マンハッタンで考えてみた

2005/08/15(月)09:53

ご冥福をお祈りいたします。

つぶやきシリーズ(163)

 今年の4月から約4ヶ月、毎日気になっていた方から今日メールがきました。本当に気にしない日は無いといっても過言でないくらい。日本で勤めていたときにお世話になった社員の方です。  新入社員時代からいろ~んなことを教えてくださった方です。ニューヨークに来たときも「学生時代にNYの冬に旅行したことあるけど、本当に寒かったから・・」とマフラーを奥さんと探して送ってきてくれました。ニューヨークに生活を移してからも、夫婦仲のことを特に気にしてくれました。  その方の奥さんとは、社員の方が入院した時に病院にお見舞いに行き、お会いしました。目が大きく澄んでいて、とてもきれいな方でした。お嬢さんが2人いらして、とても家族を大切にする方でした。お嬢さんが企画した誕生日会のことや家族の写真などをメールで送ってきてくれました。  今年の4月15日に元同期から、その方の奥さんがガンとわかり、ステージ4と連絡がありました。何かアメリカのガン治療で日本と違うことがあったら・・と言われ、調べたり聞いたりしましたが、報告できるものは私の力ではありませんでした。その方は、奥さんのことは限られた社員にしか伝えず、会社を休んで看病にあたられました。途中、一度近況を伝えた手紙を出して数ヶ月がたちました。当時、私にできることは普通に接することだけでした。  今月の6日、奥さんが亡くなりました。享年39歳でした。式に出られない私としては、知らせてくれた元同期にお香典等お願いしたのですが、式のことを知ったのは全て終ってからでした。たぶんもう社員ではない私や元同期にその方との接点があるとは思わなくて、知らせてくれなかったんだと思います。ここ数日、元同期とメールで連絡を取り、私が日本に帰る来月に二人で奥さんにお線香をあげに行かせてもらおう・・ということになりました。    そんな矢先、元同期と私宛にその方から奥さんが亡くなったことの報告・・としてメールが今日届きました。読んでいて言葉がでず、目の前が霞んでしまいました。辛い気持ちの中でメールを書いてくれたのに、読んでいて私の中に何かが残りました。家族三人の胸の中に残った奥さん、辛いけど、でもこれが生きるってことなんだなぁ・・と感じました。  妻Yは、私が思っていたより何百倍もすごいヤツでした。 この4ケ月の闘病生活は凄絶なものでしたが、苦しい中、家内はいつも笑顔で、 看病する母や私を気遣い。4ヶ月付き合った看護婦さんや先生方も最後は号泣しながら 「Yさんには本当に多くを学ばせてもらいました」と話してくれました。 最後にYは、右手を必死に持ち上げ、人差し指で私の左胸をたたきながら、 私はここにいるからね」と語ってくれました。私と娘2人の胸にYは宿りました。 家族3人、ゼロからのスタートです。

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