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ヒロガルセカイ。

ヒロガルセカイ。

8。

   8。

初会の客は一度会ってみて気に入らなければ別の花魁を呼んでもいいのです。
その花魁が気に入ったなら、花魁に忘れられないうちに再び郭にきて、この花魁を呼ぶのです。これを<裏>を返すといいます。
このとき客はその花魁つきの男衆にご祝儀を振舞います。
ご祝儀は客が花魁の目の前で出して、花魁が振舞いを確認。
この儀式を通過して初めて、花魁が客の傍に寄ってきてくれるのです。

夕映が客を掴めば、霜柱にも祝儀が出る計算です。

本来の男衆の仕事としては、自分の食い扶持が欲しいから花魁を無理やりにでも仕事に付かせて客を取らせる所でしょう。
しかし霜柱は積極的に薦めはしませんでした。
それどころか1人めの客に床を取られて。
しかも強蔵(精力が強い)だったようで、汗をかいて息もたえだえの夕映の着替えを手伝いながら
「次は振り(お断り)なさい。夕映さん。」
「そんなことをしたら・・あなたも困るでしょう。」
「投げられた(断られた)客を送ることなら容易いことですよ。どんなに怒鳴ろうとも、捨てておきますから。あなたが倒れるよりもはるかに気が楽です。」
そっと髪の乱れを直すと、・・まだ何か言いたげな霜柱。
「・・あの・・?」
「夕映さん。・・俺、」
言いかけて・・でも二の句が告げなくて俯きます。
夕映の着物のすそが乱れていました。
汗で光る腿が見えてしまって、霜柱はぐっと堪えます。
「足元に気をつけてください。・・そんな格好では振れませんから。」
「あ、・・すみません。」
ぎゅっと裾を手繰りよせました。
その指の微かな震えが、夕映がいかにこの仕事に向いていないかを如実に語りかけてきます。
「・・行きましょうか。夕映さん。2番目の客が座敷でお待ちです。」

行灯を持った霜柱に連れられて座敷に向う途中で、夕映つきの新造の司(つかさ)がこちらに歩いてきました。
大きな黒い瞳。すこし生意気そうな猫目。口元に小さな黒子がひとつ。
年は1つ下ですが、禿の頃は島原(京都の遊郭)にいたので経験のある子です。背丈も夕映よりも頭半分高いので、すこし首をかしげて話しかけてくる司が、夕映はすこし苦手です。
「夕映兄さん。早うきてくれんと困るわ。あの客、夕映・夕映て。もう場がもたへん。」
「今から行く。司さん、どきなさい。」
郭の中は狭い造りです。
霜柱がどかそうとしましたが、司は でん・と構えて道を譲りません。
腕組をして、霜柱の影にいる夕映を覗き見ているのです。
「司。」
夕映が名前を呼ぶと、ふふ・・と微笑しました。
「夕映兄さん。さっき床でしたん?・・いいなあ夕映兄さん、よう稼ぎますな。」
「司さんもそのうち花魁になる。そうしたらそんな口は聞けなくなりますよ。」
「霜柱こそ、俺が出世したらこき使うから覚えとき。」
ふんっと鼻息を鳴らして、ようやく道を譲りましたが・・すれ違いざまに夕映の臀部を撫でました。
「・・!」
夕映はぞくっとしましたが、声を殺します。
「・司さん。どちらに行かれるか存じませんが、酒宴ですから早く戻ってくださいね。」
霜柱がふいに振り返ったので、司が手を引っ込めました。
「はいはい。」
さっさと歩いていきました。
「この暗闇で、よくまっすぐ歩けるものですね。」
行灯がないと互いの顔も姿もわからぬ暗闇の廊下です。
霜柱が感心していますが、夕映はかすかに震えていました。



その震えも気づけぬ暗さが、好奇心に沸く鬼に隙を与えていました。
ことが終って・ひっそりと静まり返る夕映の部屋で、鬼は何事かを企んでおりました。




花魁・禿・揃っての酒宴もたけなわ。その席に約束どおり高尾太夫が顔を出しました。
「おお・・」
巷では錦絵(似顔絵)でしか姿の拝めない高尾太夫に、客は大喜びです。
愛想笑いをしない。ありんす言葉も使いません。あくまで自然体の粋な花魁に、舞い上がった客がいそいそと酒を勧めますが、あっさり断られます。
「蕎麦でもとろうか?高尾太夫。」
「さっき食べたからいい。お菓子が食べたいなあ、お客さん。」
「お、お菓子を人数分!」
客が霜柱に慌てて言いました。
霜柱が苦笑を俯いて隠しながら、お辞儀をして退出します。
<高尾太夫さんの好きなお菓子は、鯛の刺身よりも高くつくのに。>
もともと遊郭でとる台の物は、世間相場の2倍はします。
砂糖を使ったお菓子であれば、もともと高価な上にさらに倍。
引ける(帰る)ときに客は請求金額に驚くことでしょう。

台の物として出てきたお菓子を禿に食べさせます。
高尾太夫も、ひとつ齧りながら客の話を適当に聞き流しています。
高尾太夫の身の上とか生い立ちとか。
客は夕映をそっちのけで、やたらと高尾太夫に聞きたがりますが
「そういうことは、座敷じゃ無理。床で話すものでしょう。」
あはははと軽く笑い飛ばされました。
その気にさせておいて、床でも話さないでしょう。
そのやりとりを・・夕映は焦がれる思いで見つめていました。

視線に気づかぬ高尾太夫ではありません。
自分の齧っていたお菓子を客の口に詰め込むと、襖を開けます。
「にいさ・・。」
思わず声が出てしまいました。
「お客さん。初会ならまた来てやってくださいよ。この花魁、可愛いでしょう?」
「あ、ああ・・そうだけど・・。」
客は、今夜だけでも相当の金額が請求されることを理解していました。
なのに床もとれない初会です。
この吉原のしきたりでは、とびきりの花魁を目の前にしながらあと1回は食えずに帰るのです。
「そのくらい我慢されても。値打ちのある子ですよ。ほら。」
高尾太夫がそっと夕映の顎を取りました。
触られただけで紅潮する頬。
「なんと・・初心な子だろうか。これは驚いた。」
喜んだ客は、裏を約束して。そのまま霜柱に送られて帰っていきました。

「上手くなってきたね。」
高尾太夫がにっこり笑って誉めます。
「そんなではありません。」
夕映はせつない気持を告白しようかとしましたが。
「さて。次かな?」
さっさと座敷を後にしてしまう後姿。
「兄様、」
「よがれとは言ったけれど。地震はするなとも言ったはず。体がもたないぞ?」
「・・。」
高尾太夫は隣の部屋です。先ほどの床が聞こえないはずがありません。
「顔色が悪いな、次も振ればいい。どうせ初会だろ。」
「・・。」
黙ったままの夕映に、唇をそっと重ねました。
「・・客の前で、俺を見てはいけないよ。」


9話へ続くのでありんす。





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