやりがあったのでしょうね。 そんな藤原は卒業後は社会人野球の世界に入り打者転向。その後は理髪店を営んでいるということです。そんな藤原にとある人から送られた言葉はこれです。 「甲子園の大敗を引きずるな。前を向いて頑張れ」 いつまでも過去に囚われることなく、前に向かって突き進めということが込められています。彼はこの言葉を胸に今も人生に立ち向かっています。そう、あのPL学園打線に向かったマウンド上のように。 この本にはこの藤原以外にも、背番号1ながらあの星稜戦ではマウンドに立っていなかった岡村(明徳義塾)、圧倒的不利と言われていた決勝で見事PL学園に完封勝ちした山口(岩倉)など感動ストーリーが盛り沢山です。 よければクリック願います。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015/04/28 10:54:20 PM
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