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カテゴリ:ライヴ/コンサート
![]() ほかの子が、棒を持ちだし、叩いたり、紙をくしゃくしゃにしたり、 エンピツをちらばしたり。 サッカーボールをつく。 台の上にのって、とびおりる。 そこに、レイン・スティックを持った 神田佳子(パーカッション)と大塚茜(キーボード)があらわれ、 しばらくすると、西陽子が足早に箏につく。 西陽子《アフリカンエアー》をもとにした「高校生によるあそびうた創作ヴァージョン」 というのがこれ。 西陽子は楊琴(やんちん)のようにマレットで箏の絃をたたくところから。 なかには、高校生がつくったことばが加えられたりいったり。 たとえば、 千住大橋 松尾芭蕉の旅行の出発地 水上大橋 水上様がいらっしゃる 白髭橋 白髭神社があるんです というような他愛もないものではあるが、 隅田川にかかる20の橋の名とちょっとしたことばが組みあわされている。 まりつき、というと古風だが、サッカーボールをついて、そのリズムが 演奏にも波及してゆく。 特に、ボールを投げて、投げかえして、というところでは、 「あいだ」があき、ちょっとした音型が加わり、とおもしろい。 男の子は、途中、ダンスのような身振りをする。 ここにある音楽は、イディオムがどうの、ではない。 ひびきの新しさとか、そういうところにはない。 さらに、 もしかしたら、ひとに「みせなくてもいい」ものかもしれない。 だが、にもかかわらず、 こうした「あそび」がひとの目にふれることで、 たのしんでいる高校生がいて、音楽家がいて、ということの「意味」を すくなくとも「わたし」は感じている。 西陽子にこうしたことをやらないか、と声をかけたのは、 何年か前に-----もう随分前かもしれないけれど-----わらべうたを、三面の箏でやっていたのに いたく感動したからだった。 再演でもいい、と考えていた。 ところが、西陽子はあたらしいことをやりたい、と、考えていることがある、と、言った。 そしてできてきたのがこれで、 正直、リハーサルのときには、目をそむけたくなった、 というのは、出来が悪いからではなく、まるっきり逆で、 みていると、涙がこぼれそうだったから。 観客はすくなかったけれど、ああ、陽子ちゃんに頼んでよかったなあ、とおもっていた。 休憩のあと、 三人の音楽家が演奏する。 《3つの舞曲》 トラディショナル・ジプシー音楽 《箏と打楽器のための練習曲No.1》 作曲:神田佳子 《夕暮れ風見鶏》 作曲:大塚茜 《フライラッハ》 トラディショナル・クレズマ音楽 《3つの舞曲》の急速なパッセージの、あきれるような、みごとさ。 神田佳子作品は、ほかの曲でもそうだが、ユーモアがあっておかしい。 箏にハノン風パッセージを弾かせてしまう滑稽さ。 それがペンタトニックになり、リズムが変形し、 アーティキュレーションをおもしろくし、「間」をとって、というような。 メトロノームがわりの、神田自身のダルブッカ。 大塚作品はごくふつうに親しみやすく、それでいてちょっと物悲しくて。 アンコールとしては、何のうちあわせもないままによる、 全員参加の《アフリカンエアー》。 西陽子の演奏をライヴで聴くのは、2年ぶりくらいだろうか。 聴くと、いつも、このひとを知っていることを光栄におもう。 衣裳・空間演出、相澤万亀子、 高校生、早稲田塾の6人の協力による 8月20日(金)19:00- アサヒアート・スクエア 『あそびうた・うたあそび・ことあそび~箏曲家・西陽子のこころみ』
Last updated
2010年08月21日 22時08分57秒
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