エミールガレとジャポネスク
エミールガレは1864年にマイゼンタールのビュルグン・シューヴェラー社でデジレクリスチャンの下に3年間 ガラス工芸の技法に付いて修行。この時期にエナメル装飾・グラデュール技法を学んだと思われます。ガレの師匠にも当るデジレ・クリスチャンは3兄弟居て我が家に在るガレの師匠デジレクリスチャン作の花瓶は見事な品です。(ちょいと此処に載せませんがごめんなさい)ただマルケットリー技法(くっつけ技法)は後からの作品になるのでマルケットリー技法はデジレ・クリスチャンから学んだのでは無いと推察されます。異色ガラスの溶かし込み技法はクリスチャンから学んだのか自分で考え出したかは不明です。多分 既に二人とも知って居たであろうと思います。月光色ガラスはガレのオリジナルですが。又 ガレの作品を語る時 常にジャポネスクと言う言葉が用いられますが渡仏していた高島北海(本名:得三)との出会い(留学生・ナンシーに滞在)は1880年代後半になる為 高島北海氏が帰国時に贈った精密な日本画(主に花と虫)のデッサン画に魅せられて以降 精力的にジャポネスク色の濃い作品が多くなりました。 ガレの住んでいた家と 其の近辺は現在ガレ通りと呼ばれている表示板ガレのナンシーでの百周年記念看板上の看板でガレの作品は1894年以前にはナンシー市では作られていない事が判ります。勿論 ガレは1904年に亡くなって居ますからそれ以降の作品は工房モノと呼ばれます。 左はガレの店(昔は此処の裏に工房が在った) 右はナンシー市最古の建物ロレーヌ地方ナンシー市最古の建造物は1500年頃の建物で昔は刑務所(!)に使われたと言う。門の真上のロレーヌクロスにご注目。十字架に横線が1本多い。「フランスに行きたい!」と駄々をこねたら夫 曰く「俺は行かない」「何故?」「フランス人ほど気位の高い人種は居ないぞ」と来た。「こっちが苦労して英語で話して相手は其れを判って居ながら絶対に英語を話さない。仏語が英語より上だと思い込んでいるから」・・ふ~ん。そう言えば1994年に飛行機恐怖症乗り越えて無謀にも一人で米国とカナダに ぶっ飛んで10日間の旅をした時 カナダの友人はそっと注意したっけ。『此処(ケベック州)はフレンチエリアだから万一迷子になったら警察じゃ無くホテルに行く事・ホテルなら英語が通じるからネ はい私の家の電話番号メモよ~♪』そしてケベック州に滞在した5日間はカナダなのに何処も欧州の香りが一杯あふれた佇まいで あれ?これはフランス?この通りはイタリア?と何だかカナダなのに欧州旅行も一緒に満喫したのを覚えています。米国で食事が不味く食欲ゼロになった私・ケベックでは我が家の味!に吃驚。そうなのです・ケベックではフランス料理イタリア料理何でも美味しい!カナダへいらっしゃる方は断然ケベック州がお薦めですよ。赤毛のアンの故郷ノーバスコシアもスグ傍だから。。旦那は結婚前にぐる~っと世界を単身で(くしょ!)回っており一番のお気に入りはイタリア コモ湖のビラドエステ(エステ侯爵の別荘)其処がホテルになって居て滞在中 湖の向こう側に山が在り其処に灯って居た「ボルタの灯」が一番綺麗だったと言う。ボルタとは我々が毎日使っている電球や家電品の何ボルト・・に当る物理学者アレッサンドロ・ボルタに由来する。「ふ~ん そんなに綺麗だった?」「うん!」「じゃぁ 連れてけ!」「うぐ! 待て~!待ってくれ」苛めちゃいましたぁ イヒヒ 明日に続く・・・ 本日のおまけ上はブラトーの作品 凄く薄手のボウル型 此のサイズ(直径約18cm)の品はおそらく殆ど割れてしまって完品で現存するのは僅か (在るかな?多分無いね)丁度 卵の殻位の薄さに近く ぐ!っと睨んだらパキッと割れそうで心臓に悪い。ギリシャ神話からとったモチーフ 海辺で4人の女神が遊んでいます。此の品は余りにも華奢で取り扱い要注意(貸金庫におネンネ中・・)