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G4 (迦) 【計画的な、犯行ね】


日常編 (迦) 【計画的な、犯行ね】



声が聴きたい。
一言でいい。
どんな言葉でもいいから。
この耳で、貴方の声を捕らえたい。


*

ひと月目はどうってこともなく、淡々と時が過ぎていった。
あと2ヶ月も経てば出張から帰ってくるんだし、この調子なら平気。そう思ってた。
それは強がりでしかなかったことを、42日目にして悟る羽目になる。
今や放り出された砂漠の中で、オアシス目指してまだかしらと挫けそうになる寸前。
忘れてないよ。今だって鮮明に思い出せる。脳裏にきちんと焼き付いて、こびり付いたままだもの。
でも私が欲しいのは、記憶より実体。


*

「不破君、寂しいよ」
スルリと口から漏れた私の言葉に、後輩はひどく動揺した。
その証拠に、彼の疑惑の目は私の感情を読み取ってやらんとばかりに固定されている。
「志貴さん……。嘘でしょう? 今なんて言いました?」
恐る恐るのていで、不破君は尋ねた。
「寂しいって言ったの。チーフがいなくて寂しい。つらい」
どうやっても気持ちは誤魔化せない。
本音を吐かなければ、不安に押し潰されそうで怖かった。
こうして受け止めてくれる人がいる。それだけでも私は恵まれていると知る。
「今頃なにしてるんだろ。向こうに素敵な女性がいたらどうしよう」
「志貴さん、電話してないんですか? メールは?」
「してない」
私の回答に不破君は目を丸くした。
「ちょっと……。天邪鬼になるところが違うでしょ。そこは変な意地張ってちゃ駄目ですよ」
「歯止めがきかなくなってしつこく連絡したら嫌われちゃうでしょ。私は自分を律することに不得手なの」
「寂しいなら寂しいって素直に伝えるべきです」
「無理よ、私は不破君じゃないもの。……いい、我慢する」
我慢は慣れてる。今までだって、ずっとそうしてきた。
隠すのは得意だったじゃない。私なら楽勝よ。
「またそんな無理をする……」
「ごめん不破君。私から切り出したのに。忘れて」
両手を合わせて詫びる私を見下ろしながら、不破君は納得のいかない顔のまま無言を貫くのだった。


*

控え目なノック音がして、私は「はい」と応じた。「どうぞ」
ドアを開けて入ってきたのはPOSオペレータの千早歴ちゃんだった。
「おはようございます、志貴さん」
鈴の音を彷彿させる澄んだ声、綺麗に着こなした制服姿、それらに見惚れながら、「どうしたの?」と尋ねる。
頬に添えられた指、小首をちょこんと傾げた仕草から窺うに、千早ちゃんは困った様子だった。
「志貴さん、分からないことがあるんです」
そう言ってすいと差し出されたファイルには、【POS/EOS】と打たれたテプラが貼ってある。
販売時点情報管理のPOS、そのPOSを活用した補充発注システムのEOS。どちらもマーケティング用語ではメジャーだ。
中を開けばマニュアルがページ順に綴ってあった。POSルームで管理されている手引き書なのだろう。
「実はこのマニュアル、祖本なんです。改訂版の存在を知り、本部に送って貰うよう手配したんですけど……」
今日の便で送るため、到着は早くても明日になると言う。
「でも、明日じゃ間に合わない作業があるんです」
聞けば千早ちゃんには青柳チーフから『出張期間中だけ頼む』と割り振られた仕事があるのだとか。
それは1週間に1度、決められた日に行う作業で、ここ数週間は順調に作業出来ていた。
「でも、今回はイレギュラーな作業がありまして。マニュアルを見ても古いから載っていないし、先輩方はお休みですし……」
女傑四人衆は温泉旅行中で、潮透子ちゃんは本日休みだった。なるほど、それで私のところに来たのね。
「どんな作業?」
「マーチャンダイジングの情報をPOSの機械へ送るんです。その際、不要なデータなどの取捨選択を――」
「ごめん、分かんないや」
完全に青柳チーフの仕事だ。
でもチーフ、それを私ではなく千早ちゃんに振るなんて……。
「志貴さん?」
悶々としているところを呼び掛けられ、ハッと顔を上げる。心配気な顔が私を覗き込んでいた。
「あっ、ごめんね。それは私だと分からないし、不破君も……知らないだろうなぁ。他群番はどうかな?」
「発注の仕方が違うみたいです。でも今日までに行わなければいけなくて」
「それは困ったわね」
私はと言えば、「うーん」と唸るばかりの脳無しである。
「志貴さん。申し訳ないんですけど……」
「なぁに?」
「青柳チーフと連絡を取ることって出来ませんか?」
「えっ!?」
「あのっ……お願いします!」
90度のお辞儀をして、そのまま顔を上げようとしない千早ちゃんをおろおろと見下ろし、「やめてやめて千早ちゃん」と私。
「お願いしますぅ……」
「きゃー! ちょっと、そのお願いの仕方は反則よぉぉぉ。わ、分かった! 分かったから」
要求を受け入れると、千早ちゃんはコロッと笑顔になり、「本当ですか!? ありがとうございます!」と早変わり。
「ちょ、ちょっと待ってね」
ごそごそとスカートからスマホを取り出す。奇しくもア行の一番上に、かの人の名前はあった。
逡巡しつつも、千早ちゃんのためと言い聞かせ、発信ボタンを押した。2回のコール音がしたのち、
「青柳です」
息が詰まったのは、一瞬のことだった。胸が高鳴り、心臓がどくどくと脈打つ。
「あ、あの、おつかれさまですチーフ。今宜しいでしょうか」
「志貴か。どうした?」
あとにしてくれ、とは言われなかった。このまま話し続けても平気なのだろう。
私は千早ちゃんがチーフと連絡を取りたがっている旨を伝え、彼女に代わる。
3分程度のやり取りがあり、お忙しい中ありがとうございましたと締め括った彼女は私にスマホを寄越した。千早ちゃんの悩みは無事解決したようだ。
「あ……チーフ、有難うございました。ではこれで失礼します」
惜しみつつ、電話を切ろうとした。すると、
「志貴、元気か?」
この声は――聴き覚えがある。
きっと受話器の向こうで、微笑している。
ありありと、まざまざと、思い出すことが出来る。
「はい、元気です」
正確には、「元気になりました」。
「そうか、それはなにより。
あぁそうだ。3ヶ月の予定だったが、つい今しがた、お達しがあってな。俺の後任が決まったらしい。引き継ぎ終了次第、そっちに戻る」
“お待ちしております”。
出掛かった本音を抑え、代わりに「えぇ~」という不満を電話口へ漏らす。
「俺がいないからって、羽根を伸ばせるのも今の内だ。束の間の平穏を、精々楽しんでおくんだな」
この声も思い出せる。不敵に笑っているに違いない。
会いたい――早く会いたいな。
「帰って来るなとは申しません。ただ、東京土産をたくさんご用意しておいて下さいね。私も不破君も千早ちゃんも大変なんですから」
「東京でしか買えないヤツな」
「約束ですよ」
「あぁ」
「嘘付いたらハリセンボンですから。美味しいディナーご馳走して貰います」
「志貴と行くのか? 面白い。これはわざと買い忘れるのも一興だな」
「なっ……。う、嘘です今の嘘! 今のナシ! 失礼します!」
勢いよく電話を切り、またやってしまったと大後悔。でも……でも。
「嬉しそうですね。よっぽどイイコトがあったんでしょうね」
すぐ真横からしれっとした声が聴こえてきて、思わず身を引いた。いったいいつの間に不破君がここに!?
「お陰で助かりました、志貴さん。ありがとうございました!」
さらにその横で、にこにこと微笑む千早ちゃん。
「ダラしないなぁ。ニヤけ過ぎですよ、志貴さん」
呆れた口調で指摘され、「ち、違うわよ。ニヤけてなんかいないわよ、失礼ね!」と反論する私の声は、わずかながら上擦っていた。
「それより、よくも2人して私を担いだわね?」
「何のことでしょうか」
「しらばっくれないで、不破君。千早さんに、青柳チーフに電話するようお願いしたでしょっ」
「えぇー。そんな面倒なことしませんよー」
「千早ちゃん、彼から依頼されたのよね?」
「……いいえ? 私は本当に困ってました」
にこにこにこと千早ちゃん。
「そ、そう? それならいいの。そういうことにしておいてあげるっ」
照れ隠しでソッポを向くと、ぷ、と無礼にも不破君は小さく吹き出した。
私は敢えて、気付かない振りをする。顔を真っ赤にしたままで。


2013.07.04
2023.02.13 改稿


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