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02月05日 ■ 児玉絹


02月05日 ■ 児玉絹



「あんな事、言うんじゃなかったわ」
朝の早い内から、絹は猛省していた。内容は柾への一方的な非難に対して。
今日、2月5日は絹と玄の誕生日。
夜には仕事を終えた柾がマンションに立ち寄り、3人で祝杯をあげる予定だった。
指折り数えて待ち侘びていた誕生日だったのに、柾は当日の朝になって「行けなくなった」と言う。
「急遽ピンチヒッターとして部会に出なければならなくなった。今日は無理かもしれない」
当然、絹は駄々を捏ねた。仕事が一番なのは分かる。でもよりにもよって今日だなんて――。
拗ねたことが仇になった。部会に行かなければならないので柾は急いでいたのだ。
資料も用意しなければならないし、頭に詰め込まなければならない情報だってあるだろう。
一分一秒を争う朝の忙しい時分に、絹との押し問答をしている余裕などなかったはずだ。
だから柾が絹に対して苛立ったのも仕方がなかったし、当然だった。
「切るからな」と冷たく宣言されて遮断された通話。絹はとことん落ち込んだ。
ごみ捨てに行く足取りも重い。いつもなら階段を利用するが、気力も湧かずエレベータで移動する。
「あなた、新婚さん?」
たまたま居合わせた主婦に声を掛けられた。
「旦那さんとよく並んで歩いてるのを見掛けるわ。なんだか見ていると微笑ましくてねぇ……」
エレベータには絹と、声を掛けてきた主婦しかいない。だからその言葉は明らかに絹に向けられている。
恐らく、玄を旦那だと勘違いしているのだろう。
苗字も同じで、年もさほど変わらない。見る人が見ればそんな間違いも起こすのかもしれない。
いちいち「双子です」と訂正するのも面倒だ。根掘り葉掘り訊かれるのは性分に合わない。
身内には違いないのだし、と心の中で言い訳をして、絹は微笑みを返した。


*

ユナイソンの社員食堂で、杣庄は柾を捕まえた。何気ない会話を楽しんでいると、歴も姿を現した。
席を見付けるために右往左往していたので、杣庄は歴に声を掛けた。
知り合いがいてホッとした様子の歴は、杣庄の横に座る。彼女のトレイには和食が並んでいた。
「カボチャの金平! 美味しいよな、それ」
そういう杣庄も同じものをチョイスしていた。しかも山盛りだ。思わずクスリと歴は笑った。
「何の話をしていたんです?」
歴が尋ねると、柾はフォークでレモンバジルのウインナーを刺した手を止めた。
どことなく眉根が寄っている気がして、もしかして不機嫌なのかしらと考える。
「いや……絹と朝、少し口論をね」
「珍しいですね。柾さんが口論だなんて。しかも絹さんに?」
「今日は子供たちの誕生日で祝う予定だったんだがドタキャンしてしまってね。絹に散々怒鳴られた」
「え? 今日、絹さんのお誕生日なんですか?」
「え? 今日って玄の誕生日なんですか?」
歴と杣庄の声が綺麗にハモった。柾はあぁと頷き、ほうじ茶が入った湯のみを啜る。
歴と杣庄は思わず顔を見合わせる。恐らく考えていることは同じだ。歴は絹を、杣庄は玄を想ってる。
「15時から部会でね。多分その後は飲みに行くことになるんじゃないかな。だから絹たちの方を断わった」
「そんな……。何とかなりませんか? 絹さん、とても残念がるんじゃないかしら……」
「行ってやりたいのは山々だが、部会そのものが何時に終わるか分からない。守れない約束など始めからしない方がいい」
「でも……。……そうですか」
しゅん、と項垂れる歴。絹がどれだけ柾を義父として、人として愛しているかを知っている。だからこそ、絹が不憫でならない。
一方で、柾が社内でどんなポジションにいるのかも熟知している。
彼は出世頭の1人で、今だって重要なポストにいる。部会は大切だし、その繋がりはもっと大切だろう。
寂しさが伝播する。どちらも歴にとって大切な人。――だから彼らが寂しいと、私も寂しい。


*

「今日ね、エレベータで乗り合わせた人に、お似合いの夫婦ねって言われたわ」
「は? 夫婦? なんのこと?」
突拍子もない話題に玄は付いて行けなくて、絹を見返した。
トントンと野菜に包丁を入れる音がする中、だからねと絹は言い添えた。
「きっと誤解してるのよ。私と玄クンのこと。双子だとは思いもよらないんだわ」
「うーん、顔だって似てると思うんだけどなぁ」
「そうね。でも……」
急に口を噤んだ絹に、玄はどうしたんだ? と尋ねる。
「ううん。何でもない」
「絹、明らかに何か隠してる。絹と俺の付き合いって、生まれた頃から一緒なんだからさ、ちょっとした機微で分かっちまうっての」
「玄クンは誤魔化せないなぁ。ごめん、玄クン、お父さんに似て来たなって思ったの」
「お父さんって――」
「……ん、産みの親の方ね」
「……。そういう絹こそさ、スミレさんに似て来た気がする」
「……ごめんね。変な話しちゃったね。ほら、作り終えた料理、そっちのテーブルに移動させて」
「あぁ」
どことなくぎこちない空気が流れる。それもこれも、柾がいないからだ。たった2人きりの食事は味気ない。しかも2人とも主役なのに。
お互い祝え合えて嬉しい気もするけど、穴は確かに存在する。心に大きく、ぽっかりと。
「さ、食べようか。いただきます」
「いただきます」
洋食メインのディナー。絹の腕は確かで、凝った料理もお手の物。だけど今日は腕の揮い甲斐がなかった。
無言の食卓。美味しいねという短い言葉だけがぽつりと漏れる。はぁ、何て寂しい晩餐。
くすんと絹が嘆いていると、来訪を告げるチャイムの音が鳴った。
「宅配便かしら。玄クン、何か頼んだ?」
「頼んだ。アメシストの原石が欲しかったからさ。大丈夫、もう代金は払ってあるから」
「分かった」
スッと立ち上がると、絹は印鑑を持って玄関へ向かう。やがてキャーッと甲高い悲鳴があがった。




「絹? どうしたの?」
玄が慌てて玄関へ駆けつけると、そこには見知らぬ女性が立っていた。
長いストレートの黒髪を垂らし、白いロングコートを羽織ったその女性は玄を見ると優しく微笑み、丁寧にお辞儀をする。
「初めまして。千早歴と申します」
「ちは……!」
知ってる。その名前は柾の恋の相手。ユナイソンの大和撫子。
「えっと、柾さんは今日、いないんだけど……?」
「あ、いえ、違うんです。柾さんに会いに来たわけじゃないんです。
私、柾さんから今日がお2人の誕生日だと伺って。いてもたってもいられなくて、これを……」
差し出した歴の手には、バラの花束と有名ケーキ店の箱があった。もう1種類の紙袋にはスパークリングワイン。
「ごめんなさい。急に押し掛けてしまって。もうお暇しますから――」
「歴さん! 是非上がって行って! ケーキ、一緒に食べましょうっ! ねっ?」
「わー、これはまさかのサプライズギフト! 千早さん、ありがとうございます」
「柾さんから住所を聞き出しただけでも後ろめたいのに、そんな……」
恐縮しきる歴をよそに、絹は早速、歴の腕をとってダイニングへ引っ張り込む。
あれよあれよという間にバラの花が活けられ、歴の前にはワインと絹お手製の料理が用意された。
「これ、絹さんが?」
「えぇ。昔から料理が好きで、得意なの。でも歴さんのお口に合うか心配だわ」
「絹の手料理は、専ら俺と柾さんにしか振る舞われないから。いざ第三者に食べさせるとなると怖いよね」
見守る絹と玄。頬張る歴。わ、と歴は呻いた。
「お……美味しい……! 凄い、絹さん!」
「本当? よかったー」
大袈裟なほど胸を撫で下ろす絹は、それだけどきどきしていたのだろう。
歴の言葉はお世辞ではなく本心からのものだったから、あっという間に料理を平らげてしまった。
「嬉しい食べっぷりだわ。よければお持ち帰りする? タッパーに詰めてもいい?」
魅力的なお誘いだった。頂いては図々しいかしらと思いながらも歴は頬を染めてお裾分けを貰うことにした。
「こんなことまでして貰って、寧ろ申し訳ないわ」
「あのね、歴さん。私も玄も、今日は寂しい誕生日だったの。直パパは不在だしね。
でも、歴さんがこうして駆け付けてくれた。本当に嬉しかったの、私」
そう呟く絹の横顔はとても綺麗で。歴は改めて来てよかったと思う。
「直パパに祝って貰うだけが幸せじゃないのね。そのことに、今更ながら気が付いたわ。
ねぇ玄クン。私たち、視野が狭かったのね。人に心を許していなかったのもしれないわ」
「しかも絹は、≪依頼者≫との連絡を一切取らない主義だしな」
「今日はね、実はちょっと反省した。直パパがいなくても大丈夫なようにならなきゃいけないわね。巣立ってみようかしら。無理かもしれないけど」
「そう気付けただけでも進歩じゃないか?」
「そうね」
絹は笑う。玄も笑う。歴も笑った。
「それじゃあ、乾杯★」
「乾杯」
「乾杯!」
酌み交わす美酒に酔い痴れる。
友と呼べる人と過ごせる一夕は、掛け替えのない、甘くて温かい誕生日。


2012.02.18
2020.02.22 改稿


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