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カテゴリ:ライヴ/コンサート
大阪へ。
新幹線内で食事をとりそこねたので、 中之島バーガーの姉妹品、中之島ビーフサンドを。 ☆ ホテルにチェック・インしてから 阪急古書のまち・かっぱ横町へ。 先を急いでいたこともあり、あまりじっくりみられず、 結局、収穫もなし。 ☆ ザ・シンフォニーホールで、 大阪センチュリー交響楽団第151回定期演奏会 のゲネプロ、15:30より。 全2部、70分ほどかかる メンデルスゾーン《交響曲第2番変ロ長調作品52「神をたたえる歌」》。 冒頭にでてくるトロンボーンのテーマがいろいろなかたちであらわれてくる。 メンデルスゾーンは、ちょっと偏見を持っていて嫌っていたのだが、 元気のいい、何よりも「わかりやすい」曲である。 第1部「シンフォニア」で、オケのみ、 第2部に、ソプラノ、メゾ・ソプラノ、テノールのソロ、合唱がはいる。 オルガンのつかい方もうまい。 とはいえ、やはり70分はながい。 テーマは、耳について、いまだに脳内で反復している。 何かに似ている、と、いろいろ考えてみるに、 「敵は幾万ありとても/すべて烏合の勢なるぞ」を 長調にした、といったところだろうか。 メンデルスゾーンの後、 高橋悠治《大阪1694年》。 芭蕉が1694年に大阪で客死する、 そのときに詠んだ14句から14曲が得られる。 各曲の前に、指揮者が「朗読」というふうにではなく、 どちらかといえば、さりげなく、詠む。 作曲者は、「ご当地ソング」と笑っていたものだが、 スコアとパート譜の区別がない、全員がおなじ楽譜をみて演奏するもの。 「オーケストラは古典的2管編成だが、 弦は左に第1ヴァイオリン、チェロ、コントラバス、 右に第2ヴァイオリンとヴィオラ。管の第1奏者は左、第2奏者は右に分かれる。」 テンポも小節線も拍も強弱もフレージングもないから、 奏者は、ひとの音を聴きながら、自分で弾き方を考えなくてはならない。 「芭蕉の連句衆の座のように、平等な創造の空間でありたい。」 それはまた、大阪センチュリー交響楽団の「困難な状況」を重ね、 「生きるのも、音楽を続けるのも、いまこの場での実験の継続にかかっているだろう」 というところにおいて、 個々の演奏家に、 ただ与えられた楽譜を演奏する、のではない、発音と音楽生成を託すわけだ。 管の左右のひびき方、弦の、そして管の高/低のひびき方、 (そして、当然、左右の配置による、空間的な音響配置) ソロとしてあらわれてくる線のうつくしさ、 「猪の床にも入るやきりぎりす」での、ざわざわっとした感触 (個々の句と曲とのつながりが、こうしたところでは気になる)、 各曲の終わりと次の曲との入りのつながり、 最後の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」での、 グラン・カッサとウッドブロックのアタックと反響、 などなど、聴きどころは満載。 ぜんぶでほぼ30分だから、各曲は2-3分というところだろうか。 短く、それでいて、つづいてゆくと堆積するのではない、ありよう。 19時に本番開演。 《大阪1684年》のあいだじゅう、 となりの女の子は束になったちらしをめくっていたので 気が散ってしょうがない。 とりあえずでも、ゲネプロで聴いておいてよかった。 後半に、その子(と友人2人)は、もういなくなっている。 何をしにきていたのだろう? 会場には東京から来ていた人たちが何人も。 もちろん、関西の人たちもいて。 前半と後半、オーケストラも、聴衆も、 空気のかんじがちがっていたところがおもしろい。 メンデルスゾーン作品に加わるのは、 ソプラノ=浜田理恵、メゾ・ソプラノ=寺谷千枝子、テノール=永田峰雄、 びわ湖ホール声楽アンサンブル、大阪センチュリー合唱団。 指揮は沼尻竜典。 身近に浜田理恵がいたのは久々だったのに、挨拶しそびれたのが残念。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010年05月15日 11時04分14秒
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