京都の西北 桜の里 原谷から
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現在の原谷中央公園の場所は、以前は原谷開拓農協の事務所がありました。開拓農協が解散後も地域の集まりや選挙の投票所に使われてきましたが、火事で消失してしまいその後は簡易なプレハブを使用したり建物を借りたりしておりました。この度、市からの補助金と地域からの寄付により、公民館を建てることになり、昨年に着工しました。木造平屋で造られるとのことです。待望の公民館、楽しみです。
2019年01月06日
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古くから原谷でスーパーマーケットを営んでおられます、丸正スーパーですが…何やら貼り出してありますね。よく見ると、なんと、8月10日で閉店するそうです。このスーパーは、このブログのタイトル画像になっている公園の真向かいにあり、地元の方だけでなく桜のシーズンには観光客の方もバス待ちがてらに利用されています。スーパーマーケットらしくなく、日曜祝日はお休みでしたが、原谷唯一のスーパーだっただけに、ご近所の方は不便になるかもしれませんね。
2016年08月03日
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何やら年に一度の更新しかしないブログになってしまいましたが、今年も桜がきれいに咲いたので、写真をアップしたいと思います。今年は、久々に原谷苑に行ってまいりました!先日の強風でかなり散ったと思うのですが、枝垂桜がきれいでした。桜だけではなく、他にも色とりどりの花が咲いていました。 まずまずのお天気で、たくさんのお客さんが来られていました。遅咲きで知られる御室桜もあり、これはまだつぼみが膨らんできたところなので、まだしばらく楽しめると思います。
2016年04月09日
年に数回のアップが定番化しております。この間まで雪が降ったりしておりましたが、ここしばらく暖かい日が続いて桜も花開きました。今日は花見日和の日曜日…と行きたいところですが、あいにく昨日からの雨が続いており残念です。けれども、原谷の桜は「下界」からは1週間遅れですので、もしかすると次の日曜日までは持つかもしれません。この後は御室桜もあって、楽しみな日々が続きます。
2015年04月05日
久々のアップになります。この間荷物をごそごそ整理していたら、出てきました。朝日放送朝の番組(長寿番組!)”おはよう朝日です” のスタートメンバーですね。後列真ん中で目立っているのが司会の乾龍介アナ、左は朝日新聞解説委員でニュース担当だった山田浩さん、右はスポーツ担当の花井悠さん、前列左はアシスタントの粟生ひとみさん、右は以前にご紹介したエレクトーン担当の伊地知温子さんです。宛名面にある朝日放送の住所も古いものです。自分あての「おめでとうはがき」、これをなぜ持っているのか忘れてしまいましたが、多分誕生日を番組に送ったら、返信で封筒に入れて送ってきてくれたのでしょう。おはよう朝日ですについては今でも覚えている場面がいくつかあります。お天気カメラで公衆電話をアップで撮ると、そこに視聴者がやってきて、電話で出演者と話す、というのがありましたが、もっとすごいのは歌のゲストでも同じように公衆電話でしゃべってから、歌う様子をお天気カメラで撮るといったもの(歌が聞こえるわけがない)でした。口パクだったわけですね。また、当時新製品として出てきた「垂直レコードプレイヤー」でレコードをかける形で音楽を流すコーナーがありましたが、そのレコードプレイヤーを映しているときにレコード押さえが外れてガタンガタンレコードが回転してしまいました。しかし音楽は何事もなく流れていましたから、ああ、単にこれは見せる演出だったんだなあと気が付きましたね。1979年から始まった「おは朝」、未だに続いています。立派なものですね。最近【朝日系】がいろいろ言われていますが、この番組は貴重な関西ローカルの朝番組として続いてほしいものです。
2014年09月20日
寒かったり雨が降ったりいろいろありましたが、桜が満開になりました。 昨日の雨で少し散っていますが、今日が冷えているので長持ちするのではないでしょうか。自動車が多いです。できれば公共交通機関で来てくださいね。 皆さん御目当ての原谷苑さん行きのシャトルバスが、西大路通金閣寺道の有料駐車場から運行されているのでチェックしてください。詳細はこちら原谷苑の公式ホームページへ
2014年04月05日
昨日の夕方の様子です。この数日でちらほら咲き始めました。木によって早い遅いがありますが、原谷のメイン?の桜はまだこんな感じです。次の土日はいい感じになるのではないでしょうか。
2014年03月30日
ひさびさにアップします。春は名のみの~ という歌の通り、寒い日が続きました。というわけで、当然ながらまだ桜の便りは来ていません。4月には入学式がありますがそれには間に合うでしょうかね。また桜の様子をアップしようと思います。
2014年03月23日
この1週間でここ原谷の桜も花開きました。1週間くらいで見ごろになるでしょう。長持ちしてほしいですね。
2013年03月30日
思い出したように書くわけですが、ようやく原谷にも桜の季節がやってきました。もうすぐ桜の花咲くよい季節になりますね!
2013年03月23日
明日は原谷のお祭りです。原谷弁財天の年に一度のお祭りです。神輿が出て、賑やかになります。いい天気になりそうでよかったです。
2012年10月20日
以前の記事で能瀬慶子を見にわざわざあやめ池まで行った、ということを書きましたが、それに関連したものを先日実家で見つけました。この9月30日の回に行ったんですね。前売り1,600円!当日1.700円。てっきり入場料だけで見たと思ったが別の料金を払っていたなんて。この回は3人で1,600円、次の週は川崎麻世一人で1,600円だったのですね。「秋のヤングスターパレード」というコピーに時代を感じます。
2012年07月22日
桜のシーズンが終わり、またしても長い休業に入ったような感じですが、突然思い出して岡田有希子さんに触れてみたいと思います。 岡田有希子さんについてのことは、以前の記事を見て下さい。 タイミングを外しておりますが、去る4月8日は岡田有希子さんの命日でした。 1986年4月8日、岡田有希子さんは自らこの世を去ってしまった。1967年生まれの18歳で人生を終わったのでした。 それからもう26年も経ちました。 その当時、よくこんな報道ができたなと思うような記事があちこちに出ていました。 今から思うと、「うつ」などの症状が昂じてこのようなことになってしまったのではないかと思うのですが、当時はそんなことに触れるメディアは皆無で、覗き見趣味みたいな内容ばかりでした。 最近は自殺に対する予防ケアも行われていますが、自殺者数が目立って減るということもないようです。 さて、岡田有希子さんがデビュー当時に出した本ですが、最近の高校生ではこんな事欠かないと思うような『可愛い』内容なのだそうです。 絶版なのですが復刊して欲しいと思っています。ご賛同いただける方は「復刊ドットコム」にてぜひポチってください。よろしくお願いします。
2012年05月20日
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近所の桜が散り始めました。 風が吹くと花びらが舞います。 心待ちにしていた春ももうすぐおしまい。
2012年04月17日
昨日は雨が降りましたが、ここ原谷の桜は遅かったせいか、まだまだ盛況です。 今日あたりたくさんの方がおいでになるのかな?
2012年04月15日
タイトルにある公園の桜です。今朝は七分咲きと言ったところでしょうか。 今週末はたくさんの方がおいでになることでしょう。
2012年04月12日
昨日の朝やっと咲き始めた桜ですが、一日で一気に咲きました。 今日はあいにくのお天気ですが、散らずにすみそうです。
2012年04月11日
下界より遅いここ原谷の桜ですが、やっと咲き始めました。 明日は天気が崩れるようですが、散らないで済みそうです。
2012年04月10日
京都市内では桜も咲いてきていますが、ここ原谷の桜は例年のように少し遅いです。ただ、これから暖かい日も多いようなので、数日中には花開くでしょう。
2012年04月08日
寒い日が続きましたが、この数日間はいい陽気になりました。 近所の桜のつぼみもようやく膨らんできました。 入学式には間に合うかな?
2012年03月29日
久々の投稿です。 なんと、原谷に2軒目のコンビニが建設されています。 写真では見にくいですが、ミニストップが建設中です。 実はこの先20メートルほどのところにサークルKがありまして、原谷唯一のコンビニとして結構利用されているわけですが、その目と鼻の先に殴り込みをかけてきた形です。 小さな集落に2件のコンビニ。 こちらとしては選択の幅が広がって良いのですが、果たして共存できますでしょうか。
2012年02月11日
きのう29日、「岡崎・あかりとアートのプロムナード」へ出かけました。 岡崎とは京都市左京区の地名ですが、岡崎公園、京都市美術館や京都会館などがあるエリアを表す言葉としても使われます。むしろ京都市民の間ではこちらの言い方がメジャーかもしれません。 この岡崎エリア、昼間はよいのですが夜は人通りも少なく、活気がないといわれていました。 京都会館でコンサートがあり、夜の9時ごろにコンサートが終演したら、周辺に何もないので一目散に帰るのだ、といわれたこともあります。 私自身も、春に開催される「花灯路」で三条神宮道から北の岡崎エリア方面を見たとき、花灯路のエリアの華やかさとは対照的な暗さで、まさに「闇に沈む」といった感がしました。 今回、その岡崎地域に夜の賑わいをということで開催されました。 あんどんが足元に並べられ、建物はライトアップされていました。美術館の建物は「ときあかり」という映像と音楽のパフォーマンスの場所となっていました。 しかし、正直なところ「もうひとつ感」がしたのです。 広い車道があり、そこには道路照明灯があります。歩道の街灯も明るいため、あんどんが目立たないと思いました。 また、歩道は暗くてせっかくのパンフレットが読めません。 岡崎公園内ではカフェが出展されていましたが、周りの樹木にさえぎられてその様子が少し離れたところからはよくわかりませんでした。 やはり車道を歩行者天国にして、人の目の高さくらいにもう少しあかりがあったほうがよかったのではないかと思いました。 でもそれらの点を差し引いても、自分にとってはよかった点が多く、なかでも京都市美術館の夜間開館がよく、ワシントン・ナショナルギャラリー展を見ることができたのが収穫でした。 モネ、ゴッホ、セザンヌ、ゴーギャンといった有名どころがいっぱいで、私のような深い知識のないものも興味深く鑑賞いたしました。 こういうイベントのときのみならず、平日の夜の開館があれば日ごろなかなか訪れることができない人も美術に触れられるのではないでしょうか。 今回のイベント、この一回のみならず次にも、もっとパワーアップして開催されることを願います。
2011年10月30日
最近、ネットでは『マスゴミ』やら『新聞は信用できない』やら、メディアを否定する論調を見受けます。 これまで、テレビラジオや新聞などのマスメディアが「世の中を映す鏡」であると聞いてきました。これらを通して世の中を知ってきた、と思っています。 鏡は、その前にあるものを映しますが、鏡がゆがんでいるとその像もゆがんでしまいます。 昔、科学センターでいろんな形をした鏡の前に立って、伸びたり縮んだりする自分の姿を見て楽しんだ思い出があります。 普通の鏡を見ているから、そういう『変わった』姿を見ても面白いと思うだけですが、もしゆがんだ鏡しかなかったらどうでしょう。それらが本当と思い込んでしまうかもしれません。 マスメディアは言うまでもなくただの鏡ではなく、生身の人間が行っているものです。ただ来たものを反射するのではなく、自ら意思を持って情報を取り、咀嚼して世の中に出す役割です。 マスメディアは単純な鏡ではなく、意思を持ってそのメディアがこうだ、と思うように情報を出しているのです。 それを、公正ではないとか本当のことを隠しているとか言うのは、ちょっと違うように感じます。 何が公正で、何が本当のことかというのは、唯一の答えとしては誰もわからない。「本当らしい」「公正と思う」と言うのはできますが、確定はできないものだと思います。 マスメディアも同じことであり、マスメディアに対して、完全に公正な立場にたっての報道を求めるのは難しいと思います。 であれば、情報を受ける我々が取捨選択し、判断をしていくことが大切だと思います。 鏡がゆがんでいるかどうかを判断する。そのためには、いろいろ勉強しなければなりません。そのための勉強ができる場として、学校教育というものを再構成するべきだと思います。 マスメディア型だの単純な鏡ではないということがわかりました。その次の段階に進むことが求められています。
2011年10月02日
運動不足を痛感する今日この頃・・・先日ホームセンターに行った折に、思いついてなわとびのなわを買って来ました。あまり上等のものではないですが。買うだけ買って長く置いてありましたが、昨日思い切って近くの公園でやってみました。昼間では恥ずかしいので夜に、誰もいないことを確認したのはもちろんのことです。久しぶりにやってみたら・・・2回、5回、8回、、、、10回連続で跳べない!!!長さもあわせたし、大丈夫なはずなのに・・・ もう一度!7回、5回、、、これでもかというくらいに引っかかります。大ショックであります。こんなになわとびが跳べないとは・・・きっとなわのせいだ。そういうことにしておこう。
2011年09月19日
今の家に引っ越してからちょうど3年が経とうとしています。 道路を挟んだ向かい側に中央公園がありまして、例年盆踊りの会場となっております。 昨日、盆踊りの準備も整い、夕方からは録音ではありますが炭鉱節やら大漁唄い込みやらにぎやかに流れていましたが・・・ 雨! 焚き火に水をかけたようにシューンとなってしまいました。 結局盆踊りは中止。静かな夜でありました。 いつもは音頭と話し声と露店のにおいなど、夏の風物詩といえばそうなのですが近所にいるとちょっと・・・と思うこともあります。 でも無ければ無いで寂しいものですね。 今日は隣の町内の地蔵盆がやはり近くで行われていて、朝から学校の吹奏楽部の演奏を家の中から聞かせていただきました。
2011年08月21日
伏見桃山城運動公園は、以前キャッスルランドという遊園地があった場所を整備して作られた公園です。以前キャッスルランドとその横にあったプールに行ったことがありますが、運動公園になってから一度も行ったことがなかったので、少年野球の試合の観戦がてら出かけました。駐車場の入口です。以前と変わりなく、お城っぽいつくりです。案内書きです。券売所の跡です。ここでプールの入場券を買ったことを思い出しました。ここに書いてあるとおり、天守閣は現在公開されていません。案内図です。こうしてみるとシンプルですねえ。天守閣と小天守閣です。結構市内の遠くからでも見えます。天守閣についての説明書きがありました。ここにありますように、この天守閣は昭和になってから建設されたものであって、文化的歴史的価値がなく、耐震上も問題があって非公開になっています。以前公開している時に来ましたが、秀吉の黄金の茶室の復元したものがあったのを覚えています。でも立派なつくりです。天守閣の入口だった門です。当然固く閉じられていて入ることはできません。天守閣の前からグラウンド方面を見たところです。以前はここにキャッスルランドがありました。古い遊具があったことを覚えています。野球場です。京都市内で硬式野球ができる数少ない球場です。この他にはわかさスタジアム京都と横大路野球場しかありません。お城をバックに野球ができる球場です。隣には多目的広場があり、軟式野球やサッカーなどができます。駐車場はタイムズになっていました。最寄の駅はJR桃山駅ですが、そこからかなり長い上り坂で歩いてくるのは大変ですね。昔は近鉄バスが近鉄桃山御陵前駅からキャッスルランド行きとして運行されていたこともありましたが、今はありません。私が行ったときには、グラウンド利用者の他は訪れる人も少なく、近所の方が散歩にこられるくらいのように思えました。個人的には、天守閣の公開が復活してほしいと思っています。
2011年08月13日
明日は立秋ですが、厳しい暑さはまだまだ続きそうです。 特に京都の暑さは格別!といっても最近京都から出ていないので、比べられないのですが・・・ 月遅れ、というとお盆。東京の方では7月なんですね。京都では8月で、これが普通と思っていましたが、ニュースとかでは「月遅れ」と報道されています。 ご先祖様が戻ってこられる、そして16日に帰られるので送り火をたく、ということで8月16日には五山の送り火(大文字の送り火)が行われます。 あ、決して「大文字焼き」とは言わないように。 子孫が東京と京都にいたら、ご先祖様は2ヶ月連続で子孫に会いに行かなければならない、忙しいですね。 月遅れといえば、七夕もありますね。本来七夕もお盆の行事の一つだということで、ゆえに七夕もお盆と同様月遅れがあるのだそうです。 月遅れの七夕といえば、仙台が有名ですね。 京都でも七夕は7月なのですが、最近京都でも月遅れの七夕を発見しました。 「京の七夕」8月6日から15日まで、市内の数箇所でをやっています。 例年祇園祭が終わった後、特にイベントがないうえに暑さが災いして、夏枯れする観光をてこ入れするイベントなのでしょうが、これが定着すればまた新しい京都の魅力になるのではないでしょうか。
2011年08月07日
思い出したようにブログを書いております。祇園祭真っ最中!と書きますと、「えっ?もう終わったんじゃ・・・」という方もいらっしゃるかもしれません。実は、祇園祭は7月1日から31日までの1ヶ月間あるのです。もちろん、1ヶ月間ずっと騒ぎっぱなし、というのではなくて、いろいろな行事が1ヶ月間の中に行われるということです。あの有名な山鉾巡行もそのひとつというわけです。今日は花笠巡行が行われましたが、これは以前山鉾巡行が17日と24日の2回あったのを1回にまとめたとき、その空いた日に行うようになった、というものです。なぜ、2回あったのか。それは神輿の渡御に関係します。「えっ?神輿」とまたまた。そうです、他の御祭りと同様、御神輿が出ます。どちらかというと、祭りではこちらがメインではないかと。八坂神社から出ますし。ちなみに、山鉾は鉾町から出ますが、八坂神社には出入りしません(八坂神社の近く円山公園に収蔵庫がありますが)。この御神輿、3基出ますがそれは勇壮なもので、祇園祭のイメージが少し変わるかもしれません。担ぎ手も全国から集まるということで、実は町内の人は担がないといいます。で、山鉾巡行が2回というのは、神輿が八坂神社から氏子町内を巡り御旅所へおいでになる(おいで)が17日、御旅所から再び氏子町内を通り八坂神社へおかえりになる(おかえり)が24日にあるその朝に、怨霊を清め祓おうというものである、ということなのです。おいでとおかえりがあるので山鉾も2回巡行するわけです。同じ山鉾が2回回るのではなく、先の巡行とあとの巡行それぞれに分かれています。コースも今とは違いました。今は1回になってしまったのですが、先の巡行列(長刀鉾から船鉾)のすぐあとに後の巡行列(北観音山から南観音山)が続いています。鉾町では、北観音山が同じ道にある、南観音山の北側にあります。巡行は南行して四条通から始まりますので、順番が先の北観音山が順番があとの南観音山の後ろにある形になります。そのため、南観音山は四条通に先に出て、北観音山に先を譲るということをしています。なぜ、このようになっているのか?それは先に書いたように、巡行のコースが以前は違ったからです。以前は北上し、三条通を通っていたのです。ですから、北観音山のあとに南観音山がついて北上すればよいわけです。最近、山鉾巡行を以前の形に戻そうという動きがあるようです。後の巡行列の山の中には、今年北向きに山をたて、わざわざ北上して三条通を通ってから四条通へ出て巡行に参加したものもあったそうです。元の形に戻るときは来るのでしょうか。祇園祭は、来週7月31日、八坂神社境内の疫神社夏越の祭で終わりを迎えます。
2011年07月24日
以前、スクーターの点火プラグを交換した、という記事を書きました。で、梅雨に突入したわけですが、状況はどうなったか、というと・・・すこぶる快適です。雨降りでもエンストしなくなりました。古いプラグは、碍子部分(白いなみなみ部分)が黒く汚れていて、さらに電極部分が減っていました。想像ですが、汚れている部分が雨で湿気を含み電気が漏れ、さらに電極部分が減っていたので点火に失敗→エンスト、となっていたのではないでしょうか。点火プラグ交換に当たっては、プラグコードの内側も清掃しましたので、しばらくはこの調子が続くと思っています。
2011年06月19日
原付スクーターに乗っています。スズキレッツ2スタンダードという、古いやつです。今年で9年、2万キロを超えていますが通勤の足としてがんばってくれています。が、寄る年波なのか最近雨降りに乗るとエンストするようになったので、スパークプラグ周りの点検とプラグ交換をしました。9年にして初めてのプラグ交換です(^^;)それにしても手の届きにくいところにプラグがありますね。這いつくばるようにしてプラグコードを外し、プラグレンチを使って外そう…と思ったらこれが固いの何の。長期間使用のせいかなかなか緩みません。何とか緩めて外しますと真っ黒のプラグが登場。左が使用後、右が使用前です(一目瞭然ですね)。エーモンのプラグレンチ(棒を通すやつ)を最初に使いましたが、固くて回すことができませんでしたので、ラチェットレンチセットに入っているプラグソケットを使ってモンキレンチで回してやっと外せました。最初からそれを使えばよかった。
2011年05月22日
近くにいながらなかなか足を運ばなかった、御室仁和寺へ昨日行ってきました。これは山門にあたる二王門を中門から写しました。ちなみに、「仁」王門ではないのですね。遅咲きで知られる御室桜もさすがにこの状況でした。せっかく来たので、「御殿」「霊宝館」で800円(それぞれ単体では各500円)、さらに国宝の特別公開(金堂と観音堂)で800円、計1600円という大枚(?)をはたいて堪能してきました。御殿の中にはこんなお庭もあります。いいお天気ならもっと良かったかも。「特別公開」という言葉には弱いのです(^^;)金堂は、京都御所の紫宸殿を移築したそうです。そういえば菊の御紋が。金堂は毎朝お勤めがなされていて、境内の宿坊に泊まった方は金堂でのお勤めに参列できるそうです。仁和寺の外側にある八重桜はまだまだ咲いていました。
2011年05月04日
ちょっと前の話になりますが、田中好子さんがあまりに早くこの世を去りました。田中好子さんといえば、キャンディーズのスーちゃんですよね。キャンディーズの活動時期は1972年から1978年の6年間で、解散してから30年以上たつわけですが、やはり私にはキャンディーズなのです。この時期は私にとっては小学生から中学生の時期で、後にミーハーとなる準備段階といえる時期(^^)なのですが、印象に残っています。全員集合によく出ていましたから、それで覚えているのかもしれません。最後のシングルになった(この後にも1曲出ていますが、それは置いといて)『微笑がえし』は、特に記憶に残っているものです。キャンディーズの集大成ともいえる曲で、それまでの歌のタイトルがちりばめてあるうえに振り付けにもそれまでの歌の振り付けが入っています。明るいお別れの曲で、「おかしくって涙が出そう」というところがなんともいえません。このあたりは、当時ではなく自分がおとなになってはじめてわかった感じがします。 「私たち、普通の女の子に戻りたい」というセリフは有名です。解散後、メンバーがソロで芸能界に復帰したときには、「なんや、普通の女の子に戻りたいってゆうてたのに」と不満に思ったものですが、今になればその気持ちもわかる気がします。お年頃の女の子なのに、アイドルということでプライベートもなく、休みもなく、ヒット曲が義務付けられ、それは大変な毎日だったのだと思います。解散を表明してから実際の解散までは半年以上あったわけですが、その間もカウントダウンになり、解散コンサートもありました。結局最後までプロモートだったわけですね。スーちゃんはソロシンガーで復帰したあと、女優として活躍します。キャンディーズは6年間でしたがそのあとの活躍のほうが長かったですね。私はスーちゃん派で、途中でセンターがランちゃんに変わったときには大変残念に思ったものです。そのスーちゃんが一番早くさよならというのは本当に残念でした。これからもどんどん活躍できたはずなのに・・・告別式で流された音声は、本当に立派なものでした。皆への感謝と大震災の被害者の力になりたいとのことば、本当に感動しました。覚悟を決め、落ち着いて語る言葉の数々、すばらしいことでした。自分もこうありたいと思いました。
2011年05月01日
住宅用火災警報器の設置が義務付けられ、その期限が5月末に迫っています。我が家ではなかなか設置できませんでしたが、安いものをネットで見つけましたので、購入して取り付けました。ちなみに、購入したのがこれ↓【6個以上で送料&代引手数料無料!】【数量限定特価!】音声で異常を通報するのでわかりやすい...1個1900円弱(税込み)で手に入りました。最新の薄型ではなく、連動もしませんが、我が家にはこれで十分です。取り付けも簡単でした。プラスチック製のベースを2本の木ねじで天井に取り付け、そこに電池を入れた本体を取り付けるだけ。壁掛けにも使えますが、石膏ボード用の金具は附属していません。電池は専用のリチウム電池で寿命は10年間。本体の取り付けはベースにつけて回転させるだけです。天上の取り付け位置を探すのに少々時間がかかりました(さん木のあるところ)が、取り付けそのものは1箇所10分程度で終わりました。ひもは警報停止用で、通常はこれを引くことにより点検できます。本体のボタンでも同じ機能があります。これで安心ですが、この警報機のお世話にならないよう、火の用心に努めたいと思います。
2011年04月30日
東日本大震災で被害を受けられた方に対し、謹んでお見舞い申し上げます。地震、津波に加え原発事故による放射線の影響と、苦難が続いております。遠くからは義援金や物資などで協力させていただくよりほかありません。また、そのような中捜索や片付け、また原発の応急作業に挺身されておられる方に対し、心から敬服します。自然の威力をまざまざと見せられました。また、電気に頼った生活がいかに脆弱かということを思い知らされました。この震災を機に、直接の被害がなかった私も、日ごろの生活を改めなければと思いました。さてそうした中ですが、今年も原谷に桜の季節が訪れました。今朝携帯で撮影した写真ですが、ピンボケのうえに曇り空であまりパッとしませんね・・・この木は早い方で、ほかの木はまだ5分咲きというところです。けれど、あと数日で満開になるでしょう。この土日は多くの方が来られるのでしょうか。
2011年04月08日
このたびの大震災において被害を受けられた方に対しまして、心から御見舞い申し上げます。 あの日私は仕事中でしたが、結構大きなゆれが長時間続きびっくりいたしました。すぐにネットで情報を検索すると東北地方で大地震発生とのこと。 遠く離れた京都市でもはっきりとわかるゆれだったので、震源地近くでは相当大きなものであろうとは思いましたが、まさかこんなことになろうとは思いもしませんでした。 しばらくすると東京タワーの先端が曲がったとか、大津波警報が発令されたとかどんどん情報が入ってきます。 それからの状況については、ここに書くまでもありません。津波の威力をあらためて思い知らされました。一日も早い復興をと思うのですが、いまだに行方不明の方が一万人を超えるような状況で、本当に大変な状況です。避難されている方の生活の立て直しも急がれます。 ボランティアとして現地入りするにしても、インフラが復旧していない状況では足手まといになる危険性があります。一日も早くインフラ整備がなされることを遠くから祈り、義捐金や生活物資での協力を微力ながらさせていただいているところです。 16年前、阪神淡路大震災が起こりました。そのときは今ほど情報網が充実しておらず、長らく現地の状況が伝わらなかったと記憶しています。 公的避難所に避難しなかった方々には援助物資が届かず、たまたま援助物資を積んで通りかかったトラックを止めて物資を配った、という話を聞きました。 今回は情報網がそのときよりも充実しているとはいえ、被害が広範囲ですので避難されている方を把握できているのか、物資は届けられているのかが心配です。 津波で流されたがれきや車の処理も簡単にはできないため道路通行が困難なところがあること、また原発の事故も重なって非常に大変な状況です。 しかし、そんな中避難されている方々の生活支援は待ったなしであると思います。がれきや車の処分を法律に基づいて、などといっている間にもどんどん悪化していくこともあると思います。まずは政府の責任で生活支援を進めてほしいと思います。
2011年03月26日
ここのところ懐かしいシリーズとなっておりますが、今日は「三角窓」を思い出しました。 昔は自動車の両サイドの前方に、三角形の窓がついていました。軸を中心に回転するようになっており、後ろ側が外へ、前側が内へ回るようになっておりました。 夏などはこの窓を開ければ風が入ってきて、結構快適だったのを覚えています。 車にエアコンがつくようになってから、三角窓はなくなったのではないでしょうか。 最近では、夏場はみな窓を閉めて走っています。でも、私は時々自然の風の方が良いと思い、窓を開けて走ります。でも、なかなか涼しくならない。 三角窓がなくなったからでしょうが、それ以上に外の風が涼しくなくなったように感じます。皆が、エアコンで室内や車内の熱気を外へ放出しているのですからね。暑い所が余計に暑くなっているのかもしれません。
2011年03月06日
今を去ること76年前、1936年2月26日に、帝国陸軍の青年将校が兵を率いて首相官邸などを襲撃したクーデター未遂事件が起こりました。 政治腐敗や社会の不正義を正すために青年将校が決起したが、反乱軍として鎮圧され、首謀者は自決したり、死刑になったりしています。 軍人が政府を倒そうとすることは決して許されるものではなく、処罰されるのは当然なのですが、私が引っかかるのは、このときに処罰を決める軍法会議が、常設のものではなく、特別に設置した一審のみ、非公開しかも弁護人なしというものだった、ということです。 たとえ重罪人であったとしても、仮にも法に基づく刑罰を与える場があまりにもきちんとしていなかったと思うのです。 最近の「冤罪」事件を思うと、法の手続きをおろそかにすることの恐ろしさを改めて感じるとともに、もしかすると「犯罪者はさっさと社会から葬り去れ」という考え方が、この当時から(自分も含めた)日本人の心のどこかにあるのではと考えたりします。 現代では軍隊はない(ということになっている)ので、そんなクーデターみたいなことは起こらない、平和な世の中でよかった、と政治のゴタゴタを見て感じました。
2011年02月26日
懐かしいアイドルなどを書いておりましたが、実はクイズ番組も大好きでして、全盛期は毎日のようにクイズ番組を見ておりました。 今でもクイズ番組はありますが、一般人が参加できる、いわゆる視聴者参加番組は「パネルクイズアタック25」だけになってしまいました。 昔を思い出すと、ダイビングクイズ、三枝の国取りゲーム、世界一周すごろくゲーム、クイズグランプリ、クイズタイムショック、ベルトクイズQ&Qなどなど。 その中でも長寿番組だったアップダウンクイズについて触れたいと思います。 このクイズ、6人の出場者が上下するゴンドラに乗って、ハワイ旅行に挑戦するというものです。 ルールもいたって単純で、正解すると1段(問題によっては2段~3段)ゴンドラが上り、10段目に到達するとハワイ旅行にご招待というものですが、お手つきをするとそれまでの正解がリセットされてしまい、ゴンドラが最下段まで下ってしまうというスリルのあるものでした。 さらに2回目のお手つきで退場させられ、しばらくお休みになるというおまけつきでした。 1963年から1000回以上も放送されたという長寿番組でしたが、残念ながら終了してしまったのが放送開始から22年後の1985年、今から27年も前なんですね。 それだけ昔の番組ですが、今放送しても決して見劣りのしない番組だと思います。復活したら絶対見ると思います。 最近はクイズといっても芸能人が出るものばかりです。リアクションとかが一般人よりも「絵になる」ということで、そうでなければ視聴率競争に勝てないのでしょう。 けれども、このアップダウンクイズ、決して「絵にならない」ものではありませんでした。それも、長い間司会をしていた小池清アナウンサーが良かったからではないでしょうか。 正解が出ると「正解です!」「よろしいです!」、もう少し足せば正解になるようなときには答えが出るのを待ったり、出場者を引き立てる司会ぶりでしたね。 今でも続いている「アタック25」でも、児玉清(偶然にもどちらも清さんですね)氏の司会ぶりが良く、例の「アタックチャ~ンス」など物まねをされるくらいですが、やはり視聴者参加番組は司会によって成り立つのだなあと思いました。 そういう名司会をみる機会が少なくなって、寂しいですね。
2011年02月24日
昨年は縁がなかったインフルエンザにかかってしまいました。 大流行といっていた昨年にかからなかったので、油断をしていましたが自分も仲間入り・・・ 水曜日の仕事中咳がひどくなり、どうも調子がおかしいので夜に近所の医院にかかったら、熱もそんなになかった(37度)ので普通のかぜ薬で様子を見ましょうとのこと。 翌日仕事を休んで家にいたら熱がどんどん上ってきて、夜には38度に。体もだるくてあちこち痛み出し、その翌日の金曜日の朝、再び近所の医院に。熱が38度あるといったら待合室ではなく奥のところへ通され、症状を話すとインフルエンザの検査をされました。 検査といっても鼻の奥を綿棒でこするだけですがこれが痛かったですね。 で結果を待つこと15分、A型インフルエンザであることが判明しました。 タミフルを1日2カプセルで5日分出されました。このタミフル、1カプセル310円するんですね。結構高い。 金曜日にタミフルを2回飲み、土曜日には37度に熱が下りましたが、相変わらず体はだるかったのです。それでも家内が作ってくれたうどんを食べて休んでいましたら日曜日にはほぼ平熱になりました。タミフルは効くもんですね。 インフルエンザはかかると40度の熱が出ると聞かされていましたが、私は最高38度台でした。年をとると熱が上らなくなるのか?でも私は38度で十分しんどい思いをしました。 来シーズンは油断せずにインフルエンザ対策をしようと思います。
2011年02月07日
またまた選挙ポスターのスローガンです。ちょっと前のものなんですが、よくわからないのでずーっと頭に残っているのです。 親孝行できる社会って?そりゃ親孝行は大事です。育ててくれた恩がありますからね。それが今はできない社会ということですか。 親孝行したくてもできない社会なんですか。それはどういう状態なんでしょう。どうすれば親孝行できるようになるのでしょう。よくわからないスローガンです。
2011年01月23日
実現できる政策を、って当たり前ではないかと思いませんか?実現できない政策なんて意味ないし。これは、春の地方選に出る予定の方のポスター(二連ポスター)に書かれていたスローガンです。どういう意味なんでしょう。もし当選したら実現できる政策を作ります、というのでしょうか。でもこの方現職の議員さんです。今までは実現できる政策を作っていなかったんでしょうかね。まあ当選しても期待薄ですね。
2011年01月22日
新年明けましておめでとうございます。昨年はお世話になった方もそうでない方もいらっしゃいますが、本年はより多くの方との出会いをしてお世話になりたいと思いますのでよろしくお願いします。こちらも御世話させていただきたいです。 とご挨拶を申し上げましたが、年々お正月という感じが薄れてきているような気がします。 テレビ番組も昔ほどお正月色がないような気がします。お店も普通に開いているし。 私が子どもの頃は、それはもう楽しみで楽しみで(お年玉がもらえるからということもありますが)待っている特別なときでした。 お店がみんな閉まっていて人通りも少ない、でも初詣はにぎわっているといういつもとは違う風景がありました。 子どもたちが外で凧揚げやこま回しをして遊んでいます。 親戚が集まってみんなでゲームをしたりして(テレビゲームではない)。 ゲームといえば、昔はみんなが輪になってやるものでしたが、今はテレビの画面に向かってやるか、一人ひとりが手に持ってバラバラにやっているという状況ですね。 昔のことを懐かしむ年齢になったということでしょうか。 とにかく、急流のような時代の流れに流されず、自分の向かう方向をしっかり持たなくてはならない、過去ばかり振り返っても仕方がない、ということを改めて考えよう、と思った元旦でした。
2011年01月01日
字が違う!と思った方、読んでいただいてありがとうございます。 今年も大晦日。あっという間の一年だった、と言いたいところですが、今年は仕事で精神的に参ってしまい、それを引きずったまま年末を迎えてしまいました。 精神的に打たれ弱いところがあって、他人から見たらなんでもないことが私にとっては一大事になってしまう、そんなところが露呈してしまったようです。 打たれ強くなれなかった、またそれを引きずってしまい失敗してしまうという悪循環への後悔、それが今日の大悔日というわけです。 この後悔をバネにして、来年は人生の転換をしたいと思っています。 いろいろな方との出会いに感謝して、皆さんが元気になるような御手伝いができるような仕事がしたいと思います。 というわけで、【実現するかどうかわかりませんが】社会保険労務士と行政書士の開業を目指します。 中年の挑戦ですが準備を周到にしてがんばろうと思います。
2010年12月31日
これまで何度となく触れているザ・ベストテン。言うまでもなく大ファンだったわけですが、アーティストの中には出演を拒否する方もいらっしゃいました。私は当時その理由が理解できなかったのですが、最近こんな理由もあったのでは、と思うことがあります。この番組に限らず、当時の歌番組と言えば、たくさんの歌手が出演し、持ち時間は3分もないという状況でした。当然フルコーラスなど無理で、カットした歌しか歌えない。日頃歌番組ばかりの人は、レコードを聞くと新しい発見をしたと思う位だったようです。しかし、本来歌はフルコーラスでひとつのストーリーになってメッセージが伝わるものですから、それを崩すことに抵抗を覚えるのも無理はありません。なぜこんなことを思い出したかというと、吹奏楽コンクールのことからなのです。吹奏楽コンクールは、今年もテレビ番組で取り上げてもらって嬉しかったのですが、ここにもカット問題があるのです。吹奏楽コンクールには時間制限があり、それを一秒でも越えると失格になってしまいます。一方、コンクールにかけたい曲はたいてい長い。そこで、原曲にハサミを入れるわけです。しかし、当然その行為に対して異を唱える方もいらっしゃいます。音楽コンクールで曲をカットするなとありえないと・・・吹奏楽コンクールには多くの団体が出ますから、時間制限はやむを得ない。これをしなかったら半月一月でもやらないと終わりません。しかし、オリジナルを改変するのが当たり前という文化になってはいないかと思うわけです。オリジナルを大切にする文化が、文化レベルの向上につながるのではないでしょうか。ちょっとマジメな話でした。
2010年12月04日
伊地知温子さん(さん付けですが)。関西の人しかわからないでしょうね。関西ローカルの朝生ワイドのはしりともいえる、「おはよう朝日です」というテレビ番組が朝日放送から放送されています。この番組、1979年4月から始まっていますからもう31年もやっている長寿番組ですね。番組のジングルをエレクトーンで生演奏するのが特徴で、その初代奏者がこの伊地知温子さんでした。そのルックスから「おむすびあっちゃん」などと呼ばれていましたが、たまにセリフを間違えて眉をハの字にして「すみません」と謝っている様子がまた可愛かったのです。で、例によって大阪は朝日放送まで出かけております。覚えているのは、朝日放送の前で出待ちのようなことをしてカメラ持って待っていたら、ディレクターのような男性に連れられてあっちゃんが出てきたということです。でも、彼女の出番は平日で、放送が終わるのは朝の8時30分だから、本当の出待ちなら9時から10時ごろで学校もあるし、なんでこのシチュエーションになったのかがわかりません。あっちゃんが出てきたときのことはまだ覚えていますが、テレビで見ていたよりも背が高かったのです(といってもテレビではエレクトーンの前で座っているのでわかりませんが)。そして、我々の前でなぜか「すみません、すみません」と言ってたのでありました。別に謝らなくてもいいのにと思っていました。それにしてもあっちゃんの後ろに写ったおじさん、じゃまなんですけど。
2010年11月28日
岡本舞子なんですが・・・なぜかまったく記憶にありません。といったらファンの方に叱られるかもしれませんが・・・1985年4月に15歳でデビュー。この「11月のソフィア」は1985年11月に発売されました。秋元康作詞、鈴木キサブロー作曲、山川恵津子編曲です。秋元康なんですねえ。1986年4月、ユッコちゃんの卒業した堀越学園高校に入れ替わりで入学しています。同じ学年にあのノリピーがいます。ユッコちゃんレコードを探していたら出てきました。なぜ持っているのか?もうこのときにはアイドル追っかけを卒業していたのではなかったのか?と、謎は深まるばかりなんですが、でもせっかくなんで歌のことを。彼女は子役もやっていて、このデビュー前にアニメの主題歌を歌ってたりしてぽっと出のアイドルとは違います。歌唱力もあるし、歌手としてはいいものがあるんですがねえ。ミュージカルや映画にも出ましたが、1987年に引退してしまいます。なぜ引退したのかはわからないままです。なぜこのレコードを持っているのかもわからないままです。握手会かキャンペーンでもあったのかなあ。
2010年11月27日
第4回ホリプロタレントスカウトキャラバンで優勝して、1979年に「恋のローラーブーツ」でデビューした比企理恵。東京都渋谷区笹塚の焼き鳥屋「ひき」の娘で、本名は比企理恵子というところまではスラスラと出てきます(笑)デビュー当時はまだ中学生で、今で言うと「おはガール」みたいな元気よさが売りだったと記憶しています。歌のほうはシングル5枚にアルバム1枚だけでしたが、アイドル歌手は早々に卒業して、テレビドラマや舞台で活躍しています。能瀬慶子で懲りずに、比企理恵の何のイベントか思い出せないのですが、出かけました。そうしたら2曲目のシングル「ARE YOU HAPPY?」がエンドレスで流れていて、耳について離れなくなってしまいました。もちろん、今も頭の中に残っています。もしかしたらレコード発売キャンペーンだったのかもしれませんが、本人が出てきた記憶もないし、なんだったんだろう?ところで、先の能瀬慶子も1979年デビューで、ホリプロ新人が同年に二人デビューしていますね。能瀬慶子が1979年の初めにデビューして、年の後半には失速気味だったので、タレントスカウトキャラバンに優勝したばかりの比企理恵をデビューさせたのではないのでしょうか。このあたり、アイドル戦線の厳しさを感じます。 先日のテレビで「魔女」として登場した彼女を見て、「おおっ比企理恵だ」と思いました。面影はありますがやはり年齢相応でした(当たり前)パニック障害を乗り越えて結婚するとのこと、良かったなあと思いました。生きててこそですからねえ(しんみり) (11月18日追記) 実家を探したら出てきました!ちゃんと本人が出ています(ぜんぜん覚えていなかった・・・)。レコードをこのとき買っていて、その袋に「阪急」と書いてあるので、たぶん大阪梅田の阪急百貨店の屋上まで行ったのではないでしょうか(やっぱり覚えていない)。サイン会か握手会をしたようですが、これも覚えていない・・・で、このとき買ったレコードがこれ↓このレコードの発売キャンペーンだったわけですね。だからこの曲をエンドレスで流していたわけだ。やっぱり追っかけしていましたね(笑)
2010年11月15日
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どちらかというと私にとっての黒歴史(といったら言い過ぎか)みたいな、ちょっと苦い思い出のようなこと。はじめて私が、アイドルで一生懸命になったのがこの能瀬慶子だったと思います。その前の「花の中三トリオ」あたりからスター誕生とか見てて知っていましたが、まだまだその頃は私も幼くて行動力はなかったのです。能瀬慶子は1978年、第3回「ホリプロタレントスカウトキャラバン」で優勝し、1979年、「アテンションプリーズ」でデビューします。この「アテンションプリーズ」、喜多条忠作詞、浜田省吾作曲、船山基紀編曲という強力メンバー。浜田省吾はホリプロつながりで楽曲を提供したものと思われますが、あのハマショーがアイドルポップスを作曲してたのか、といまさらながら少々驚いたりして。で、肝心の歌なんですが・・・ タレントスカウトキャラバンはルックスで選んだのねと思わざるを得ないようなデキで、歌のレッスンもしたんだろうけれども間に合わなかったというか、プロとしてはいかがなものかというレベル。当時ずいぶんいじられていたように思うのですが、そこは私も若気の至りでレコードを買ったり野外ステージイベントに行ったりしたのでした。友人にファンだというと奇異の目で見られて「なんで」と思っていましたが、今から思うと友人の方が冷静でした。シングル4枚、アルバムは1枚だけ、それでも最後のほうでは少しは歌もましになったかなあという状態で引退してしまいました。某動画サイトを見ると、なんと彼女の姿が(驚) 当時にビデオを持っていて、しかも彼女の姿を録画していた人がいたなんて・・・勇気がなくてまだ見ていません・・・アイドル営業の定番というべき野外イベント。奈良県はあやめ池遊園地の野外ステージまで行っておりました。京都から近鉄電車であやめ池までわざわざ出かけたのですねえ。たぶん1979年の秋ではないでしょうか。この日の出演は3人。いずれもホリプロタレントスカウトキャラバンの出身。荒木由美子は第1回の審査員特別賞、高田橋久子は第2回の審査員特別賞、そして能瀬慶子は第3回のグランプリです。こちらは高田橋久子。すごくフツーの服装のよう。残念ながらあまり売れませんでしたねえ。この3人の中では一番売れたのが荒木由美子ではないでしょうか。荒木由美子はのちにバレーボールのドラマでブレイクしましたね。残念ながら写真を撮っていませんでした。ちなみにこのあやめ池、あなどれません。この5年後、デビュー2年目の中森明菜がここでミニコンサートをやっております。見に行けばよかった。
2010年11月14日
これまでは岡田有希子特集みたいになっていましたが、本当は80年代アイドルを少しずつ取り上げてみようと思っていたのです。まったく独断と偏見で書いているので、ぜんぜんちゃんとしたレビューにはなっていません。自分の覚え書きですね。で、中森明菜です。実家には中森明菜のポスターが今でも張りっぱなし。最近ディナーショーをすべてキャンセルしたというニュースが出ていました。最近の劇ヤセぶりといい、デビュー当初の彼女を知るものとしてはなんともはや・・・という気持です。中森明菜のデビューは1982年。16歳のときでした。デビュー曲は「スローモーション」来生えつこ作詞、来生たかお作曲、船山基紀編曲です。この次のシングルが「少女A」で、恋愛ソングから一転してツッパリ系になり、これが大ヒットするのですが、私はこの「スローモーション」が好きで、よく聞いていました。彼女は今こそ劇ヤセですが、デビュー当時はふっくらしており、水着グラビアも結構出ていましたね。また、東京都清瀬市の彼女の実家では、彼女のデビュー以来毎日国旗をあげているという記事が出ていたのを今でも覚えています。(直接見に行こうかと思ったくらい)彼女はこのあと「セカンドラブ」でバラードを歌ったと思うと「1/2の神話」でまたツッパリ、といろんな歌を歌いこなし、またそれがことごとくヒットして「ザ・ベストテン」の1位獲得回数1位という記録を持つに至りました。そのあと近藤真彦と番組中でいちゃいちゃするようなことがあり、1989年に自殺未遂事件を起こしてしまいます。その後1年間くらい芸能活動を休止するのですが、まあ未遂で終わったので1年くらいのお休みですんだのですね。いわゆる「アイドル」というところからは早いうちに卒業したような感じがします。2年くらいでしょうか。それでも、はじめのほうは野外ステージとかデパートの屋上のイベントとかに出ていたようですから、行っておけばよかったとも思いますが、そのころは部活で忙しかったので、実際にはテレビで見るだけでしたね。中森明菜は岡田有希子と仲が良かったようで、岡田有希子の告別式ではただただ涙であったそうですし、その直後にあった「ザ・ベストテン」で訃報について触れられていたときも涙していたようです。中森明菜は私と年齢もそんなに変わらないのに、体調不良でというのが心配です。早くよくなってほしいと思います。
2010年11月13日
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やっぱり岡田有希子ネタなんですが・・・^^; CD/DVD BOXの「贈りものIII」をとうとう手に入れました。 『ユッコの歌のすべてを詰め合わせた、あなたへの最後の「贈りもの」です』(パッケージシールから) 当初2002年に限定発売され、その後プレミアがついていましたが今年の9月に再発売されました。 CD6枚にDVD1枚という豪華版、お値段は12,600円と私には少々お高い買い物でしたので、躊躇しておりましたが、この機会を逃すとどうなるかわからないと思い、エイッと購入しました。 ファンならば2002年に買っていただろう!というわけですがすれ違い遅れてきたユッコファンの私は、やはりこの『贈りものIII』にも遅れて出会ったわけです。 ポニーキャニオンの直販だったのでポニーキャニオン箱に入ってきました。 箱を開けて・・・ 『贈りもの』を受け取りました。裏側はこんなです。 箱の写真はデビュー前の写真ですね。CDの他に特典として彼女のデビュー前の業界向けプレスシートの復刻版が入っているのですが、これがまたかわいい。 さっそくDVDを見ましたが、2003年に新しく作られた「Believe In You(2003 Strings Version)のPVがあるんですね。 まず音楽はユッコちゃんのボーカルに新しいアレンジの伴奏をあとからつけたものですが、これが奇跡的な出会いというか、ユッコちゃんが復活して吹き込んだかのようなすごいできで、映像はそれまでのPVとスイスの映像なんですが、見ていてこみ上げるものを押さえ切れませんでした。 ふと我に返ると、いい歳したおっさんが昔のアイドルの映像を見て涙ぐんでいる。とても嫁さんには見せられない・・・
2010年11月05日