420021 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

parmi les jours suspendus

parmi les jours suspendus

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

junjun081359

junjun081359

Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

http://buycialisky.com/@ Re:二題(11/10) where to purchase cialisbuy generic cia…
http://buycialisky.com/@ Re:藤原歌劇団「ルチア」(03/04) online pharmacy india cialiscialis 5 mg…
http://buycialisky.com/@ Re:平日の朝、ときどき(01/31) buy cheap online prescription cialis so…
http://buycialisky.com/@ Re:箏とオーケストラ(04/14) review of cialis blackcialis dosing inf…
http://buycialisky.com/@ Re:学生から教えてもらったエピソード(4)(02/16) interaction between viagra and cialisdr…

Freepage List

Headline News

2011年01月12日
XML
カテゴリ:映画
冒頭に汽車があらわれる。
マーラーがフロイトのいるホテルにむかうため、だ。

ケン・ラッセル『マーラー』の、ラストだったろうか、
やはり駅がでてきて、ホームにマーラーがいる、
というシーンがあった。
それを想いだす。

『シュガー・ベイビー』『バグダッド・カフェ』は
1980年代で、それから随分と時間が経った。
以後、パーシー・アドロン監督が撮った作品は観ていない。
そこに突然、マーラー、である。
グスタフ・マーラー(1860-1911)
の生の始まりと終わりをみれば
2010年が生誕150年、
2011年が歿後100年にあたるのがわかる。
短い生涯だ。
そして、去年から今年にかけての意味もわかる。
この映画では、
マーラーがフロイトとただ一度の面談をした事実をひとつの枠組みとして設定する。
浮かびあがってくるのは、
マーラーより19歳若く、若く才能もあり、男性にもモテたアルマとのこと。
病気で亡くなった長女のこと。
マーラー自身の妙に潔癖な性格。
などなど。

おもしろいのはつくりで、
枠組みはしっかりしているけれど、
ドキュメンタリー風だったり証言風だったりという断片を挿入してくる。
いわば「多声的/ポリフォニック」である。
登場する人物たちは、何と、「カメラ目線」だったりもするのだ。
そして、そこでながれる音楽は、
もちろんマーラーの交響曲(第10、第5、第4)なのだが、
とても限定されていて、しかもかならず緩情楽章、
-----それが副題に反映しているわけだ-----
さらに、ときには、
あるパートのみだったり、いくつかのパートのアンサンブルだけだったりする。
このあたり、指揮をしたエサ=ペッカ・サロネンの真骨頂というところだろう。
作曲をしないような指揮者ではこうはいくまい。

フロイトの音楽嫌いもでてくる。
最近読んだ北山修『最後の授業』(みすず書房、2010)に
こうしたフロイトの音楽/芸術嫌いのはなしがでてきて、
そのことも想いだしたりする。
フロイトはここで、シンコペーションがもともと気絶や失神を意味するのだ、
とマーラーに言ったりするのだ。
二人がモーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》の一節を、
声をあわせてうたうのは、おかしい。
おかしい、とは、こんなことありえないだろ、という意味と、
あの年齢の男性が声を張り上げているさまが可笑しい、という意味と両方。

おかしい、といえば、
ごくまれに、
Bonne Appetit!とかEntrez, Monsieurとか、
社交的なフランス語がでてくるところ。
マーラーがアルマをオペラ座の楽屋を案内しながら、
「オペラ座は幼稚園とおなじだ」というところ。

もうひとつ、おかしさついでに言えば、
役者がみな、実物(写真?)に似ていること。
若きツェムリンスキーはちょっと違うかもしれないが、
マーラーもアルマもヴァルターもグロピウスもクリムトも、似ている。
(ちなみに、アルマの実家にはクリムトの絵が飾られている)

グロピウスがマーラーに自己紹介し、
装飾を排除する、というような発言をし、
マーラーに笑われる(そして、いやがられる)ところなど、
なかなか凝っている。
凝っているのはまた、アルマのつけるあおいピアスだったり、
アタマのなかで《5番》のアダージェットがひびいているときの
恍惚としたアルマの表情だったり。
もしかすると、ここは『ヴェニスに死す』へのオマージュなのかも。

街での水、
険しい山の岩々、
あるいは、娘が亡くなったとき、
棺がはこばれるときのひとの配置、
といったところは美しい。
音的には、山でのエコーも。

あぁ、やっぱり、パーシー・アドロンは
ドイツ映画のなかにいるひとなのだなぁ、とおもったり。
そういえば、『バグダッド・カフェ』だって、
おなじように濃密ではなかったか、と
あらためておもう。

個人的には、
この映画に、結婚の問題、
ひとがひとを選ぶということ、
を考える。

公開は、渋谷ユーロスペースほかにて、
ゴールデンウィークであるらしい。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2011年01月20日 22時41分11秒
コメント(0) | コメントを書く
[映画] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.