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02話 【どの口が、それを】


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02話 (迦) 【どの口が、それを】



[1]

集客率が高い祝日だった。平日より格段に忙しくなるその日は、不破君と青柳チーフが朝番、私は中番での出勤だった。
制服に着替え、ICチップ内蔵の社員証を使ってタイムレコーダに出勤した証を残し、持ち場へと向かう。
ドライのバックヤードに着くなり、私を見付けた不破君が一目散に駆け寄って来た。
「おはよう、不破君」という挨拶は聞き流され、無かったことにされてしまった。
「志貴さん、困ってたんです。助けて下さい」
ストレートに訴える不破君が珍しくて、それだけに私はイヤな予感と展開と報告とを覚悟しなければならなかった。
「どうしたの?」と促した私の声には、全然乗り気じゃない気持ちが滲んでしまっているに違いない。
どうしたってバレてしまうものであるが、それでも不破君はそわそわと上の空。それどころではない様子だ。
「今日来たマネキン。ロセのマネキンが」
「落ち着いて。ロセがどうしたの?」
業界第2位の製パン会社、ロセ・パン。
そう言えば、今日はそこが店頭試食会を行う予定だったっけ。マネキンが1人来るという話だったけど。
「ロセのマネキンが、かなり魅力的な女性で」
「……うん?」
もしもし? いったい何を言い出すの?
現れたマネキンが美人だからって、それがどうしたの? 透子ちゃんから乗り換えるってこと?
加えて、そんなことが理由で、私の「おはよう」という挨拶はあっさりと打ち捨てられたっていうの? 
「あのねぇ、不破君」
怒りと呆れが綯い交ぜになった口調で窘めようと口を開きかけた私だったけれど、事実はそうではなかった。不破君は先回りする。
「その人が、どうも青柳チーフに一目惚れしたらしくて」
「……それで?」
「とにかく猛攻で。お客様用に配るパン……今日はサンドイッチ用のパンをアレンジして配る企画だったでしょう?
あれを極限に生かした勝負レシピで、出来てはその都度、青柳チーフに差し入れしてるんですよ。
それが露骨過ぎて、他の社員から苦情が来てるというか。『青柳ばかり羨ましいぞ!』と、嫉妬の声が数多く寄せられていたり」
「なんなのよ、その的外れなご意見・ご感想は」
ウチの会社はどうしてこう、ピントがズレてるのよ。
「何が問題って、当のチーフがまんざらでもないってコトです。デレデレダラダラと受け入れてる」
「へ、へぇぇぇ……?」
「正直、見るに耐えられなくて。だから志貴さん、どうにかして下さい」
「いやよ、どうして私が? 人の恋路を邪魔したせいで馬に蹴られて死ぬのはごめんよ」
「このご時世、馬には滅多に出会えないから大丈夫ですよ」
「言葉の綾だってば。不破君が行けばいいじゃない。いつものようにビシッとキメてきてよ」
「イヤですよ。あんな綺麗な人を敵に回したくないです」
「語るに落ちた上に、不破君もただの男だったわけね。透子ちゃんに告げ口してやる」
「あ、それはやだ」
ああだこうだやり合っていると、私たちを横切る軽やかな靴音が通過した。件のマネキンだ。
余りにも可憐で、華のあるステップに、私は唖然としてその姿を見送る。
「……いいなぁ、チーフ」
隣りから聞こえた声で我に返る。不破君が骨抜きにされてどーするの。


[2]

私は不破君を連れて女性のあとを追った。更に奥深いバックヤードへと。
彼女の目的はやはり青柳チーフだったらしく、同性の私が聞いても羨むほど可愛らしい高音でチーフの名を呼ぶのだった。
「青柳さ~ん! 今度はピザを作ってみましたぁ。御口に合えば良いんですけど」
青柳チーフは重たい段ボールを移し替えているところだった。両手が塞がっていたのを好機と見たか、慣れた手付きで「はい、どうぞ」と口へ運ぶ小悪魔。
躊躇したものの、大人しく口を開けて頬張る青柳チーフは「美味い」と一言。
その言葉を聞いて、嬉しそうにはにかむ女性。媚びてるのか素の行動か。判断はつきかねた。  
「志貴さん、眉根が寄りましたよ。エネミー認定ですか?」
すかさず茶化してくる不破君の額をコツンと叩く。静かに、という意味も込めて。
「それにしても、本当にいるんですね、あんな積極的な人」
小声で感心する不破君。
「透子さんもあれだけ情熱的になってくれないかな」
「迷える成年よ、夢は夢の中でだけ見たまえ」
そしてもう1人の迷える成年は鼻の下を伸ばしていないで勤務中は仕事をしたまえ。さらに付け加えるならば、どうか私を巻き込まないでくれたまえ。アーメン。


[3]

17時からミーティングをすることになっていたので、1階バックヤードの小部屋へと急いだ。
ノックをして入ったらば、チーフも不破君もお粗末なパイプ椅子に腰を掛け、小さなメモ帳に何やら書き付けたりしているところだった。
遅刻したわけではないのでお咎めはない。私に着席を求めると、チーフらしい威厳に満ちた声で明日の予定を滔々と述べる。
マネキンに向かって発せられた、「美味い」という言葉の裏に潜んでいた柔らかさなど微塵も感じさせない。顔付きも厳しい。
「何か質問はあるか?」
いつの間にか、チーフの話は終わっていたらしい。打ち合わせ終了時の常套句が紡がれる。
いつもなら「いいえ」と答える不破君も今日だけは違ったようで、「あのー」と声を発するのだった。
「ロセ・パンのマネキンなんですけど」
やっぱり言うつもりなのね。
「なにか粗相でも?」
鋭く光る青柳チーフの眼には、やはり冷たさしか感じられない。
「いえ、決してそんなことは。……じゃなくてチーフ。パン美味しかったですか?」
「……?」
明らかに困惑しながらも、訊ねられた質問にはしっかり答えるチーフである。
「あぁ、腹が減ってたからな」
「それだけですか?」
「お前のその質問の意図が全く見えないんだが。他にどんな答えがいるんだ?」
今度は不破君が困惑する番だった。改めて意図を述べよと言われてしまったからには、ちゃんとした説明が必要になってくる。
「あのマネキンの人、傍から見てもチーフに気があるなって丸分かりだったから、てっきり」
「そういうことか」
色恋沙汰に関しても、のみ込みが早いようだ。
「媚びを売る女に興味はない」
何が驚いたって、彼女が『キャラを作っていた』とチーフが見抜いたことだ。
同性の私でさえ、演技なのか元来の性格なのか、見分けがつきかねたと言うのに。
チーフは更に、私が驚くことを言ってのけた。
「そういうのは、イヤでも分かるんだ」
『そういうの』とはつまり――女性の機微を指しているのだろうか?
だとしたら大ホラ吹きもいいとこだ。
その言葉が本当だとしたら、青柳チーフは私の気持ちを知っていることになる。
そんなの絶対にあり得ない。断言できる。
人知れず、私は口元にうっすらと笑みを浮かべていた。厭らしい微笑みを。
チーフはそんな私に気付いて何かを言いかけたが、それを噤むと眉根を寄せて押し黙った。
結局彼が「以上、散会」と言うまで、私と青柳チーフは暫くのあいだ、冷たい視線を交わし合っていたのだった。


2011.01.20
2020.02.13 改稿


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