2007/04/24(火)00:41
風樹の嘆(ふうじゅのたん)
「風樹」とは文字通り風に吹かれて揺れる木のことで、この言葉の出所は「韓詩外伝」の一節「樹静かならんと欲すれども風やまず、子養わんと欲すれども親待たず」に由来する。
「風樹の嘆は」両親が既に亡くなり、孝養を尽くしたくとも残念ながら出来ない悲しみを嘆くことを表している。
昔、人生50年の時代は、世の中に「孝行したいときには親はなし」と嘆く人が多かったので、こういう言葉が出てきたのかもしれない。
いまや人生80年の時代に突入した。
私の母親はもう3か月しないうちに90歳を迎える。
かなり認知症が進み、子の願い親に伝わらずの傾向が目立つ。
今晩だけで(夜7時と10時半)2回も当てていた紙パンツから余るほどのオシッコが溢れ、下着からシーツまで全部取り替えだ。
いささかゲッソリしてしまう。
昼はディサービスに預けて面倒見てもらっているのだが、夕方5時前には帰宅だ。
それから翌朝8時半頃までは自宅で介護となる。
きっと今日はディサービスセンターで、水分をいっぱい摂ったのだろう。
こう立て続けに2度もオシッコで全部ビショビショになるのも珍しい。
でも、こうなれば時間をかけて全部後始末するのは家族である。
とりわけ夜は私の担当。
2枚のシーツと衣類で大型の洗濯機も満杯となり、夜中に自動洗濯機が稼働だ。
こうなると、親孝行とは忍耐の連続と言った方が当たっている。
冒頭の「風樹の嘆」とは全く逆と言えるかもしれない。
でも、生きていればこそ出来る親孝行。
いくら長生きしたとしても、あと数年だろう。
こうやって苦労するのも今のうちなのだ。
親の介護の大変さを嘆くことは慎まなくてはと思いつつ、思わず綴ってしまった今日の日記である。