2009年11月14日

「風の中のロウソクのように不安定に」

青山だとばかりおもっていたのだが、
メトロ内でちらしをみると、渋谷、
それもタワーレコードのすぐそばであるのに気づく。
だが、会場の近くの坂を何度か上がったり下りたり、
(ばったりM.Y.さんに会って、2人して、だ)
しまいには電話して、あと数歩歩けば入口であったことに気づき、
がっかり。

前日が寒かったからセーターなんぞ着ていったので、
会場では、脱がざるをえなかった。
ひとがいっぱい、しかも暖房まではいっているかのようで、
酸欠になりそう、とそばにいたH.M.さんが言ったほど。

若手音楽家支援プログラム2009と、
プログラムの上のほうに小さくある。

現代日本の作曲家と出会う
第4回 高橋悠治の音楽
「風の中のロウソクのように不安定に」

はじめに、作曲家が少し長めに話をする。
若い作曲家とのつきあいはない。
なぜか、といえば、わけがないこともない、
と、1930年代の状況の話から、はいってゆく。

富山妙子の木版画連作『倒れた者への祈り』をスライドにし、音楽をつけた
《光州1980年5月》(1980)。
曲そのものはよく知っているし、自分ですこしいじってみたこともある。
映像とははじめて。
そうか、映像があってこそ、こういうふうになるんだ、
というのがいちいち腑におちる。
用いられている素材についても、作曲者はあとで説明をする。
映像は、元がスライドだから、
ひとつ、そして、ひとつ、というふうになってゆくのだけれども、
1枚1枚だからこその迫力、
いや、絵であるからこその迫り、がある。
ピアノは大須賀かおり。

会場の藤井貞和を招き、『青森蛙』の朗読がある。
つづいて、
若い作曲家、桑原ゆうによる箏弾き語り作品《青森蛙》(2009)。
作曲家曰く、
はじめは五線で書いていたけれども、
演奏家とやりとりしてゆくうちに、こういうふうに、
と大きく、横長のグラフィックと呼んでもいいであろう楽譜を、会場にむかって見せる。
つづいて、おなじ詩にもとづく高橋悠治《青森蛙》(2000)。
こちらは、モリアオガエルの声もパソコンからながしたりして。
演奏はともに西陽子。

休憩のあと、
とても珍しい、貴重なパフォーマンスがある。
富山妙子/高橋悠治による絵本『けろけろころろ』(2004)を
スライドで映写しながら、作曲者自身がピアノを弾き、朗読する、というもの。
ストーリーというよりもオノマトペが多いのだが、
その発音というか言い方というか、に、もう、おもしろいやらおかしいやら。
これが聴けただけでも来た甲斐がある、というもの。

つづく《bachiana afroasiatica》(2007)では、
バッハの《パルティータ第6番》の各舞曲のさわりを演奏してから、
あらためてこの短い10曲からなる作品を自作自演する、というもの。
ヨーロッパ宮廷舞曲の由来については、
かつて〈東京の夏〉でもほとんど変わらぬレクチャーがあったけれど、
しかし、より、くだけた、笑いをさそう話になっている。
また、さわりだけでもバッハがいい、のである。
短い曲のタイトルは、クルアーンのなかでつかわれる「何々にかけて」という
一種の枕詞に由来するという。

最後は、箏唄、《鹿(のうた……)》(2008)。
これもテクストは藤井貞和で、詩人はふたたび朗読をする。
作曲家は鹿にもとづく古事記の話を披露、
威嚇したり発情したりしたときの鹿の声もながす。
この声にはかなり度肝をぬかれる(自分だけではなかったようだが)。
演奏はやはり、西陽子。

会場では何人もの友人・知人に会う。
西陽子はドイツ、ハンガリーから戻ってきてほどないところで、
かの地のドイツ文化センターにいる、共通の友人Y.M.と会ってきたんだ、
という話なども聞く。

2009年11月14日(土)17:30-/トーキョーワンダーサイト渋谷





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Last updated  2009年11月17日 17時26分25秒
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