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2010年06月12日
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レバント東京のロビーラウンジで、
本を読みながらアイスティーを飲み、ケーキを食べる。

18:20に外にでる、と、けっこう、ひとが歩いている。
いっせいにホールへむかっているようだ。
いつもなら、開場時間前にこんなにひとはいない。
それだけ、「何か」がある、ということか。

パット・メセニー/Pat Metheny
「オーケストリオン/Orchestrion」。

10分まではいかないけれど、7-8分遅れて開演、
アンコールと挨拶を終えたのが21:38くらい。
正味びっしり2時間半、
休憩なしでパット・メセニーは弾きつづけた。

ステージ上にはピアノやヴィブラフォン、奇妙なギターなどが
載っている。
意外に少ない、とおもったのは、
もっと後方にあった打楽器系が覆いをかけられていたからで、
これらは途中ではずされ、全貌をあらわすことになる。

「オーケストリオン」ではなく、ソロで3曲を弾く。
それぞれ楽器を持ち替え、
3曲目では絃を張ってあるのが3カ所ある不思議な楽器だったのだが、
じつにうつくしい、微分音程も含み、ハープ的なひびきもするようなもの。
そして、
4曲目でシンバルの音を加えたギターとのデュオがあり、
以後、それまで覆いがかかっていた打楽器群が姿をあらわし、
それらとパット自身との共演となる。

パット・メセニーは、マイクを持ってユーモラスに語る。
これをやろうとしたとき、
ひとからは大抵二つの質問をされた。
ひとつは、Are you crazy?(ここで笑いをとる)
もうひとつは、どうなってるの?

楽器たちはコンピュータで制御されているのだろう。
とはいえ、それらの発音機構はアナログであり、
電子的な音ではない。
それらは「動」き、「揺」れるのだ。
ギターらしきものでは、アームが上下し、
不在のひとが「弾」いているかのよう。
そして、光がついたり消えたりする。
CGみたいなのが動くのではなく、
電球みたいなのがぱちぱちする。

考えていたことがいくつかある。
「作曲」について。
それから、
《フェーズ・ダンス》《不屈の民》《サマータイム》くらいしかわからなかったが、
さまざまな断片が、瞬間、あらわれ、ほかのパッセージのなかで忘れられてゆく。
(《ソウル・サーチ》も、《オーケストリオン》のヴァリエーションとみることもできる)
つまり、「引用」について。
さらに、
音のひびいてくる「空間」について。

そうか、これなのか、とおもわずにはいられなかった。
ステージ奥に配置されているのは、
先にも記したように打楽器群。
要するに、ドラム・セットのひとつひとつの楽器がならべてあるわけだ。
「セット」ではなく、まさにひとつひとつ、つまり「分離」して、ある。
棚のようになっていて、左にシンバルが1つあり、タムがあり、またシンバルがある、
というようなかんじで、何段にもなっている。
それらは、当然、ひびくときには立体的。
ステージから、というよりも、その位置において、
タテの位置で立体的にひびく。
そうか、
とおもうのである。
クセナキスが晩年スピーカはスピーカの音しかしない、というふうに言って、
あらためてアコースティックな楽器編成に戻った、と聞いたけれども、
もしかしたらちがうのかもしれないけれど、
こういうところも、スピーカでは可能ではないひびきようがあるのではないか。
現にわたし自身は、もう、ものすごく、この立体的なひびきの方向に興奮したのだ。
金属的なひびきのよくとおる、
そこで「発音」しているのが、わかる。
音そのものの身体性、いや、生々しさ。

全体的にあまりポリフォニックではないな、とはおもう。
ジャズなのだから、という点もある。
ひとが演奏するよりも、はっきりそういうのがあらわれてしまうのかもしれな。
とはいえ、大作《オーケストリオン》では、かなり複雑にからんだりもするのだが、
まあ、曲によるのかも。

パット・メセニー、
CDで聴いてもいいとはおもう。
共演者によっても、どうなるのかと期待し、
実際にいいと感じる。
でも、それほど聴きこむわけではない。
完成度は高いが、何かを欠いている気がしてしまうからだ。
それが、コンサートだとまるでちがう。
あらためて、すごい、と、
心=身両面で、おもってしまう。

2010年6月11日(金)、すみだトリフォニーホール





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Last updated  2010年06月12日 12時50分57秒
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