アキバ式学習法
まず、自分の嫁を見つけろ!すべてはそれからだ。 ある偉い先生は言った。どんなに無駄なことでもそれに一生懸命になれることはすごいことだと。たとえていうならオタクとはそういった人間、そのものだ。先生はみんなオタクのようになれ。と、言っているのだ。好きなものを好きになる。当たり前のようなことだがこれはとても難しいことだ。それはなぜか? 人間は好きなものを好きと認識する際、そのことがらに対してまったく無思考状態になるのだ。当たり前だが、言わないと分かってもらえないので説明する。人間は思考だけではなく本能的にものごとを判断する能力を持っている。たとえば、シャナが好きな少年Aがいたとしよう。少年Aはどうしてシャナが好きなのか?ロリでツンデレだからだ。と少年Aは回答した。さて、少年Aの回答から察するにまるで彼はそれを理由に自らシャナを可愛いと判断したようだ。しかし実際はどうだっただろうか。本当に少年は自らの意思でシャナを可愛いと判断したのであろうか?このあたりは恋と似ているが、好きではない者を好きになるその過程で経験、趣向、状況、さまざまな要因を加味して人間は判断する。実は俺はアイツが好きだったんだと。だが、たとえるに一目惚れ、感動、衝撃などの一瞬の感情の高ぶりは決して意識的に起きているものではない。それは人体の構造に習い反射と命名しよう。ようは精神的反射行為なのだ。つまり、意識の外に自ら趣味嗜好のくくりがあるのだ。そこで外界からの情報を判断し思考するのだ。しかし、人間には趣味嗜好の物欲にはあらがえない性がある。どんなに考えることを放棄しても視界に聴覚に嗅覚に届いてしまえば反応する。そんな沸点のようなものが存在する。それがゲームだったり、美少女キャラクターだったり、アニメだったりから依存するとオタクと呼ばれる存在が生まれるわけだ。人の感性は本当に多様にできているが、アニメが好きなオタクがいれば逆にアニメ嫌いで特撮ばかり見ているオタクもいる。それが人の不思議なところだ。つまり一人一人、沸点が違うということだ。もしその沸点が自由に操作できれば、インテリサラリーマンをオタクにすることも、教育ママを腐女子にすることも可能というわけだ。さて、結論を語ろう。 結果的に勉強嫌いな少年を勉強好きの少年に変えることもできるというわけだ。さすがにスペックまでは変わらないが、好きで勉強するのと嫌々するのではその先にある結果はおのずと違ってくるはずである。 それでは次回に続く。