まったり Oneday

2018/05/07(月)10:05

「誰が見ているのか」という想像力

​​​​​​​​​​​先日、団体の活動の当事者性、みたいな投稿をしましたが、 それにもちょっと似ているような内容です。 私は某団体のメンバーということで、数年前に始めた Twitterの管理人を現在もしています。 最近では、直接の活動に出向けないことが多くなったため 交代も考えたのですが、 結局新しいアカウントを本部のほうで設置してもらいました。 そうして情報発信をしています。 先日、賛助会員である我が家の家族に、年一度の郵送物が届きました。 一年間の活動報告(A4用紙に写真などで1枚) 更新依頼もこめた送り状(代表名) 振り込み用紙 が入っています。 たまたまそれを見ていて思ったのですが、 「SNSでも発信しています」 の項目は、Facebookとホームページとしか記していない。 そして、一昨日届いた、会員あての文書にも係からの連絡があり 「総会後にFacebookでこういう発信を始めたい」 との表記。 上記のような企画について、(委員会にも理事会にも現在私は所属していないので?) 一切、聞いていなかったし(初耳) 知らないことが出てきて少し戸惑いました。 ここのところ出てきた、オフィシャルな文書から 自分の日頃のやっていることが一切排除されている? などと一瞬うけとってしまっていました。 少し時間をおいていたら、 おそらくそういう他意はなく、 文書を作っている担当者が Twitterで発信しているということをつぶさには把握していない。 その内容についても同様(発信しているのは聞いたことがある程度) 文書を作って送っている担当者の認識(感覚)で SNSや広報発信はFacebookとホームページ、ということだったのかも? と思いなおしました。 現にスタッフの担当はその2つなので、そう文書に表記しても不思議はないのかもしれない。 文書自体は代表名だし、 理事やその他のメンバーもTwitter発信のことを知らないわけではないはずだけれど こういったご案内や文書になるという事実があるのだなと単純に思いました。 *** 過去に、自分が総会資料を作成してたときのことを思い出しました。 メインの活動以外に、会議やその他のところへ出かける役割をしてくれているメンバーが いるのですが、 資料のまとめにそのうちの1人のことを記し忘れていたことがありました。 その方のやってくれていたことは知っていたのですが うっかり、というミスでした。 それでもその当人の方が「私もこういうことをやっているんだけど」 と言ってくださり、助かった記憶があります。 きっと、 「自分だって尽力しているのに本部にはそのように認識されていないように受け取れる」という気持ち だったのかなと今になってさらにそう思います。 それをスルーされたら何とも複雑な気持ちになりますね。 そして こういうのも、言わずに「なんだかな」と思っているのもモヤモヤしますよね。 それが言えるか言えないかというのもいろいろ考えるところでもありますが ともすると、 「日頃がんばっているつもりだけどこのオフィシャルな場に表記してもらえないというのは、何か理由があるのだろうか?問題でもあるのだろうか?」 と思ってしまう人はいるのだということ。 そして、発行している側の人はさほど大きな意図もなく その状態で公表しただけ、ということも多々あるとは思うのですが 面倒と思われがちな「確認」、どのようにするか、ということですが まあ、これまで通りでいいでしょう、とした結果 大勢に出したときに、それを読むたった一人の誰かが 自分のことを無視された、とか、気にもとめてもらってないな というようなことを思う場合があるということ。 を痛感したのでした。 自分と今目の前にいる人たちだけの意思疎通ならその場で出来る場合もあるけれど 接点が持ちにくい人が多くいる場合もある。 それも、発信者名が明記されていると 直接その人の意思なのか?と思われることも対外的にはあるかもしれない。 たまたま、今回は事務作業の流れが想像できたので、 おそらく他意のないことだろう、と認識していますが 「誰が読んで(見て)いるのか」という想像力が必要なのだな と思った出来事でした。 ​​​​​​​​​​​

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