私の故郷は 「ふくしま」 です。

2013/10/09(水)10:17

スランプ? うつ???

こりゃうつ病だぞ、オイ!(46)

最近スランプに陥っています。 思考力が働かない、集中力が持続しない、何事においてもやる気が起きない・・・ 極論するとこんな症状なのですが、頭が今までのように働かないのはもはや病気?老化? そのおかげで気分も落ち込みがちです。 とにかく長い文章が書けない。理路整然とした文章や、筋道立てした説明資料が作れない。これってかなり落ち込みます。 書きたいことや説明しなければならないことはあるのですが、それを文章に起こすとか、説明すべき事柄を資料にまとめられない。仕事なんてこの連続なわけで、毎日脂汗流しながら、心臓バクバクさせながら形にならない思考を無理やり吐き出してはため息をついています。 本当なら3.11の震災後に自分がどう行動したのかを、子供たちやその子供たち(自分の孫)そして子孫にも分かるように文章にして残しておきたい。あの時どんな気持ちで、どう行動したのか?自分が得られた情報はこういったもので、それでこう判断したからこういった行動を取った・・・ 地震の被害の大きさ、ライフラインが断たれたときの行動、家族の食料や子供のミルク、飲料水を求めて自転車で走り回ったこと、その途中で会った見ず知らずの人を励ましたこと・・・ 自分という一個人がどう考え、どう行動したのかを子孫に残すこと、それが教訓となるのか?それとも美談になるのかは別として、この時代に生きた先祖がこういうときはこう動いたという事実を残したいと思っているのですが。 どうしてそんなことを思うのかといえば、やはり今年なくなった私の母の影響が大きいでしょうね。 私にとってはあまりにも大きな存在だった、こんなにあっけなくこの世からいなくなるとは思ってもいませんでしたから、時間が少しずつ過ぎる毎に振り返ってその偉大さをかみ締めるとともに、その母の残したもの(形あるものだけではなく形のないもの)を私の子供たちに残してあげたい、同じように自分自身の存在を後世まで残すには言葉を綴るのが一番のような気がするのです。 四十数年間生きてきて、今まではどちらかといえば生まれて何年という感覚が中心で生きてきましたが、今年は母の死をきっかけに、自分の人生は残り何年、それをどう締めくくっていくのかというライフプランを考えなければならないことに気づかされました。 あと何年で会社が定年になり、定年後に何をするか?なんて漫然とした老後を考えるのではなく、うまく生きれてあと30年、その30年の間に何をして、最後はどうなって子供たちに繋いでいくのか?老後ではなく死後を見据えた人生設計とでもいうのでしょうかね。 車を選ぶにしても、残りあと何回買い換えられるのか? 自分の体が効くうちにしか好きな車に乗れないと思うと、次に選ぶのは自分にとって大事な1台になるかもしれないという不安、 身の回り(家の週辺)を見渡して、昔から片付けなければと思っている場所をいつ整理するのか? このままずるずると放置しておくわけにはいかないという焦り。 家庭のこと、仕事のこと、どちらもこんな感じで閉塞感に悩まされています。とにかく頭が休眠状態(老化?)でままなりません。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る