猫天使のお地蔵様 -moomama、ありがとう-
朝、小さな赤い箱が届いた。老猫会のmoomamaからだった。中身は猫天使のお地蔵様。moomamaのメッセージも添えられていた。ベッドの上で、しばらく猫天使を撫で続けていた。天使のハーネスをつけて、お散歩に行ったときのことを思い出しながら…今日もお線香をあげにいった。しばらくは、アパートに焼かつおを出しておき、お墓にもお線香と焼かつおをあげようと思う。きっと焼かつおの買い置きが終わるくらいまでは続けるだろう。友人も、しばらくはつきあってくれると言ってくれた。昨日飾った花と焼かつおはそのまま残っていた。イソロクが食べなかったことに驚きながらも、ニャンタンも食べてくれなかったのだなとがっかりする。花はまだきれいに残っていたので、焼かつおだけ片付け、新しい焼かつおをお供えする。友人とお線香をあげて、手をあわせる。毎日毎日来るからね。焼かつおはアパートにも実家にも用意してあるから。そろそろ、病院にお礼の挨拶にいこう。何かおいしいお菓子をあげたいな。とってもおいしいお菓子を。病院から借りていたタオルも返さなくては。点滴がつながったままのニャンタンを抱きかかえるのが難しくて、下に敷かれていたタオルごと連れて帰ってきたのだ。先生たちが診察台の上で立食パーティーをしていたことが印象的だったので、軽くつまめる焼菓子がよいのかな、なんて勝手に想像した。近所のお店を思い出したり、楽天で探したりと悩んだあげく、ちょっとだけ遠出してガトーフェスタハラダのラスクを買ってきた。ここのラスクは自分も大好きだし、会社の人の間でも評判がよいのだ。それから、久々に髪を切った。美容院に行けないほど、忙しかったわけでもお金がなかったわけでもないけれど、それでもなんとなく足が遠くなっていたのだ。これからは何をしてもいいんだな、と改めて思った。ニャンタンの毛がつくからと、黒い服を敬遠する必要もない。粉類が飛散したら害がありそうだからと、お化粧するのもやめていたが、そんな言い訳もできなくなった。床にワックスをかけたり、カビキラーで根こそぎカビをやっつけた後に心配する必要もない。ゴキブリが出たら、床中にホウ酸をまこう。何をしても自由。そんなもの、誰も欲しいなんて言ってないのに。家に帰り、玄関にレシートが置いてあることに気づいた。動物病院のレシートだった。 \37,695-血栓との闘いに要した費用だ。レシートの最後には、「おだいじに」と印字されていた。いつも見ていたはずなのに、初めてその意味を認識した。もうしばらくは、見慣れたこのレシートを見ることもないだろう。ニャンタンがいない生活は、どうしようもなくさみしい。新しい猫を探そうか?新しい猫は特別な猫じゃないほうがいい。特別な猫はニャンタンだけ。何匹も飼ったら、特別な猫にならずに済むのかな。自分の祖母が猫を飼わない理由も同じかもしれない。以前祖母の家ではシャム猫を飼っていた。その猫が死んでから、祖母は猫は飼わないと言いつつ、自宅に寄ってくる猫には餌をあげていた。多分、去勢/避妊手術もしていたと思う。そんなに好きなら飼えばいいのに、とずっと思っていた。でも祖母は、あのシャム猫だけを特別な存在にしておきたいのかもしれない。ほかの猫が特別な存在になってしまったら、ニャンタンはどこにいくのだろう?ニャンタンのことをすっかり忘れてしまったら、もう会えないのかな?もう親ニャンコのことも覚えていない自分だもの。ほかの猫と暮らし始めたら、ニャンタンのことなんて忘れてしまうに決まっている。ニャンタンと同じ猫なんていない。ニャンタンほどの猫もいないよ。イソロクだって、ニャンタンの足元にも及ばない。ニャンタンがいなくなっても、少しはさみしさが軽減されるかと思って家族に加えたけれど、代わりになんかならないよ。冷蔵庫を開けると、入院前日にあげた、ねこたまの厳選鶏シチューの残りが入っていた。今もまだ、オシッコのニオイが残っている。