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GINZA BE☆SEE

12 フライト346

【フライト346】

上空346mの位置から地表を「俯瞰」するように、自分の人生を振り返って見ていく。その中には、家庭環境、両親との関係、地域性、師との出会い、現在の仕事の起点になった源泉、バルブ・フラッシュ、宇宙からのサイン、サブテーマなどが秘されている。過去は情報の宝庫。思いもよらないモノが見つかったりする。そしてそれらはこれからの人生を進んでいくにあたり「指針」的な役割を果たす場合が非常に多い。

ところでなぜ346mなのか?

それはHeiz銀座に来ようとしなければ絶対わからない。



■3月5日にHeiz交流会にてプレゼンをされた天宅(あまやけ)しのぶさんが
上空346mからご自身の人生の俯瞰にチャレンジします。


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【音職人の風景 第2話】

~小学校前編その2~ 

小学校3、4年の時、音楽の授業ジャックをしていた。
小学校の先生は全教科一人で見るけれど、音楽と体育はよく交換授業されていた。
3、4年の担任の先生は音楽は不得意だけど全部自分でやっていた。
それがあまりにもおぼつかなくて、伴奏を申し出て音楽の授業のピアノを弾くことになった。

ところが・・・

このお調子者がそうそう教科書通りのことをすんなりするわけがない。

「教科書の曲よりこっちの方が楽しいやん」と、聞き覚えの流行歌を勝手に弾いて、みんなでジュリーやピンクレディーの大合唱をする。
楽しい先生だったので私の授業ジャックに怒ることなく、一緒に歌ってくれてみんなで楽しんだ。
(モチロン授業は授業でやって、オマケ的に、です)
聞き覚えで弾く、ということの特殊性には全く自覚なし。

ヤマハのJ専科は、グループレッスンでついて行けないと思ったことがなかったけれど、練習を真面目にしないので個人レッスンの進みが悪かった。
このまま続けて行くにはピアノをちゃんと弾けないと、と言われ、エレクトーンからピアノに切り替える。
親がアップライトのピアノを買ってくれた。
エレクトーンからピアノの移行は鍵盤が重くて辛かったけど、なんとなく「本格的」な感じに興奮した。
やっぱり決められた練習はあまりせず、自分が弾きたいと思った曲ばかりを勝手に弾いていた。

小学校5年から、兄も行っていた進学塾「成基学園」に行く。
兄がそうしたように、当然のように「進学するのが普通だ」と思ってた。
兄と同じ、土日コース。(理恵ちゃんも一緒)
火木がヤマハで月水金が珠算教室、1週間全部詰まってる多忙小学生だった。
(でも家で自習、練習はしないので、ほとんど遊びに行ってる感覚)

塾で兄と同じ先生が担任になり、「お兄さんはよく出来たよ」と言われる。
理科の先生にも言われた。
母も同じことを言った。
一度もテストを受ける前から、「私の方が出来ない」と決めつけられてる気がした。
「同じだけ出来ないと認めてもらえない」と思った。
「超えればみんな認めてくれるんだ」と思った。
「ここで兄よりよかったら、母もみんなきっと誉めてくれる」と思った。
この幼稚な期待は裏切られることになるのだけど・・・

兄は中学受験に失敗した。
当時京都で一番の洛星中学を受験して落ちた。
成績的にはまぁまぁ合格圏内だったのだけど。
洛星は男子校なので、私はどうやっても行けない。
どんなに頑張っても、女子は教育大付属か同志社がアッパー。

その進学塾の成績、やはり追う者の特権で、私の方がよかった。
模擬テストでもよくランキングされて、男子だったら洛星も楽勝、灘中圏内にいた。

あんなに兄のことを私に言った人達、母も含めて誰も私を誉めてくれなかった。
幼稚な私は、行き詰まった。
どうしたら母が認めてくれるのか、わからなかった。

「きっと母は私より兄の方が大切なんだ」と思った。
そして「私が兄を抜くことは望まれてないんだ」と思った。
「私は勉強ができちゃいけない」と思った。

私の比較対象は常に兄だったので、同級生の中で自分がどうだったのか、は全くわからない。
いちいち自覚がなかったけど、多分なんでもよく出来た。
3つ上を比較対象にしてるのだから当たり前だ。

絵が得意でみんなの似顔絵を描いたり、流行ってる漫画をそっくりに描いたり、人気者だったと思う。
絵の賞状がたくさんあるけれど、母が誉めてくれなかったのでどれも印象にない。
「賞をとる」ことが特別なことである自覚がまるでなかった。
何をしても誉めてもらえない、という証拠が増えるだけだった。

小6の時、私の作った曲が学校の運動会の曲になった。
嬉しかったけれど、得意ではなかった。
学校でどれだけみんなが「すごいね」と言ってくれても、家で誉めてもらえないことはすごいことではない、と思っていた。

一方相変わらず感情のコントロールはまるでダメで、小6になっても毎日のように泣いていた。
でも、いじめられっ子ではなく、どちらかと言うと人気者だった。
いじめられて、でなく、感情が動く度に勝手に泣いてたのだ。

小学校5、6年の担任の先生は根っからの熱血先生で、人として大事なことをたくさん教えてもらったと思う。
去年の同窓会では先生とデュエットをした。
今では伏見区の小学校の校長先生をされてるが、今も熱い、情にもろい素敵でかわいい♪先生だった。

余裕の圏内にいたので、同志社中学にあっさり合格。
同時に兄は洛南高校の特進に合格。
ここから仲良しだった兄と、溝が出来始める。

【次号 小学校後編その2へ】

文/天宅しのぶ(あまやけ・しのぶ)
text= SHINOBU AMAYAKE
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■天宅しのぶ(あまやけ・しのぶ)プロフィール

京都市生まれ。父親が囲碁棋士という数奇な家庭環境の中で育つ。
幼少の頃から音楽の英才教育を受け、同志社女子大学音楽学科に進学後、
レストランなどでピアノを弾くアルバイトを始める。この頃から「ジャズ」にも目覚め、
多くのライブ活動に没頭。卒業後は任天堂に就職、スーパーファミコンなどの
ゲームBGMを多数作曲する。

退社後、上京してからしばらくはジャズヴォーカルに専念。現在はプロの
ジャズヴォーカリストとして銀座・六本木・赤坂などのラウンジやライブハウスで
毎週ライブを行っている。また多種多様な音楽をクリエイトする音楽制作会社
「AMKミュージック」の代表を務める。音楽の持つ「力」でそれを聴く人々を
幸せにしていく、という志を持つ。天竺バントのヴォーカルでもある。

■LINK
天宅しのぶHP
・ジャズボーカリストとしての天宅さんのホームページです♪

天竺バンド・リハーサル映像
・宮崎考雄(g.)、七海人(dr.)とのトリオバンド「天竺」で天宅さんはボーカル・キーボードを担当してます。

磨きのハードボイルド
・天竺バンドのギタリスト。本職は車の磨き屋。美ワークス 宮崎考雄のコラム。

七海人の英語コラム
・天竺バンドのドラム担当。「英語教師」「映像作家」「イベントプロデューサー」「パーカッショニスト」と多くの顔を持つ七海人のコラム。

「音職人の風景」バックナンバー
・天宅さんの過去の記事がここから読めます。

■AMKミュージック業務内容

○任天堂DS等のゲームBGM制作
○携帯電話の内蔵着信メロディ制作
○各種音楽データ制作
○声優・ミュージシャン演奏手配・録音など

■実績

Docomo=N902iX-HighSpeed
Docomo=N703iD(佐藤可士和モデル)
の両機種の全内臓着メロ制作

au=W52SH 内臓着信メロディ制作
au=MEDIA SKIN(吉岡徳仁モデル)

任天堂DS
「ポケモンレンジャー パトナージ」BGM制作
「ミラクル小学1年生」(学研)BGM&効果音制作

■天宅しのぶ得意技

「モノのイメージを顕す曲作り」

任○堂の入社試験。
「絵を見て30分以内にイメージに合う曲を作って楽譜を作る」
彼女の場合、絵を見て、パッパッパッパ、と音が浮かぶ・・。
こういう能力にずば抜けている。
例えば携帯電話の音作りの実際のお仕事では
携帯のデザインコンセプトを聞いて、実際携帯を触り、眺め、
イメージを右脳でつかんでそれを音にするのがまず速い。。
それを担当者が聞いて「もっと丸い音」とか「もっと深い音」などと
いう要求(イメージ)を拾い修正を加えることがさらに速いのである。
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Heiz銀座広報誌【新価値通信BE☆SEE 第2号】


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