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カテゴリ:つぶやきシリーズ
昨夜、寒いなぁ・・と思って外を見ると、なんだか明るい。なんだろう・・と思うと一面真っ白。歩道のライトが積もった雪に反射していたんですね。。あらら・・きれいね・・と寝床に入りました。今日は一日家にいるわけにいかないので、意を決して外にでました。
昨年は12月上旬に雪が降っていたので、明らかに今年のNYの冬は暖かいです。そのためか過酷な冬を忘れて、外に出るなり、冷気が襲ってきました。だいたい-9℃の世界っておかしいっ・・氷点下ってことは凍るんでしょ~・・と心の中で叫びながら歩いていました。車もツララができていました。 人間寒い中に身を置くと、いろいろと体を知ることができます。本当に寒いと息が止まり、アレルギー持ちは耳よりも先に鼻がやられます。ジーンズは氷の布のようになり、足が震える・・・。手袋はどこに穴が空いているか感じることができます。エスキモーのようにフード付きのダウンを着ても、辛い外出でした。そんな中、ツリーを元気に売っているお兄さんたちに、ただただ脱帽。 ニューヨークは雪慣れしているのか、一夜明けると除雪剤がまかれ、主な道路はこのように雪が無くなります。歩く分には支障がないですし、アクセスも地下鉄がメインなので、予定通りに一日を終えることができました。 寒い寒い・・と家に帰り、かじかんだ手でポストを開けると、クリスマスカードが届いていました。誰だろう・・と思うと、幼稚園の先生からです。震える手でコーヒーを作り、封を開けると、変わらない文字でしたためてありました。 先生は私たちが卒園すると同時に結婚されて新潟に行かれました。しばらく音信不通だったのですが、小学6年のときに『生い立ちの記』なるものを作らされ、幼稚園時代のことを伺おうと電話したのがきっかけで、毎年手紙のやり取りをしています。受験のとき、就職のとき、結婚のとき・・年賀状以外で節目のときにはお互いにカードでやり取りしていました。カードの最初には新潟の1年が書かれていました。今でも災害の終わらない新潟。いつもは「来年も良い年で・・」と書かれているのですが、今年は「2005年は良い年でありますように・・」と〆られています。本当にそうですね。来年は「災」の無い年にしたいです。 いくつになっても親は親のように、先生は先生です。何歩も前を歩いている先生が、だんだん私に大人として話しかけてくれるようになります。文字は変わらないけど、文面やカードの柄などが私の背丈と並んできます。幼稚園の頃は年齢もプライベートも全てベールに包まれていた先生を、だんだん生身の人間として、同性の先輩として感じるようになりました。それは嬉しいことである一方、自分は現実の世界で生きているんだな・・というセンチメンタルな気分も引き起こします。確実に年をとり、なんだか靄のかかった幼稚園時代から、随分とはっきりしたモノになっていくんだなぁ・・という漠然とした思いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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