〈東京の夏〉音楽祭---日本の電子音楽
13時前にサントリーホールへ。日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で、開演前に15分、トークを。曲目はハイドン《オックスフォード》、武満徹《樹の曲》、ストラヴィンスキー《詩篇交響曲》。体調がいまひとつで、前日は聴けず、この日も、あとの用事があるので本番に立ち会えない。残念。特に《詩篇》は大好きなのに。タクシーで草月ホールへ。14:30から「第25回〈東京の夏〉音楽祭2009/日本の声・日本の音」、「日本の電子音楽」のコンサート。3つのパートから成り、プログラムAとBの選曲は坂本龍一。音響ディレクションはすべてのプログラムを有馬純寿が担当。全入れ替え制で、それぞれ14:30、16:45、19:00に開演。○プログラムA テープ作品集:「電子音楽の夜明け」黛敏郎 ミュージック・コンクレートのための作品《X, Y, Z》1953黛敏郎 《素数の比系列による正弦波の音楽》1955諸井 誠+黛 敏郎 《七のヴァリエーション》1956武満 徹 テープのための《水の曲》1960 [出演] 九世観世銕之丞(シテ方観世流能楽師)一柳 慧 《パラレル・ミュージック》1962高橋悠治 《フォノジェーヌ》1962真鍋 博『時間』1963(映像作品/音楽:高橋悠治)武満 徹《怪談》より〈木〉、〈文楽〉1964/66○プログラムB テープ作品集:「大阪万博へ」 湯浅譲二 ホワイト・ノイズによる《イコン》1967松平頼暁 テープのための《アッセンブリッジス》1968柴田南雄 《電子音のためのインプロヴィゼーション》1968一柳 慧 《東京1969》1969三善 晃 《トランジット》1969湯浅譲二 《ヴォイセス・カミング》より〈インタヴュー〉1969湯浅譲二 《スペース・プロジェクションのための音楽》1970坂本龍一 《個展》1978○プログラムC 佐藤聰明 作品集 《エメラルド・タブレット》 1978 (テープ作品) 《リタニア》 1973、《太陽讃歌》 1973(2台ピアノ、デジタル・ディレイ) 《宇宙(そら)は光に満ちている》 1979 (ソプラノ、ピアノ、パーカッション、デジタル・ディレイ)演奏-----小坂圭太(ピアノ)、稲垣 聡(ピアノ)、佐藤聰明(デジタル・ディレイ)野々下由香里(ソプラノ)、山口恭範(パーカッション)、どのプログラムもほぼ満席。AとBは入場料が安かったせいもあろうが、ライヴで聴く機会がないことも大きな要因だろう。実際、何がいいといって、こうした電子的な作品を、ホールで聴くと、よく知っているはずのものでも、全然違っている。空間が違うし、ひとがいるというのも違う。かつてパリでシュトックハウゼンのテープ作品を聴き、すごい!と思ったものだったが、やはり、だ。とはいえ、ずっと聴いていると、どこかで緊張が途切れ、一種の飽きもくる。いくら複数のスピーカを動かしても、クセナキスの言い分ではないが、スピーカの音になってしまって、それが飽きを生む、ということなのかもしれない。だから、AでもBでも、短いあいだではあるけれども、意識がとんでしまうところがあったのも事実。映像のある真鍋/高橋作品、舞いを加えた武満《水の曲》、多分に偶然的な光を組み合わせた一柳《パラレル・ミュージック》と、ただ観客がステージのほうをむいて、座っているというだけではない、照明などの演出も、やはりないよりは良かったと思う(そのくらいの提案は、「企画協力」として、していた)。何度聴いても笑わずにはいられない黛《X,Y,Z》、みごとに古典的な構成の湯浅〈インタヴュー〉------ほんとうは〈テレフォノパシー〉が好きなのだけれども-----、やはり電子的な作品としては「名曲」に価する湯浅《イコン》、意外に、やはりプログレッシヴ・ロックとの同時代性も感じられる坂本《個展》------こんなことを言うと、いやがられそうだけど-----。佐藤聰明《エメラルド・タブレット》を、広い会場で聴くのは31年ぶりか。佐藤さんがNHK電子音楽スタジオでこの作品をつくっているときに、ステジオを訪れたことがあったし、アメリカン・センターで初演したときにも聴いている。その頃とは、おなじ曲ではあるが、聴き方が変わっているのを発見もする。ライヴ演奏による3曲は、懐かしさもありつつ、しかし《リタニア》《太陽讃歌》は2台のピアノでの演奏ははじめてで、感じ、また考えるところが多かった。レコードで、ヴォリュームを家庭で聴ける程度で接しているとわからないもの、70年代後半のextatiqueな風土、環境からでこそ生まれえた作品。そのあたりが、やはり80年代以降の佐藤作品との違いとしてあるだろう。終演はほぼ21時。草月ホールのある「地下」に、14時過ぎからいたわけだから、7時間近く、外の状況に触れずにいたわけだ。四半世紀つづいた「〈東京の夏〉音楽祭」も今年で終り。危惧はしていたものの、決まったのは今回のシリーズが始まる直前だった。25年のあいだ、つながりを直接持つようになったのは後半で、前半の頃は興味があってもなかなか行くことができなかったりした。いま一緒に仕事をしているA.A.とも、はじめて顔をあわせてのは、何回目かのときだったし、いろいろと想いだすことは多い。うちあげが0時過ぎに終り、H氏とタクシーで、高速道路をとおって、帰る。途中、工事のために、少し時間がかかってしまい、最寄りのところに着いたのは0時半過ぎくらいか。歩いていると、むこうから、蕎麦屋のおじさんが歩いてくる。立ち止ったりしている。こんばんは、と声をかけて、ちょっと不穏な空気、饐えたような臭いがするのでまわりを見回すと、何と、火事の後、である。おじさんが教えてくれるに、14時過ぎに火がおきて、消防車が何台も来て、大変だったそうだ。(ちょうど、草月ホールにはいった頃から、である。)深夜でもまだ、となりの駐車場に数台待機していた。ここ数日風がつよかったが、おさまっていてよかった。家は古いものだったが、全焼。骨格だけが残っている。長い1日------いろいろとあった1日。2009年7月11日(土)。