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ぬるま湯雑記帳

巻之九

女子寮騒動顛末 をんなのそのさわぎのあれこれ  
ふくすけ 巻之九 欲越不能茶畑之関 こすにこされぬちゃばたけのせき 

 田舎は決して静かなわけではない。田んぼの中の一本道や交通量の少ない急カーブなどは、イカした(と本人たちが思っている)にいちゃん達がイカした(と本人たちが思っている)マッシーンに乗って走るにもってこいの場所である。茶畑の中の一本道、民家少なくおまけに女子寮が道に面しているところなど、彼らがほっとくわけがない。入間の兄ちゃんその名も「いるにい」、要するに入間の暴走族は、特に夏場多く寮近辺に出没し、道に面している二棟の住民をおびやかした。
 寮には冷房がなかった。そのくせ埼玉は平気で三十七度とかになる。さらには連夜の熱帯夜。においがどうこう言っている場合ではなく、窓を開けないと生きていかれない。猛暑の折には洗濯物入れのバケツに水をはって、その中に足を入れて暑さを凌いでいたとかで、どう考えても私立女子大の寮とは思えない施設だったのである。で、この「窓を開ける」という行為がまた、いるにいのハートをぐっとつかむようだった。
 「おねーちゃーん、顔出してよー、話しよーよー」
こんな叫びが聞こえてくる。窓を開けているため声は筒抜け。うっかり声につられて顔をだそうものなら、余計図にのって収拾がつかなくなる。

 私達より十年前の寮生の話によれば(大学の講師が卒業生で寮生だった)、当時いるにいが例の叫びと共にやってくると「アイス買ってきたら話してあげるー」と切り返し、そのとおりに買ってくると今度は「この籠の中に入れてー」と言って、紐をつけた籠をするすると下ろし、その中にアイスを入れたのを確認するや、かあーっとあげて「じゃーねー」と窓を閉めていたらしい。さすがだ…。
 また「名前教えてよー」と言われた際には、「マーツーコー」と答え、その後苦労の末寮の電話番号を調べたいるにいによって、寮内最高齢総舎監長マツコが呼び出されたこともあったようだ。
「マツコさん、お願いします」
「マツコは私ですが」
「?」
「?」
…十年も経つとそんなのどかさもおおらかさも無くなって、世相柄「ヤバいやつには近づくな」ということになった。どれだけ「ラ・クカラーチャ」やバイクのフカし、「オチのテーマ」が聞こえようとも、窓から顔を出さないというのが掟となった。

 それでも「はずみ」というのがある。私が二棟にいた時、夜たまたま外を見やった瞬間、車で待機中のいるにいとバッチリ目があって、かなりの時間ねばられたとか、日曜の昼間「絶対気付かないよね」とふざけて友人といるにい二人組に手を振ったところ、しっかり気付かれ、茶畑の中から振り返されて部屋で伏していたことなどがあった。これもかなりの時間だった。「もういいよね」と顔をあげるたび、茶畑から手を振ってきた。…今考えるとストーカーだよなあ。当時はそんな言葉などなく、いるにいの一言で済まされていたのだった。人が生きやすかったのかもしれない。まあ、そのぶん認知もされていなかったのだろうけど。
 誰がつけたか、いるにいという間の抜けた響きをもつ呼称は、同時に彼らの間抜けた行動をも表していた。そんなにおねえちゃんに飢えていたのかしら。そんなにおねえちゃんと話したかったのかしら。今考えるととても可愛い…かもしれない。(続く)


1998年5月1日発行 佐々木ジャーナル第20号より(一部変更) 千曲川薫


現在暴走族は高年齢化してるそうで、当時「いるにい」だった彼らは、今も「いるにい」でいるのでしょうか。「ラ・クカラーチャ」はさすがに流さなくなったのでしょうか。ストーカーとはちょっと言いすぎでしょうか。茶畑の中にひそんでいた2人組、思い出すと笑ってしまいます。



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