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21話 【Good Enough!】


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21話 (潮) 【Good Enough!】



■ 透子 ■

私には叶えたい夢があった。
それは優しい貴方と、甘くて熱くて楽しい時間を共有すること。
支配せず、支配されず、ただ求め合い、笑い合い、蕩け合い、言葉を交わし、愛を交わす。
人知れず睦み合い、少し気だるい程度に疲れて眠ったあと。
うっすら目を覚ました先に、貴方の寝顔を見て、見惚れるの。
伊神さん、貴方の健やかな横顔を。


*

目が覚めて、いつもと違う朝に動揺した。
隣りで寝息を立てている男性の姿を見て、何とも形容しがたい感情が沸々と込み上げてくる。
伊神さんは背を向けていた。その広く雄々しい背中に、私はそっと人差し指を置いた。
身じろぎさえしないけれど、恐らくはタヌキ寝入りだろう。
だって伊神さんは、目覚ましなんかセットしなくても、余裕綽々で起きるような人だから。今日とて例外ではないだろう。
「……伊神さん。……起きてるでしょ、伊神さん」
ぴくりともしない。むぅ。背筋を指でつつつーとなぞっても動じない。
それならばと、ぴとっ★と背中に抱き付いた。不届き者の男性陣から『ナイチチ』と馬鹿にされ続けた胸だけど、果たして効果はいかほど?
「おはよぉございます、伊神さん」
「わぁあっ!?」
伊神さんは取り乱し、上半身を起こす。そのまま身を捩って私を見た。
目が合い、その視線が私の身体を行き来する。伊神さんが起き上がった分、掛け布団が少しだけ捲れ上がってしまっていた。
「わぁっ」と慌てたのは私ではない。私がキャミソール姿であることを確認して、頭から布団を被ってしまった伊神さんのものだ。
「まだ着てなかったんだね……」
「まだって?」
「あ、いや……」
やっぱり。そうだと思った。
「伊神さん、朝方1回起きたんじゃない? 昨夜のことを思い出して、ずっと背中向けてどうしようか考えてたんでしょう」
「……透子ちゃんを見たら、服着てなさそうだったから……」
「先に起きてくれて構わなかったんだよ? 散歩したかったでしょう?」
「散歩というかジョギングかな。いや、それはいいんだ。でも、こういう時ベッドをもぬけの殻にしておくのって、その……」
「『逃げたみたいで申し訳ない』?」
「うん。『どうしていないんだろう?』って、透子ちゃんを不安にさせたくなかった」
あぁ、この人は。なんて優しいんだろう。
「……伊神さんっ」
私は布団に潜り込み、伊神さんの身体を抱き締める。
「透子ちゃん! ちょっと……!」
「あはは、ごめんなさい」
かなり伊神さん、困ってた。


*

伊神さんがセットした目覚まし時計のアラームはまだ鳴っておらず、それもそのはず、まだ7時になったばかりだった。
冗談まじりでシャワーに誘ったけれど、やんわりと断られた。
「狭いから」と苦笑していた伊神さんは多分、照れていたんだと思う。寂しい気持ち半分、ホッとした気持ち半分。私もまだまだ複雑だ。
先に伊神さんが簡単な湯浴みを済ませ、その後に私は浴室を占領した。髪をドライヤーで乾かし、化粧を施し、今度はきちんと服を着た。
準備を終えて部屋に戻ると、伊神さんはソファーに腰掛けながら電子書籍を読んでいた。
気配で私に気付いた伊神さんは、端末の電源を落とし、かけていた眼鏡を外す。
「もう出たの? ゆっくり浸かっていてもよかったんだよ?」
「そろそろ杣庄が戻って来るかなと思って」
「そうか、そうだよね」
もともと杣庄がこの部屋で寝起きするはずだった。私たちのことを気遣った杣庄の存在を思い出したのか、伊神さんは照れくさそうに笑う。
引き続き、私は身支度を整える。今度はアクセサリだ。ネックレスをつけるために両手を首の後ろに回すと、伊神さんが立ち上がった。
「オレがやるよ」
「ありがとう」
背後に立った伊神さんが付け易いよう、私は髪を片方に寄せておく。
「まだ持っていてくれたんだね」
「……当たり前です」
ネックレスのチャームである工具用のナットは、伊神さんがくれた最初のプレゼント。だから大切にしていた。
思えば、あの頃から夢中だったっけ。
「いつか伊神さんとこうなるのを、ずっと夢見てたんだ。紆余曲折を経て、やっとここまできたな~って、しみじみ思ったの」
「そうだね」と頷く伊神さんの胸に寄りかかる。
今は時間が許す限り、甘えて甘えて甘えまくって、ひとつでも多くの思い出を手に入れようと思った。


*

部屋を出る際、忘れ物がないか確認する。私が持ち込んだものなど知れているが、念のためだ。
ボストンバックに一式を押し込み、『誰もいませんように』と祈りながらそーっとドアを開けた。
「よぉ、透子」
「!!!!」
ドアのすぐ横に杣庄が立っていた。いつから待っていたのだろう。やだやだ、考えたくもない。
「ナイスタイミングだ。今なら誰もいないぜ。さっさと部屋に戻れ」
そう言うと、欠伸をしながら私の頭をぽんぽん叩く。開いたドアに身体を滑り込ませた杣庄は、正式な部屋の住人へと戻った。
てっきり冷やかされるものだとばかり思っていたから、すっかり毒気を抜かれてしまった。杣庄の優しさは、昔とちっとも変わらない。


*

部屋へ戻ると千早さんの姿がなかった。
どこに行ったのだろう? 朝風呂のため、大浴場にでも向かったのだろうか。
私はボストンバッグを台の上に置くとベッドに仰向けになった。
すぐに瞼が重くなってくる。千早さんが帰って来るまで横になろう。
本当は、馬渕先輩にどう報告するべきか、話す内容を纏めたかった。
だって、言えることと、言えないことがある。
昨日のように、売り言葉に買い言葉で、大きな失態を演じたくはない。
でもそれは、後で考えよう。
目が覚めたらすぐ。時間が許す限りずっと。


2012.03.26
2019.12.21 改稿


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