太平洋沖大地震
あと約一週間で、あの大地震から約1か月になります。ひとつ県をまたげばそこはまるで戦場の後のような廃墟と化していて、しかしその隣の町ではみんな普段通りの仕事をして、学校に行って、家に帰っている生活をしている。被災地の復興のために必要なこととは、大変だといつまでもあたふたするのではなく、関係のない都市の者はただちに普段の生活に戻ること。無理に募金をするよりも、消費量を増やし社会へ還元することと共に、社会人は仕事をして利益を上げること、学生は勉強してこれからの日本を支える知識をいつも以上に身につけること。と東大の先生が言ってました(うけうりただやっぱり、少しやるせないものはありますね。はぁ。家や建物が崩壊しているよりもやはり、人の表情を見るのが一番つらいものがあります。彼らは3月11日まで、私たちと同じように何の変哲もない日常を送っていたはずだったのです。いくら災害は仕方がないとはいえ、地盤の動きやこれまでの地震の動きからそろそろ大きな地震が来るということは何度も言われてきたことでした。各分野の専門家が幾たび忠告をしていたことでした。私は自分が理系の人間だからといって理系の専門家を敬うわけではないけれど、はっきり言ってその道の専門家がこうだと言えばそうなんです。その人の権威が偽物でない限り、そういう結果というものは事実に基づいた、何年も積み重なった論理的な追及に基づいているのだから。だから放射線量も「心配ない」と言ってるんだから「心配ない」んです。持ち上げないでください。ほうれん草や水道水、大いにけっこう。食べます飲みます。(塩素の匂いが嫌なので水道水を直接飲むようなことは元々してないけど)以下、友人のついーと。(※無断転載)「原発をなくせと言っている人は、原発から得られるエネルギーに代替できる資源や物質を開発してから言ってほしい。情報公開しろというのなら、その与えられた情報を理解できる程度の知識を身につけてからにしてほしい」後者はともかく、前者はまったく同感です。事実かどうかはともかく、日本は「資源のない国」なのですから、今のところ最も効率の良い原発にエネルギーは頼るしかありません。今急に原発を辞めてしまうと何が起こるかというと、すべての市場がストップしそれが続けば産業・経済ともに衰退し、最終的に日本崩壊です。アインシュタインはかつて、核はもはや人間の手に負える代物ではないと言いました。私はこれについて、素人ながらの考えではありますが、そんなことはないと思っています。確かに放射性物質そのものは人体に影響はあります。しかしそれもすべて、使う側の人間の手が問題なだけだと思っています。身近な例として。よく溶媒として用いるベンゼンは発がん性物質であります。また多くの多環芳香族炭化水素も発がん性を持っています。ですが実際、癌になった学生もOBOGもまだいません。それはすべて、研究室で実験を行う上でみんなが安全対策を勉強して学び、それ相応の準備と心構え、声掛けを行っているからです。スケールが工場レベルになろうと実験室のフラスコレベルであろうと、要は扱う側の人間が相当の整備と点検を行っているか、そういった問題に対し議論し常に学ぼうとしているか。足りていないのなら追及すればいい。そういうことだと思います。そういった努力の積み重ねさえ怠っていなければ、どんな物質であろうとモノは扱える、と信じています。モノは所詮モノであって、最終的には予想通り、想定通りの動きをします。相手が人間であれば、話は別ですけど。私も人のことを言えた部類ではまったくありませんが、何事にも知識は必要です。どんなことでもとにかく事実として認知しておくということがどれだけ重要なことか、最近になってわかりました。 もしもエネルギー問題について少しでも知識があって、今何が問題なのか、どんな研究が行われているか、それを知っていさえすれば、原発反対なんて言っていられないでしょう。無知ほど恐ろしいものはないとよく言ったものだと思います。本当にその通りでした。専門バカはただのバカでしかないのだと。さて、友人のツイートの件にもどり。後者の情報公開について、これは少し違うかなと思いました。情報を発信する側は専門家であっても、受け取る側は一般の知識のみを持った人なのです。少なくともそう考えなければならないのです。一部の人にしかわからない情報というのはもはや情報ではありません。だからmをμに変換できない人でも、何も責められることはない。(友人ごめん。コピペじゃないからいいよね)私はいまだに大学院進学について、このまま今の大学に上がるか学歴ロンダリングをするか(笑)で迷っていますが、まあ理由は国立大学の規模の大きさに圧倒されたのが第一で、第二の理由はそのT大学の先生の言葉に感銘を受けたからです。先生は「教科書に残る研究を」というのをモットーとしています。それはもちろんどの研究者もいずれ行き着くところはそこであってほしいと願うものだと思います。以下の引用文を初めて読んだとき、私は自分がとんでもない誤解をしていたんだということがわかり恥ずかしくなったと同時に、当たり前のことだとわかっていたのに対して強い衝撃を受けました。~以下引用~一般には小中学校の教科書に始まり、高校の教科書、大学の教科書や専門書となるにつれ、扱う内容はより難しくなり、専門の学術誌となれば、もはやその分野の専門家でないと読みこなせない論文も数多い。研究をこれから始めようという学部生、あるいはまさに始めたばかりの卒研生は、そういう極めて専門性の高い研究が現代の最先端であり最も価値があると勘違いしていないだろうか。そうではない。ほんの一握りの専門家にしか通じない研究は「先端」ではなくむしろ「末端」である。本当に優れた研究は、その価値が小中学生でもわかる、いずれは教科書の一文となる可能性を秘めた研究である。せめて「高校の教科書のコラム欄」ぐらいで紹介される研究をめざしてみたいものである。 ~引用おわり~今日の説明会でお会いできなかったのは非常に残念。さてと。今回の地震でマスゴミマスゴミと散々叩かれていましたが(それでもめげないね)、一方でそれを擁護する人もいるという事実に驚きました。彼らは集団によるいじめと何か勘違いでもしているのでしょうか。あまりにも非人道的で、かつ傲慢で自己中心的な組織は、その事実が大衆に渡ったとき非難されるべきなのです。そしてその非難をきちんと世間に発信していかなければならないのです。このことに限らず、漠然とした表現ではありますが、常に万人から正しいと思う方向に近づけるようすべからく努力はしていかなければならないのです。そこでいきすぎたと思えば、またベクトルを転換していけばいいだけのことです。今回の件でいうと、非難しすぎるということはないくらいひどいものでした。火葬場で張って、地震で子供を失った母親に「ねえ今どんな気持ち?どんな気持ち?」ガソリン不足のこの状況で給油が制限されるなか、「報道の自由」を主張し優先的に給油させる取材班 社会に出るとある程度理不尽に思うこともしなければならないときがあるかもしれない。でもそれはあくまでその組織の中だけにとどまることでなければならない、と個人的には思います。 日本人の平和ぼけによる政治・経済への無関心さが仇になったと思います。普段は無関心であるくせに、少し問題が発生すると文句を言い責任を取らせる。そういう人種は大嫌いです。 また義援金が偽善だと主張している輩もいるでしょうが、 何をするのにもお金が必要なこの状況で、被災者の方々を一人でも多く救い健康な状態に復興させること以上に何か大切なことがあるでしょうか。こだまでしょうか。 最後まで非難警告を町に呼びかけ、マイクを握ったまま殉職された南三陸町の役場の女性職員のような責任感が東電や政党幹部、いや日本国民全体にあれば…と思うとどうしようもない気持ちになります。無知なままの私を含めてですけどね。上司からもういいよ、と言われても警告を続ける彼女の最後の声を聞くと、涙が止まりません。なんでそういう人ばかり、早くに逝ってしまうんですかね。生きる価値のない人間なんて腐るほどたくさんいるのにね。 さてさて。何についてもまずは力を手に入れなければならないので、私はまずはそのための努力をしたいと思います。それこそ原子力の破壊力を脅威として見せつけることで理不尽で無茶苦茶なことばかり言っている国を黙らせるように、何も知らないで何も学ぼうとしないで自信だけ持つ若者に対し「この人は優秀だ。自分より優れているんだ」と一発でわからせる肩書を持たなければなりません。優秀な者に平凡な者は努力をすることで対等になれる。それを目指してひあうぃーごー。 今更ですが偉そうなことばかり書いてさーせんした。でも反省は全くしていない。自分が間違っていたとわかれば言い訳なんて絶対にせず素直に認めます。しかし裏付けとなる根拠、事実、理論がなければ認めません。ご意見あればどうぞ。