3244293 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

銀線名人の言いたい放題

銀線名人の言いたい放題

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

銀線名人ぬかしんぼ

銀線名人ぬかしんぼ

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

本日のランチ 深川… New! aibopapaさん

4月25日 フロア塗装 New! GOZIRA910さん

「トナカイは殺され… New! 綱取2007さん

『リベンジした子持… New! ojisan175さん

山梨 早川町 七面山… New! kiki ☆さん

コメント新着

フリーページ

ニューストピックス

2006年09月03日
XML
カテゴリ:バイク
1.JPG2.JPG私が19才の頃です。本田ドリームC-72・250cc/20馬力かな?初めてのバイクは本田ベンリーc-92/125cc/12馬力だったと思います。
125から乗り換えたときはトルクが凄くてびっくりしました。当時神社仏閣スタイルと呼ばれヘッドライトは四角くてごついデザインでした。前輪のサスペンションはテレスコピックでフレームもプレスで丁度スーパーカブの250cc版と言った方が分かりやすいでしょう。ベンリーc-92は文字道理、便利であると言うところからの命名であり、ドリームc-72は将に高嶺の花、夢であると言う意味の命名でした。私は便利を5000円で買い、夢は2000円で買いました。
このドリームは友人が他の友人のために二台のバイクを買ってきていいとこ取りで一台に組み直したモノです。その友人がもてあましたので私の所に来たのです。このドリームには二人の兄弟がいました。スーパースポーツCB-72とスクランブラーCL-72です。CBはパイプフレームにツインキャブそれに360度クランクと180度クランクが選べました。標準でバックステップも装備しレースの花形でした。一方CLは細い片側二本出しアップマフラーでバリバリと独特の排気音で人気がありました。C-72はいわゆる父っちゃんちゃんバイクでシングルシート荷台付き力の強いトラックという位置づけでしょう。
実はもう一人兄弟がいまして、CS-72と言います。これは写真のようにタンデムシートに両側アップマフラーを付けたモノでした。さしずめスポーツタイプと言ったところでしょう。
さて写真をよくごらんください当時はCL(モトクロスタイプ )のブリッジハンドルを付けるのが流行でしたので私も其れを付けてます。タンデムシートにはお約束のヒョウ柄カバーです。さてここからが私だけのオリジナル。良く写真を見てください。このバイクはマフラーが両側だしです。左側のマフラーが着いていません。実は左側はダウンマフラー(C-72)右がアップマフラー(CS-72)なのです。これは証拠はありませんが日本で一台だと思います。然し誰一人として気づきませんでした。荷台は後ろに跳ね上げてカッコを付けてあります。タンクはメッキカバーを取り去りニーグリップゴムだけをくっつけます。前輪には白いリボンタイヤ、後ろは当時かなり進んだ今様タイヤを履かせました。実は私が履かせたのではありません。金沢から伊豆の修善寺へ大好きなお姉さんが引っ越しをしたので15時間駆けて会いに行ったのですがとうとう会ってくれませんでした。私の青春の一頁でした。途中糸魚川から南下をし松本、それから20号と走りましたが、まだまだ未舗装路が多く、採石の道でした。其処でパンクをしましたが、私は気が小さく心配性なので何でもカンでも持って行きました。パンク修理の道具やバイク専用の小型の空気入れも勿論ありました。マッチを付けて専用工具ではさむホットパッチです。今はコールドパッチですから簡単ですがむかしは無かったような気がします。勿論バイク用のタイヤレバーも持って行き、ホイールを外しタイヤを外しチューブを出しホットパッチで貼り付けて逆の動作をする。これで一時間かかりました。しかししばらくは走ると又パンクです。丁度5かいパンクしました。5かいですから5時間です。其れも夜に出発しましたから、夜中です。ガードレールも防犯灯もありません。何故何回もパンクするのかというとチューブを入れるときにタイヤの耳にツー分が噛んだのです。どうも何回も何回も噛んだのでした。若気の至りでした。5回もパンクすると用意していたホットパッチが無くなってしまいました。又パンクしたのですが空気を入れながら大月までたどり着くとやっとオールナイトのガソリンスタンドが開いてました。地獄に仏でしたが、バイクのパンクは修理できないと言うではありませんか、それならチューブだけにするから、其れを直してくれと言い、またもや自分でホールを外し・・・・・・・。しっかりと普通の料金を取られましたが、仕方有りませんでした。彼女に振られ、傷ついた私は手配しておいた高円寺南の友人のアパートで傷を癒すのでした。確か10月の寒い頃です。晴海でモーターショーを見てきました。帰りはもうバイクは嫌になりバイクを置いて汽車で帰りました。後で取りに行くまで友達が乗ってましたが又パンクし、バイク屋で耳の部分が駄目だと言うことでその友人が新しい最新型のタイヤを入れてくれたのでした。タイヤの話でこんなに長くなりました。
半年後か一年後に今度はその友達のCB-72に乗って東京へ届け帰りに私のC-72に乗って帰ってきました。今日はここで落ちまい。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年09月04日 01時56分00秒
コメント(3) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.