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2013年08月10日
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カテゴリ:映画
「ひとつの民族を愛したことはないわ。愛するのは友人……」

マルガレーテ・フォン・トロッタ監督による『ハンナ・アーレント』は、
この20世紀後半において欠かすことのできない、
『全体主義の歴史』の著者である思想家を、
ある1つのエピソードによってクロースアップする。
ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンのイスラエルでの裁判の傍聴と、
それについてハンナが「ニューヨーカー」誌に書いた記事の波紋
(『イェルサレムのアイヒマン---悪の陳腐さについて』として書籍化される)、
ユダヤ人の友人・知人たち、そのコミュニティ成員たちの反応・反撥である。
ハンナを演じるのは、バルバラ・スコヴァ、あの、シェーンベルクを歌う女優である。

ハンナは何度も横になり、ぼーっと考えごとをしたり、眠ったりする。
煙草に、ライターやマッチで火をつけ、吸う。そのときに、ぽっと火であかるくなる。
ときにはそのライターやマッチがしゅっと音をたてるのも(こちらの)耳にはいる。
そして、煙が、当然そのまわりには、たち、あたりに舞い、消えてゆく。

白黒のTV画面に映しだされる法廷のアイヒマン。
つねに退屈し、うんざりしている表情のアイヒマン。
(これは実物の映像で、役者が演じているのではない。)
法廷でおこなわれていることが自分とは無関係であるとからだ全体が発している。
それをこそ、ハンナは感じとる。
同時に、現在、その映像をみている「わたし-たち」もおなじことを感じる。
ただ、当時、あの場にいた人たちはそうした客観性は持ち合わせることはなかった。
そうしたハンナ・アーレントの感覚、客観性。

ハンナが友人・知人たちと論争し、ほぼラスト、大学で多くの学生たちを前に自らの立場を鮮明にする演説をおこなうシーンは圧倒的な迫力を持つ。
自らがユダヤ人であることはたしかだ、アイヒマンはナチスとしてユダヤ人を虐殺した。だが、アイヒマンは命令に従っただけだ。自分がどういうことをしているかを考えることもない。あまりに凡庸な、そして凡庸さゆえになしてしまうこと。
そう、試写室で、これをみながら、少なからぬ人びとは現在のこの列島の状況を想いおこしていたにちがいない。「ナチス」という名称の問題ではなく、凡庸に職務をはたす、ということにおける悪、を。そして、アイヒマン自身が言うのである、職務と倫理はつねに両方ともあったけれども、わたしに一体何ができたというのか、と。

映画にはまりはっきりでてこないが、ハンナ・アーレントはシオニズム運動に接近した時期があり、そこから徐々にはなれてようになる。ここでもイスラエルにいる旧友として、この運動へと導いたクルト・ブルーメンフェルトが何度も登場する。

たしかにハンナ・アーレントの思考の方向と姿勢が中心にはなっている。
だがそれと同時に、私人としてのハンナがつれあい、ハインリヒ・ブリュッヒャーと如何につよく結ばれていたかがとても重要な状況として表されている。この2人のあいだでは、親しげなことばとして、フランス語が用いられたりもするのだ。そして、台所でタマネギを切っているハンナとハインリヒの姿は美しい。
あと、女性、ということ。
目が溌剌とした、演壇のハンナにむけ、質問をむける女性学生がいる。
その姿は、ハイデッガーに問い掛ける若き日のハンナを反復し、そこにひとつの反復、歴史の持続を暗示する。

昔のアメリカの女性のファッション(ちょっと懐かしい……)。
ドイツなまりの英語。

音楽は、アンドレ・マーゲンターラー。
冒頭、とても不均衡なひびきのつなぎが特徴的で、期待が高まるのだが、本篇ではほとんどは持続音が中心で、画面に対して何かをつけ加えることはない。
あとは時代をあらわすために2曲ほど-----1つはハイデッガーがでてくるところで、というのが可笑しい------既存の音楽がつかわれるだけ。

岩波ホール創立45周年記念/セテラ・インターナショナル創立25周年記念、として、10月26日から岩波ホールにてロードショー。
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/





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Last updated  2013年08月10日 14時34分09秒
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