NAGたまの「烏兎怱怱」別館

2008/09/18(木)14:15

障害者として生きる

ALS闘病?記(213)

少し落ち着いてきましたので9月12日に何があったのか書いておこうと思います。 9月12日(金)いつものように仕事を終えて帰宅するためにT駅で電車を乗り換えました。駅員さんに介助してもらって車両に乗り込みます。ちょうど学生さんたちの下校時間と重なって車内はしだいに混雑していきました。 T駅を出発して3つ目のY駅に電車が到着したときに事件はおこりました。Y駅はこの路線では乗降客の多い駅です。そのとき私は車両の真ん中よりいくぶんドア寄りに乗っていたのですが、彼は持っていたバッグで私の頭を殴って逃げ去ったのです。突然の衝撃に頭が揺さぶられ何が起こっているのか理解できませんでしたが、「痛い!!」と声を上げました。この時周りに大勢人がいましたが、私のことを気遣う人はいませんでした。 それから電車が目的駅に着くまでの間、なんともやり切れない気持ちでした。 降りた駅で駅員さんに話すと、どこの学校かわかりますか?どんな制服でしたか?と聞かれましたが、男子の夏服はみな同じようなワイシャツにズボンでまったく見当がつきません。学校が特定できれば鉄道会社から学校側へ注意を促してくれるそうです。 怪我はありませんが精神的ダメージが大きく、一歩も外出できない状態が続いています。 今までも電車に乗っていると、わざわざ近づいてきて「チッ!」と言っていく方や、車いすを蹴っていく方などいろいろありましたが、車いすの私が積極的に表に出ることで、普段障害者にふれることが無いような一般の方に理解を広めることができるのではないだろうかとの思いで頑張ってきましたが、この一件で心が折れました。 地下鉄の駅では健康な人が先を争うかのようにエレベータに乗ります。車いすの私が居ても知らん顔です。 使用中の多目的トイレから出てくる人は健康そうな人ばかり。そういった人が出た後に入ってみると化粧をしていたような形跡が残っていることがあります。 電車の車いすスペースに荷物を置いて動かない人、車いすの私をちらっと見て「チッ」と言っています。 毎日こんなことばかり、疲れました。 車いすの障害者に暴力を振るって逃げるような人、 車いすの障害者が暴力を受けているのに知らん顔の人々。 急に恐ろしくなってきました。 と同時に私は自分の身に何か起きても自分ではどうすることもできない障害者なのだと認識したのです。つまり、もはや単独で外出するような体ではないのだということです。 中途障害者である私は健康な体の時にできていたことを不自由な体になっても努力しだいである程度は行えると思い仕事も続けて来ましたが、中途障害者ゆえに自分の身体状態の対する正しい認識ができていなかった事に気づきました。 もし、ここで気がつかなければ、この先も実際の身体状態と違う認識のもとに行動して、さらに重大な事故が起こり取り返しのつかない事態になっていたかもしれません。 そう考えるとさらに恐ろしくなります。 今後は単独での外出はやめて介護者に付き添ってもらうようにすることにしました。 が、人手がありません。 仕事に行こうにも、介護保険や障害者自立支援では通勤・通学の介助は認められていません。 国の施策では障害者は就労を拒否されている状態で、明らかに憲法違反です。 妻は仕事を持っているので私に付きっ切りになるわけにもいきません。 会社側にもなんとか助けていただけないかお願いしているのですが、こういうとき会社というのは冷たいもので「とにかく来てください」と言うだけで手を貸そうとしません。長く勤めてかなり会社に貢献したきたと思うのですが、寂しい限りです。 日本の社会は閉鎖的で、少数派は常に隅に追いやられて、かかわりを拒否されるのです。 私自身、障害者になったことで痛感しています。 周りはすべて敵で、私一人では挑みようもありません。 誰も手を貸してくれません。 言葉では言いますが、そういった人ほど自分の都合で援助の手を差し控えてしまいます。 何度裏切られたことか! 無駄な戦いを挑むほど体力も知恵もありません。 今後は、障害・病気と向き合い、家族と共に過ごす時間を大切にして生きたいと思います。 そう、私に残された時間は決して長くはないのだから。 ALS患者交流会で、気管切開して自宅療養されているご主人を介護している奥さんがこんなことを言っていました。 「今のうちに、動けるうちに夫婦で旅行とか行っておいたほうがいいですよ。」 この言葉がずっと頭の中に残っています。 [by NAGたま]

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