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ニューカッスル・ユナイテッド NEWCASTLE UNITED  HOWAY THE LADS!!

ニューカッスル・ユナイテッド NEWCASTLE UNITED HOWAY THE LADS!!

NUFC用語集1

※某掲示板に昔、掲載したものです。
【A/あ】
Al: アル[愛称]
シアラーの愛称。アランを縮めてアルになる。

Albert,Philip:フィリップ・アルベール[人名]
キーガン時代を彩ったベルギー代表センターバック。エレガントなプレー、長身と美貌により、サポーターから「プリンス・アルベール」と呼ばれた。01-02 シーズン開幕前のインタートト、対ロケレン戦に姿を見せ、Toonサポにアルベール・コールをされた際には涙をながさんばかりに喜んでいたそうである。サポのひとりに「どっちの応援に来たの? 」と問われた時には「もちろんToonに決まってるさ! 」と答えていた。相変わらずのジェントルマン (惚)

Asprilla,Faustino:ファウスティーノ・アスプリージャ[人名]
イングランドでプレーした初のコロンビア人選手。パルマからニューカッスルに移籍。97- 98シーズンのチャンピオンズ・リーグ対バルセロナ戦でのハットトリックはもはや伝説。この試合は『VIVA! ASPRILLA』なるビデオにもなっている。ハーフラインから2 タッチでゴール前に行ける脚力、垂直飛びで2 メートルはいけそうなジャンプ力と人間離れしたワザでファンを魅了した。2001年の「ニューカッスルに帰りたい」発言がオフィシャルサイトに載った際にはちょいとした騒ぎになった。実際、代理人がニューカッスルに接触したらしいがボツ。

悪代官[愛称]
私が一方的にこう呼んでいるが、これはウチの会長、フレディ・シェパードのことである。なぜそう呼ぶかはツラを見てもらえればもれなくわかる。なにしろ悪党ヅラなのである。「水戸黄門」の悪代官のようだということで命名。とっとと助さん・格さんに斬り捨ててもらいたいヤツである。


【B】
Barton,Warren:ウォーレン・バートン[人名]
94年にウインブルドンから加入。当時英国で最も高いDFだった。顔に似合わず、非常に献身的なプレーをする選手で、それゆえか監督に好かれるタチで、キーガン辞任後、ダルグリッシュもフリットも就任して一番最初に契約延長を約束してるのはこの男である。子供の頃から、熱烈なアーセナル・サポーターで、それゆえに「スパーズ戦が一番燃える」のだそうで、ウチからダービーに移籍する際も、スパーズ戦に間に合うように移籍している。ガナーズ・サポであることはウチのサポのからかいのネタにもなっているが、「それはガキの時の話だって。いまはこのチームにすべてを捧げてる」と言い訳し、サー・ジョン・ホールに「おまえはもう立派なジョーディだ」と言われた時には狂喜していたというのでまんざらウソでもないらしい。将来は指導者になりたいというだけあってUEFAのコーチライセンスを持っていて、ウチに在籍中は少年向けのサッカースクールもやっていた。ついでに旅行社経営も手掛けている。一昨年からSKY SPORTSの解説者としても活躍中。

Batty,David:デイビッド・バッティ[人名]
リーズ、ブラックバーンを経て、95年にニューカッスル加入。「タックルの鬼」として知られる怖いお兄さん。当然警告・退場の「嵐を呼ぶ男」でもある。開幕から6 試合出場停止を食らったことも。しかし相手の攻撃の目をつぶすことに関しては、得意技であるロビング気味のパスとともにイングランド随一。レース狂でF1やWGP でしばしばカメラに抜かれている。最も尊敬する人はイギリスの有名なバイクレーサー、カール・フォガティとのこと。息子が双子で、父親を加えると三つ児になるほどクリソツ。私事: サインをくれる際にメンバー中唯一「TO ××」と私の名前を入れてくれたええヤツである。

Bearsley,Peter: ピーター・ベアズリー[人名]
83年にリバプールから加入。顔がブサイクなのと俊敏ですぐれたテクニックを持つFWとして有名。代表ではリネカーのベストパートナーとして知られた。ニューカッスル出身でウォールズエンド・ボーイズ出身という生粋のジョーディで、キーガンとは親友の間柄。現在はユースチームのFWコーチを務めている。

Bernard,Oliver: オリビエ・ベルナール[人名]
99年に加入。フランスのリヨンから獲得したが、この時移籍金をめぐり交渉が難航し、結局移籍成立まで4 カ月もかかった難産の息子。左MFだがサイドバックもやれるのでウチには大変ありがたい選手。01-02 シーズン終了後、ウェストハムの誘いを受け、本人は大乗り気だったが、悪代官が契約をタテにこの移籍話をぶっ潰した。そのためベルナールは激怒、「もう絶対ニューカッスルではプレーしたくない」と発言するが、おじいさまに諭されてあっさり撤回。涼しい顔で戻ってきた、意外と太いヤツ。そしてポーツマス、レンジャーズを経て、再び出戻り。

BLACK & WHITE:ブラック・アンド・ホワイト[雑誌/ ビデオ]
キーガン時代の会報とビデオのタイトル。当時ビデオはなんと年4回の発行で、むろんシーズン・レビューは別に出るというおいしい状態であった。

Blair,Tony: トニー・ブレア[人名]
英国労働党党首にして英国首相。最も有名なニューカッスル・サポーターである。ブレア本人はスコットランド生まれだが、彼の父がダーラム大学で教鞭を取っていた関係で少年時代をダーラムで過ごす。その頃ニューカッスル・サポになったらしい。議員対抗のサッカー大会があるといって、ロンドン滞在中のウチの練習場に乱入、練習に参加したり、視察といつわってはSJP を訪れて監督・選手に会うなど、なかなかの職権濫用ぶりである。当初は「選挙対策か?」と思ったブレアのToonサポ説だが、なにしろ「僕のヒーローはジミー・スミス」というマジサポでなくては絶対に出てこない名前に卒倒、脱帽である。


【C】
Charlton Brothers:チャールトン兄弟[人名]
兄がジャッキー、弟がボビー。どちらも66年ワールドカップ優勝メンバーで兄がリーズ、弟はマン・Uの伝説的選手。ジャッキーは80年代にニューカッスルで監督を務めた。このふたりの母シシーはジャッキー・ミルバーンのイトコに当たり、ミルバーンにこの兄弟を加えた3 人が「ブリテン島で最も優れたフットボールの血統」と呼ばれたミルバーン一族の花形選手である。ボビー・チャールトンはもともとニューカッスルの熱烈なファンで、子供の頃は小遣いを貯めてはSJPに通ったという。ではなぜマン・Uに? というと、当時のニューカッスルはリーグ有数の強豪クラブで、自分にチャンスはないと考えたからだそうで、若手育成に定評のあったマン・Uを選んだとのこと。時代は変わるもんだね(爆笑)

Chopra,Michael: マイケル・チョプラ[人名]
ニューカッスル・ユース希望の星。現アシスタント・コーチ、タヌキさんこと、ジョン・カーバーが見つけてきた逸材で、当時チョプラはまだ8 歳。チョプラ父がウチのサポであることにつけこんで、とっととかっさらってきている (カーバーが出世したのはこれがためか??)。以来順調に成長を遂げ、ユース、リザーブで鬼のように点を取っている。本人はベアズリー、コールのファンで、プレーもコールに似ているとの噂だが、目標は「シアラーのような選手になって、SJPでサポーターの称賛を独り占めすること」と、なかなか俺様な発言をしているので私はヒソカに「番長」と呼んでいる。今夏カーディフに移籍。妹サラが現在NUFC女子チームに所属している。

Clark,Lee:リー・クラーク[人名]
ウォールズエンド出身の地元選手。とある事件によって「永遠のToonサポ」と呼ばれる男。その事件とはウチのFAカップ決勝にToonArmyとともに応援する彼の姿が新聞にデカデカと載った。その時来ていたTシャツに「サンターランドのくそったれ」と書いてあり、当時リーはサンダーランドの選手だったため、大問題に発展した。ちなみにリーの家族はこの事件後しばらく行方をくらませていたという。それでもサンダーランドのプレミア昇格に貢献し、一応サンランサポからもお赦しはもらったが、昇格後「僕はジョーディだ。ディビジョンが違う間は問題なかったけど、同じプレミアとなったら、サンダーランドの選手として愛するニューカッスルと対戦するなんて僕にはできない」とゆって、サンラン退団、恩師キーガンの引きによってフルハム加入。当時、最大の夢は「もう一度ブラック&ホワイトのシャツを着ること」といっていたら、現実になってしまった (驚嘆)。現在はリザーブ監督。

Cole,Andy:アンディ・コール[人名]
「コール・ザ・ゴール」と呼ばれた90年代初めのニューカッスルのエース。日本ではマンチェスター・Uのストライカーとして語られがちだが、コールの全盛期は年間38ゴールを決めて得点王に輝いたウチでのシーズンであったと確信している。この活躍に目を付けたアレックス・ファーガソンがウチからかっさらっていった時には地元で暴動寸前の騒ぎが起きており、キーガンでさえ身の危険を感じたそうである。ジノラがバルセロナからのオファーを受けた際、キーガンは「僕はコールの件で懲りたから、もう選手を出すのはイヤ」と弱音を吐いたという。コール自身もウチを追い出されたことはいたくショックだったそうで「ケビンを恨んだ」とのちに告白している。んなワリには生まれた時からマン・Uにいるよーな顔してたのは納得がいかない。


【D】
Dabizas,Nicos : ニコス・ダビザス[人名]
99年に加入。アルベール亡き後の唯一まともなセンターバック。ことにギリシャ代表ではワールドクラスのプレーを見せるが、ウチではタコミスも少なくない。でも他より圧倒的にマシ。

Dalglish,Kenny: ケニー・ダルグリッシュ[人名]
「ケビンの後はケニー」という、リバプールのエース交代劇が、まさかウチで起こるとは思わなんだ状態で、96-97 シーズン途中から監督に就任。日本のマスコミは「ニューカッスルを2 位に導いた」という書き方をしていたが、2 位になったこのシーズン、ダルが指揮を執ったのは4 カ月だけ。その後一気の転落・低迷こそが彼の残した実績である。DF強化を掲げて、キーガン時代の外国人選手たちを一掃、ジョン・バーンズ、イアン・ラッシュ、スチュアート・ピアスなどのロートルを獲得して、大失敗をこいた。当時、サポーターはダルグリッシュを「サイテー監督」と呼んだが、まさかその後にフリットというダルをしのぐクソ監督が登場するとは予想もできなかったに違いない。ダルの残した唯一の遺産、シェイ・ギブン獲得は評価してもいいが、どう考えても失った者のほうが大きい。

Dayer,Kieron: キーロン・ダイヤー[人名]
99年加入。イプスウィッチ生まれのイプスウィッチ育ち。10代で頭角を現し、売りに出た時に名乗りを挙げたのは、リバプール、アーセナルなどビッグクラブがゾロゾロ。ウチが獲得できたのは、当時の監督がダイヤーの憧れの人、フリットだったため。今となってはダイヤー獲得のためのフリット招聘であったかと疑わざるを得ない。フリット辞任後はサポーターもさすがに「キーロンはもうウチに未練がないのでは?」と心配したが、人心掌握の天才、ボビー・ロブソンががっちり彼のハートをつかんだようである。現在でも一番オファーが多いのはダイヤーで、リーズは「ブリッジス+ 金銭」、アーセナルは「800 万ポンド」、マン・Uに至っては「そっちが値段をつけろ」と言ってきたそうである。サポーターは常にダイヤーの行く末を心配しているが、本人は「不満なんかないしー、ニューカッスルのサッカー楽しいしー、タイトル取るのも時間の問題だから、出ていく必要なんかないもーん」と無邪気に語っている。ちょっとアホだが、そんなところが可愛いヤツである。アホなところと抜群のテクニックゆえ、地元では「ガッザ2 世」と呼ばれている。

【E】
Elliott,Robbie: ロビー・エリオット[人名]
アランと同じくゴスフォース生まれで、ウォールズエンド・ボーイズ出身というところまで同じ。かつてマン・U にスカウトされたこともあるという期待の若手だった。キーガン時代にトップデビューし、左ウイング、左サイドバックとしてプレーした。ダルグリッシュ時代にボルトンに放出され、2000年に1 児の父となって戻ってきた。ちょいとキレやすいという欠点はあるが、もともとMFだけにパスセンスは抜群。01-02 シーズン、連勝を続けていた時はエリオットが左SBを務めていた時であったことを思い出していただきたい。なぜかウチとの1年契約を蹴ってサンランに行ってしまった(泣)


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