|
カテゴリ:Gentleman(シリーズ2)
10話 (犬) 【空威張】―カライバリ― 哀しいかな、ソマさんの腕力には到底勝てる気がしなかった。もがいても、振りほどこうとしても、逃れることが出来ないのだ。 まるで自分との差をまざまざと見せ付けられているようで、僕としては面白くない。 それは仕事だったり、女性に関してだったり、男としてだったり、あらゆる場面で突き付けられる「差」だった。 これには素で凹まされる。たかだか3年の差が、どうしてこうも歴然と違うのだろう。 「いい加減……離して下さい!」 力任せに振りほどくと、やっとソマさんから離れることができた。グシャグシャによれてしまったカッターシャツを直し、ソマさんと対峙する。 「可愛い後輩の恋路の邪魔しないで下さい。みっともないですよ」 僕が抗議の声をあげれば、彼は「はん」と鼻であしらう。苦み走ったいい男が腕を組めば、それだけで絵になった。 「誰が可愛い後輩だ」 「目の前にいるじゃないですか」 「お前なんて知らね。じゃあな」 さっさと歩き出すソマさんのカッターシャツをむんずと掴む。ソマさんが鬼のような形相で振り向いた。 「……ほぉ、良い度胸してるじゃねーか。覚悟は出来てんだろーな」 「覚悟ならとっくの昔にしてますよ。じゃなきゃ、誰が潮さんを好きになるかってんだ」 「言うねぇ。だったら透子を慰めてみせろよ。出来ねぇよな? お前は見事に失敗したじゃねぇか」 「ソマさんには可能だとでも?」 「透子とは同期だ。入社当時からずっと一緒にいたからな、どんな時にどんな言葉が欲しいか、いつ肩が欲しいのかも熟知してるんだよ」 「部署も違うのに?」 「関係ないね」 「すっごい自信。でも相手にして貰ってないのは、あなたもでしょう? ソマさんのは、単なる彼氏面じゃないですか」 「……あん?」 「新入社員対象の牽制宣言が証拠です。ほら、『潮透子に手を出すな』ってやつです。 一時はお二人が付き合っているものだと思ってましたが、そうじゃない。あなたの一方的な片想いですよね?」 「……まぁよく喋ること」 「はぐらかさないで下さい。僕の目はもう誤魔化せませんよ。これでもずっと見てきたんですから。 その過程で得た推理を披露しましょうか? ソマさんと潮さんは付き合ってない。単なるあなたの片想いだ。そうでしょう? 誰にも取られたくなくてあんな宣言をするなんて、滑稽にもほどが――」 「『付き合ってない』ってのは、どこを見てそう判断したんだ?」 ギロリと鋭い視線を僕に定め、説明を求めてくる。 まさかそこをすくいあげてくるとは思わなかった。想定外だった。 理路整然にまとめ、返答できればよかったのだが、如何せん時間が少ない。あやふやな状態のまま返すしかなかった。 「ことばにするのは難しいんですけど……。守る……、そう、ただ守ってるだけのような気がして」 「なんだそれ? いちゃついてないイコール付き合ってないって結論か。つーか、守るって立派じゃねーの? 男として」 「まぁそうですけど……。でも、なんか違うというか……。上っ面の……演技に見えることもしばしばあって……」 「それはお前の願望がなせるワザじゃね?」 「じゃあ、はっきり言ってくださいよ。潮さんと付き合ってるって、はっきりと」 僕のことばにソマさんは目を細め、押し黙った。どう答えたものかと悩む間すら感じられる。 事実、「これは予想外だったな……」と呟き、明後日の方向に視線を向けてしまった。 「ほら。言い淀むということは、付き合ってないってことじゃないですか」 「……やるじゃねぇか」 「え……」 「まずは1勝だな。おめでとさん」 ちっとも嬉しくなさそうにソマさんは言う。不穏にもピリピリした気を発し続けながら。 「俺は嘘だけはつかない主義だ。だから、その正攻法でこられたら、『付き合ってない』って言うしかねぇ。お前の勝ちだよ」 * 思い返せば、潮さんとソマさんが付き合ってると思い込んでいたのは、ソマさんがあの『宣言』をしたからだった。 潮透子に手を出してはならない、覚えておけ――と。 それは何故か? 理由など言わなくても、周りはいい年をした大人なのだから、行間を読んで『なるほど、付き合ってるからなのかな?』と認識する。 (――勝手に) 部外者たちは刷り込まれていたのだ。予め、僕たち新入社員が盛大な勘違いをするように仕向けられていた。 ソマさんも潮さんも、一度も嘘を吐いてない。当然だ。『付き合ってます』と公言したわけではないのだから。 (ソマさんは、ただ『手を出すな』という、さも所有権があるかのように振る舞っていただけ) 「――どうしてそんな回りくどい方法を……」 「……『どうして』?」 そう復唱し、空咳をして僕に向き直ったソマさんは、矢庭にピースサインを作るとその指を振った。 「それには大きな理由がふたつある。が、それをお前に教えるつもりはさらさらねぇ。お前が俺と同じ土俵に上がっていないからだ」 「? 意味が分かりません」 「俺とお前はイーブンじゃねーだろ? 俺は透子と伊神さんの経緯を知っている身だが、お前は全く知らないよな。対等じゃない。 一部始終を把握してる俺と違って、お前が不利なのは目に見えてる。だからお前が事件の内容を把握するまで、俺は動かない」 「敢えて僕を待っててくれるんですか? これでソマさんが負けたら面白いのに」 「お前を再起不能にする為に、分かり易くイーブンにしてるんだよ、こっちは」 「すっげぇヤなヤツ……」 「言葉を慎め、後輩」 「それで? その経緯とやらは、ソマさんが教えてくれるんですか?」 「俺が言うわけねぇだろ。少しは物を考えてから話せ。そんなの透子本人から直接聞けよ」 「教えてくれないからソマさんに訊いたんでしょうよ……」 「ははっ。イーブンにすらならないんじゃ、話にならねぇな。そんときゃお前なんざ俺にとっちゃ敵ですらねぇっつー話だ」 ぐ、と堪えるのがやっとだった。完敗だ。今度は僕が完膚無きまでにノックアウトされる番だった。 「……そうですか。分かりました。本人から聞きますよ」 「教えてくれるといいがな」 半ばやけくそな僕に対し、ふふんと嘲笑うソマさんが、とことん小憎たらしい。 そんなソマさんが、ふと小首を傾げた。 「そういや、どうしてお前は伊神さんを知ってるんだ?」 「3年もいれば、少しくらいの情報は入ってきます」 「あー、そういやお前の上司、青柳サンだったな……」 「残念ながらチーフからは何も聞いてませんよ。でも今ソマさんは認めましたね? 察するに、伊神さんと青柳チーフは知己なんだ」 「どうもお前とはとことん相性が悪いらしい。しかも俺の方が分が悪いのがまたムカつく。……そうだ、伊神さんと青柳サンは同期だよ」 「ということは、伊神さんと女傑四人衆も同期……。彼女たちから情報を得るのが最短か」 僕の推理が正しかったからなのか、ソマさんは何も答えなかった。もう情報を開示する気はないらしい。でも僕的には大収穫だ。 「誰も教えてくれなかったので、こうして健気に推理を重ねていくしか方法がないんですよ」 「なるほどな。ま、お前がどこまで真相に近付けるのか、楽しみにしてるぜ」 お手並み拝見どころか、『やれるものならやってみろ』と発破をかけるようなセリフを残してソマさんは行った。 (……疲れた……) ドッと襲う疲労感。そして敵だらけだな、と思った。この岐阜店に、進んで僕に真実を教えてくれる者など誰もいない。 恐らく恋のキューピッド役を買って出てくれた八女さんですら、真相に関しての質問には答えてくれないだろう。 何故なら、ことはとてもデリケートな問題だから。 潮さん本人が話さないようなことを、赤の他人がぺらぺらとひけらかしていいような話題じゃない。 だからこそ、当事者から直接聞かなければならないのだと思う。 (本人からか……。先が思いやられるなぁ……) 果たして潮さんは教えてくれるだろうか? 無謀な賭けだ。 けれども男の意地というものがある。絶対ソマさんと同じ土俵に立ってみせる。 差や溝は埋めることが出来るのだと、皆に思い知らせてやる。誰にも犬の遠吠えだなんて言わせない。 (→続く) 2008.09.24 2019.04.13 2023.02.17 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.02.17 12:34:21
コメント(0) | コメントを書く |