日遅れ日記(1)。
2010/1/11玉勝間「儒者の皇国の事をばしらずとてある事」「儒者に日本のことを聞いた時は、知らないと言っても恥にはならないが、中国のことを聞いた時は、知らないのはとても恥ずかしがり、知りもしないことも訳知り顔に言ったりする、これは一切を中国風にしようとするあまり、自分自身をも中国の人っぽく装って、日本をよその国のことのように扱おうとすることなのだろうが、そうしても中国の人にはなりきれない、日本の人であるのに、儒者たるもの、自分の国のことを知らないでいるべきという職業なのだろうか、もちろん日本の人に対して、このように振る舞うのは、中国の人っぽくていいだろうけれども、もし中国の人に問われた時、私はあなたの国のことはよく知っていますが私自身の国のことについては知りませんというのは、さすがに至らないのではないだろうし、もしそのようなことを言ったら、自分の国のことですらろくすっぽ知りもしない儒者が、どうして人の国を知っているなどということがあろうといって、ひどく笑ってしまうに違いない」玉勝間を書いた本居宣長は学者としては結構デタラメな学説も吐いたりしていて、現在の評価はいまいちだが、だからといって、玉勝間の全部がダメというわけではない。ところどころ見るべきところがあるだろうが、最初の方に出てくる儒者批判は非常に的確だ。当時は「。」がないということを忘れてついつい一文で現代語訳してしまったが、こうしてみると熱心に語っているように書かれた感じが出てくる。「汝自身を知れ」というデルフォイの神託の言葉を持ち出すまでもないだろうが、これはかなりいい教えである。