|
カテゴリ:ライヴ/コンサート
読売日本交響楽団第503回定期演奏会(サントリーホール)。
震災で失われた命のために、予定されていたプログラムに先だって、 シルヴァン・カンブルランは、メシアン《忘れられた捧げもの》を指揮。 プログラムは、 プロコフィエフ《ロメオとジュリエット》抜粋 ラヴェル《ピアノ協奏曲 ト調》 [intermission] ラヴェル《左手のためのピアノ協奏曲》 ラヴェル《ボレロ》 震災後、音楽のみのコンサートにでむくのはこれが最初。 ロジェ・ミュラロの弾く2曲のラヴェルの協奏曲を聴きながら、 感じていたのは、 音楽を聴いてもいいんだ、と、 音楽にもどれる、と、 自分にはラヴェルがあるじゃないか、ということ。 長身のミュラロは、カンブルランとならんでもずっと大きい。 鍵盤をみていないとき、 顔が、指揮者ではなく、後方の打楽器のほうにむいている。 拍手が多く、ミュラロは、アンコールとして、 メシアン《前奏曲集》のなかから〈Colombe/鳩〉を弾く。 そのうしろで、ピアニストをみつめる指揮者。 《左手》を聴きながら、 この曲目のならびが周到に考えられていることに気づく。 2つのコンチェルトは併行して29年から30年、31年に作曲され、 《ボレロ》は1928年。 2つのコンチェルトのあとに、べつのものを持ってきてはいけない。 そうではなくて、《ボレロ》だからこそわかることがある。 単にこれらが近い時期に書かれただけではなく、 似たような要素によって組み立てられていること、 オーケストラの楽器の使い方において、共通していることが、 「みえる」ように、ひびかせられる演奏なのだった。 特に、トロンボーン、コーラングレ、そしてハープ。 《ボレロ》において、こんなふうにハープがつかわれているのか、 と気づかせられた演奏はなかったようにおもう。 2011年4月18日(月)、サントリーホール お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011年04月19日 14時06分59秒
コメント(0) | コメントを書く
[ライヴ/コンサート] カテゴリの最新記事
|