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2014年03月18日
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カテゴリ:日常
悲しみは一種の謎である。
というのも、進化論的な観点からすると、それに適当的な利点があるとはとても思えないからだ。
そもそも、繁殖の相手を見つけるのに役立つわけではない。
おそらく喪に服することは、亡き者にいま一度敬意を払うために集まった仲間同士の靭帯を強化するのではないかと言う学者もいる。
それは、いったん弱体化した絆を一度に結び直し、グループの結束力を強化するのに役立つのかもしれない。
いずれにせよ、その意義が何であれ、悲しみは、幸福と悲哀の源泉たる、仲間への献身的の代価なのである。
マーク・ベコフ『動物たちの心の科学(The Emotional Lives of Animals)』(高橋洋訳、青土社、p.116)

多くのエピソードに満ちた本。そうした部分だけ読んでも充分おもしろい。
でも、けっして単なるエピソード集で終わってはいない。
動物の「心」------筆者は情動(emotion)と感情(feeling)というような言い方をする------について、ひとはよく知っている。
実際にふれていれば誰だってわかっている。
しかしそれが科学としてどうなのか、客観性を持ったものなのか、そのあたりはいつもまた疑問だし、よくわからない
(というか、ヒトの「心」だってわかっていないのだから推して知るべし)。
科学者にしてからがそうなのだ。カクテルパーティで自分の愛犬の行動について楽しげに語る学者が、
壇の上ではまるで逆の立場をとるエピソードが本書にもあらわれている。
「心」があることによって、わたしたちはどうするか? 動物をどうとらえ、どう面するか? これが本書の問いである。

そもそもひとは、日本語であろうと外国語であろうと、動物を語るとき、「擬人化」する。
「よろこんでいる」「かなしんでいる」というふうに言う。
これが正しくない、と考える科学者はいる。ならば、動物独自の語であらわすことができるのか? 
ここで想いだすのは、ジャック・デリダの「白の神話」で、
ここで哲学者は「哲学から修辞学が。」という一文から、
言語としておなじところに立脚していることを、哲学と修辞学の不可分性をあらわにしてみせるのだが、
これはまた、動物を語る擬人化にも重ねられることではないか。

先にも記したように、
本書ではさまざまな実例が、ダーウィンからローレンツといった古典の延長上で記される。
そのうえで、よくアクチュアルな問題にはいっていく。
つまり、動物に「心」があったなら、わたしたちはどうするか、どうしたらいいのか、という問いだ。
そして、「心」があることによって、ヒトが困ってしまう、対処できなくなってしまうことどもがある。
さまざまな実験動物や動物園、食肉施設の環境。
そうして、筆者自らはヴェジタリアンであることが明かされる。
ともすればイデオロギー的なものに感じられなくはないのだけれど、それを全面的に押しだそうとはしていない。

そこでわたしたちは考える。食べること、について、だ。
生きているものと食べる
--------わたし自身は、そうしたなかでやはり砂漠育ちの一神教ではなく、
やはり仏教の姿勢を想起するわけだし、そこではあらためて食物連鎖をふかく思考した宮澤賢治の存在が浮上したりもする。

訳者は2012年に『魚は痛みを感じるか?』(ヴィクトリア・プレイスウェイト著、紀伊國屋書店)を翻訳している。
あの本も刺戟的だったっけ。

以下、結びの文章-------「情動は私たちの祖先からの贈り物であり、人間も動物もそれを受け取っているのだ。このことを絶対に忘れないようにしよう。」(p.263)





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Last updated  2014年03月18日 15時26分58秒
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