02月05日 ■ 児玉玄02月05日 ■ 児玉玄 普段通りと言っても過言ではない絹と2人きりのバースデーディナーに、喜ばしい来訪者があった。 千早歴さんである。 アルコールが入ってほんのり頬を染めた歴さんはかなり色っぽい。和の艶に弱い俺である。 じろじろ見続けるような非礼はしたくなかったから盗み見る形になってしまい、不審者めいていたかも。 とは言え、歴さんといえば柾さんの想い人。 幾ら歴さんが魅力的な女性でも、柾さんを敵に回すような極太魂は生憎持ち合わせていない。 俺的には、思春期男子が通過するであろう儀式『近所の憧れのお姉さん』という位置付けに相当する。 22時になり、歴さんがお暇する旨を告げると、絹は「えぇ~っ」と無念そうな声をあげた。 こういう甘え方は柾さんにしかしないから、よほど歴さんを気に入ったに違いない。 「もう帰っちゃうなんて……。泊まってくれても構わないのよ!?」 絹の無茶な提案に、歴さんは困り顔だった。 「絹、歴さんは明日も仕事なんだから」 「そうよね……。じゃあ歴さん。マンションまで送るわ」 「え? そんな、大丈夫よ!」 申し出をしきりに辞退する歴さんに、2人がかりで「せめて1人では帰らないように」と説き伏せる。 何かあっては柾さんに会わせる顔がないし、そもそも夜道は本当に危険だから。 結局歴さんはタクシーの代わりに兄を呼ぶと誓ってくれた。 電話口で兄は快諾。かくして異様な早さで迎えが来て、歴さんは無事、帰宅の途についたのだった。 * 空になった皿やグラスを満足気に見た絹は「晩餐はこれにてお開き」と笑い、片付けを始めた。 手分けをすれば、その分早く終わる。そこは長年培ってきた阿吽の呼吸が物を言う。 あっという間にシンクはピカピカ、拭いた食器は棚に収まり、空の瓶は死角スペースへ追いやり片付け終了。 「絹。お風呂沸いたから入れるよ」 「ありがとう。じゃあ先に入る――」 そこで絹の言葉が途切れた。明らかに様子がおかしかったので絹を見ると、なぜか玄関の方を凝視している。 「……お風呂は後にするわ」 「絹?」 「彼は要るのかしら……。ううん、要らないのかも……。どっちかな? 分からない……」 今度は小声でぶつぶつと独り言。一体どうしたって言うんだ? 「なぁ、絹?」 「玄くんにお客様よ。出てあげてね」 「客? こんな時間に?」 絹はそう言ったきり、ふいっと自分の部屋に戻ってしまった。内心戸惑っていると、チャイムの音が鳴った。 どうして来訪者があると分かったんだろう。異端の力が成せる業なのか? 走りにくいスリッパで駆け付け、ドアを開けた。そこには思い掛けない人物がいた。 「杣庄さん!?」 以前悪友に誘われて立ち寄った大須にある古着屋店の臨時店員であり、ユナイソンの社員である杣庄さんだ。 彼とは(絹の言葉を借りるならば)出会うべくして出会った。それほど奇妙な縁を持っている。 などと一方的に解釈していのだが実際に会うのはこれで2回目だし、何故彼がここにいるのだろう? 「よぉ、こんばんは。千早さん、来なかったか?」 「さっきまでいました。さっき帰られたばかりです」 「入れ違いか。だろうな。あー、えっと、今日誕生日なんだってな? 柾さんから聞いた。ここの場所も。 で、こんな時間になっちまって悪ィんだが、よかったらこれ、貰ってやってくれないか?」 言うなり、肩に掛けていたクーラーボックスを差し出した。50cm四方はある、大きな箱だ。 「な、なんですかこれ?」 「ははっ。閉店間際に捌いて来た。刺身と、漬けマグロと、海老の甲羅グラタン。あぁ、あと甘エビ。 今日はもう遅いからアレだが、このままクーラーボックスに入れておけばまぁ冬だし、鮮度も大丈夫だから」 「そんな高価なモノ貰えませんよ……!」 「気にすんな、俺の好意だから。その代わり、これが美味かったら今度からはウチで魚を買ってくれ」 ニッと笑う杣庄さん。ふと、根本的な商魂の逞しさが柾さんと似ているような気がした。 横たわる大きな違いはただ1つ。杣庄さんは職人気質、柾さんは商人気質だという点だ。 売り方や考え方に差異はあれ、目指す所は一緒なんだろうと思う。2人を思うと身体が震えた。凄い人達だ。 「じゃあな」 杣庄さん的には用が済んだことになるのだろう。身が軽くなってフットワークもよくなり、帰ろうとする。 「あ、待って下さい!」 思わず口から制止の声が出て、引き留めたところでどうしたいのかと必死に考える。 ただ御礼が言いたかったからだけなのか、もっと時間を共有していたからかったのか俺にも分からない。 悩んでいると、「こんばんは」と背後から絹の声がした。挨拶は初対面の杣庄さんに向けてのものだった。 双子の姉の存在も知っているようで、杣庄さんは「どうも」と言って軽く頭を下げた。「夜分に申し訳ない」 「絹、杣庄さんから高価な魚を頂いたんだ」 「杣庄さん、ありがとうございます」 俺や柾さんに向けられるトーンとは違う、≪迷える人たち≫向けに作った、大人びた女性の口調・表情。 ここで絹が姿を現したということは……つまり、そういうことなのだろうか。彼もまた、≪迷える人≫? こうなると俺の出る幕ではない。絹の出方を待つ。だが意外にも、絹はそれ以上何も言わなかった。 傍目には通り掛かりの客人に挨拶と御礼を述べた家人として映ったことだろう。 絹も俺も引き留めておく言葉が無いなら、杣庄さんを帰さないといけない。 「杣庄さん、途中まで送りますよ」 杣庄さんはお前がそうしたいならといった様子で頷いた。絹は「行ってらっしゃい」と微笑む。 「またお会い出来る日を楽しみにしてます」と告げて。 * 杣庄さんを駅の改札口まで見送ると、俺は一目散にマンションへ戻った。 絹には聞きたいことがある。さっきの不可解なやり取りを説明して貰いたかった。 俺のことなどお見通しだったようで、絹は紅茶を注いで待っていた。その目には憂いがある。 「絹……?」 「玄くんが杣庄さんと出逢ったのは、きっとそうなる運命だったからなのね」 「どういうこと? さっき、どうしてわざわざ対面したんだ? 何かアンテナに引っ掛かったのか? でも普段のように、押しつけがましく石を渡したりしなかったな。どうして?」 「どうすべきか迷ったから、実際に対峙してみたの。お陰で色々と分かったわ。彼は私の木霊を拒否してた。 でも彼には救いが必要みたい。私では駄目。今の私では。ゆくゆくは玄くんが踏み込むしかない。彼の心に」 「杣庄さんが大きな救いを必要としてるだって?」 「大きな穴よ。本当に大きな。本人はそれほど自覚していないみたいだけど、実際はとても深くて根強いの。 今の私には選べない。彼に適切な石を……。今、土足で踏み込めば拒まれる。それがハッキリと分かった」 「キーワードは? ユナイソン絡みなのか?」 「ううん。それは全く問題ない。寧ろ、ユナイソンでの生活があるから彼は正気を保っていられるんだわ。 問題は私生活の方。とてもイヤな感じがするの」 「私生活? 兄弟仲はいいって言ってたけど……」 妹の唄ちゃんは美少女。恋愛体質だけど店番を快く引き受けるし、家族想いのいい子だって聞いてる。 杣庄さんだっていい人だ。彼には姉がいるらしく、粗暴な割に面倒見がよいと言っていた。 彼曰く、3人で力を併せて祖母と暮らしている。……そうじゃなかったっけ? 「御両親は?」 「え? いや、何も言ってなかった。というか、何も聞いてない」 「問題は御両親よ。暗くて深い闇だわ。油断してるとこっちまで引きずり込まれる」 「そんな大袈裟な」 「玄くんには分からない? いいえ、分かりたくないんだわ。きっと本能では感じ取ってる。 肌にぴりぴり来てる感じ、しない? ついスミレさんの助けを借りたくならない? 恐怖が大き過ぎて、ハッキリ言って今回ばかりは目を背けたいわ。……勿論立ち向かうけど」 「絹……」 「杣庄さんの連絡先、知ってる?」 「あぁ、さっき聞いた。送ってく時にそんな流れになって交換し合った」 「玄くんに杣庄さんが必要なように、杣庄さんにも玄くんが必要なんだわ。 大丈夫。長期戦になるけど、きっと……ううん、絶対幸せに向かって歩き出せる」 漠然とした不安。忍び寄る影。何かが始まろうとしている。掘り起こさなくてはならない何か。 視界に入ったクーラーボックスを見て思う。杣庄さんが今、暗い何かを抱えているのなら是が非でも救いたいと。 決意を新たにする。同時に、力が生まれた日でもあった。 2012.03.22 2020.02.22 改稿 |