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俳ジャッ句     

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美子の告白  2

  美子の告白 2



 それからは月に一度ほどの割りで谷と逢うように

 なりました。

 あいかわらず夫には大阪の娘のようすを見に行くとか

 京都で句会があるとか口実をもうけて出かけましたが、

 夫は疑うほどの関心さえも示さないのには、助かりました。

 京都での逢瀬は、きまって祇園のホテルをつかいました。

 いわゆるありきたりのラブホテルです。

 ところが、思わぬことが起こったのです。

 あれは谷と密会するようになって半年目の3月のこと

 でした。

 いつものようにホテルを出て、清水寺まで足をのばした

 ときのことです。

  茶碗坂を谷と歩いていると、背後から肩をぽんと叩かれ

 たのでした。

 反射的に振り返ってみますと、なんと夫の患者で、しかも

 同じ町内のある奥さんが、笑って立っているではありませんか。

 あまりのことに心臓が止まるかと思ったくらいでした。


 「村井先生の奥さんやないの」

 「……」

 絶句するしかありませんでした。

 「あら、お連れさんがいてはるんやね。これはお邪魔やわ」

 いかにも嫌味に言い、わざとらしくあたふたと立ち去るのには閉口

 しました。

 相手が悪すぎました。

 町内では放送局とあだ名されているほどの噂好きの奥さんだった

 のです。

 なんと触れてまわるか、言わずとも知れたことでした。

 私が呆然としているのを見て

 「厄介なことになりそうだね」

 谷も心配そうに、そしてやさしく言いました。

 「こまったわ、どうしましょう」

 私も考え込んでしまいました。

 「いざとなったら腹をくくるさ」

 「どういう意味なの」

 「別れればいいんだよ、ご亭主と」

 「そんなに簡単に言わないで、あなただって奥さんが

 いるじゃないの」

 「どうせ家庭内別居なんだから、うちは」

 たしかに谷は妻とはうまくいってないと日頃から口癖の

 ように言っておりました。

 が、お互いのしがらみが、そうたやすく断ち切れるものでも

 ないのは、わかりきっていたのです。

 それから二人は、また別のホテルに行って、狂った

 ように求めあいました。


 
 案の定私が男と密会していたという噂は野火のように

 またたく間にひろがったのでした。

 若狭のたかだか人口数万の田舎町では格好のスキャンダル

 でしたから。

 夫の耳にも、いづれは届くものと覚悟はしておりましたが、夫よりも

 先に夫の姉の知るところとなりました。

 その姉は、同じ町の同業者のもとに嫁しておりましたが、

 調停委員をつとめる有閑マダムで、なにかというと長女づらを

 して、村井の家のことにくちばしをいれたがる、うるさ方でした。

 「美子さん、ちょっと話があるのよ」

 わが家の仏間にあがり込んで仏壇に手をあわせてから

 やんわりと切り出したのです。

 そして次のセリフが芝居がかっていました。

 「よくもまあ、村井の家名に泥を塗ってくれたわね」

 長年この口うるさい小姑になにかと嫌味を言われ続けて

 きましたから、どういう風に向かったくるのかぐらいは

 わかり切っていたのです。


  「いったいなんのことでしょうか」

 しらじらしいとは思ったのですけれど、そうとぼけるしか

 ありませんでした。

 「京都で男と逢ってたっていうやないの」

 義姉が若狭なまりをまともに出すときは、興奮している

 証拠でした。

 「博ちゃんは、のん気やこと、自分の女房がなにをしているか

 知っているのやろか」

 「お姉さん、博さんがなにをしてはるか、ご存知なんですか」

 「ほら、そうくると思うとったわ。

 あんたは、あのこが外で女をこさえとるから、いうて

 だからって自分も負けんと不倫するっていうわけなんか」

 そのとき玄関のチャイムが鳴ったので、私はあわてて

 その場を離れましたが、ことがそれで納まるとは思いません

 でした。


 
 夫は思いのほか冷静でした。

 愛情のかけらもない妻にいまさら嫉妬するほどのことも

 ないのでしょう。

 それは私とて同じでした。

 ただ夫は男としての面子とプライドだけは持ち合わせています。

 世間体からしばらく別居しようと言い出しました。

 私は隣町の実家に帰ることにしました。

 実家には母が弟夫婦と同居しておりますが、

 その弟が亡父から受け継いだ材木店が経営不振に

 おちいっていたのです。

 「こんなときによりにもよって、なんてことや」

 と母は私の顔を見たとたん愚痴りました。

 私は弟夫婦の手前もあって身の置き所がありません

 でした。


 もちろん谷と逢うなどできるはずもなく、電話で連絡だけは

 しておきましたが。

 「厄介なことになったね」

 谷はいつものささやくような口ぶりでため息をつきました。

 「君だけを針のむしろに置いてはおかないからね」

 そうも言ってくれました。

 そのときはもはや谷だけが頼みの綱でした。

 「僕にだって覚悟がある」

 とも言ってくれました。

 谷がなにを意味しているかはわかっていました。

 長年連れ添った妻とは家庭内別居状態だったのです。

 まもなく谷は家を出て妻と別居しました。

 同じフランス文学科の同級生と結婚したのですが、

 谷が出版社を立ち上げたものの失敗してからは

 経済的にも苦労させた妻だったのです。

 その人は都立高校の教員をしておりました。

 「彼女はしっかり者だから僕がいなくても充分やっていける。

 いや、むしろ僕なんかいないほうがいいんだ」

 谷は自嘲ぎみに言いました。



「お嬢さんだっていらっしゃるんだし」

 「いいんだ、俺はろくな父親じゃあない」

 谷はひどく投げやりな口調でした。

 「それよりも君はご亭主と別れる気はあるのかい」

 そう来るとは思っていました。

 「40歳も過ぎていまさら駆け落ちでもないしね」

 「いや、俺は覚悟はできているんだ。

 問題なのは君のほうなんだ。

 きっちり別れる覚悟があるならもう悩むことはない」

 そうは言っても、私には娘の理子の行く末が気がかりでした。

 もしも私が離婚するとでも言い出したら、娘はけっして許しはしない

 はずです。

 そんな気性の激しい、きついところのある子です。

 「ママは身勝手だわ、私は絶対にママの好きにはさせないから」 

 と食ってかかってくるにきまっています。

 私は母親として断ち切れないしがらみを感じずにはいられ

 ませんでした。

 夫婦別れはできても、母子は別れるわけにはいかなかったの

 です。



私が煮え切らないでいるうちに弟の会社の経営状態はどんどん悪化

 していき、もう倒産寸前にまでなっておりました。

 不渡りが出るというぎりぎりにまで追い詰められた弟は、ついに私に

 泣きついたのです。

 「姉さん、村井の義兄さんにたのんでくれないか、この通りたのむから」

 と実際に手を合わせて拝みたおされたのです。

 それには、もはや拒みようがありませんでした。

 私は夫には泣いて詫びを入れて、弟の借金の一部を肩代わりして

 もらうしか方法がなかったのです。

 夫はしぶしぶながらも判をついてはくれはしたものの、血の凍る

 ようなひと言を投げてよこしました。

 「これでお前も終身家政婦に再就職したってわけだな」

 その言葉にはこたえました。



家にもどるに際しては母から夫には絶対に逆らわないようにと

 念を押されました。

 母に泣いて意見をされますと、谷のことはやはり清算するしか

 ないと観念しました。

 そうはいっても谷とのことは、私にとっては青春時代をふたたび

 生きなおしているような感覚がありましたので身を切るようにつらい

 ものでした。

 ですが、私は夫のいうように終身家政婦に徹する以外に残された

 道はなかったのです。

 そして娘の母親であるということにも徹しようと覚悟しました。

 まるで砂漠のような家庭にも、涙を水の代わりに注げば、それでも

 咲く一輪のサボテンの花もあるのです。

 私はそのサボテンを咲かせることに、かろうじて生きる意味を

 見出したのです。

 あれから10数年がたち、今では娘の理子夫婦が村井医院をつぎ

 2人の孫にもめぐまれて、私は孫の守りに追われる毎日を送って

 おります。

 これが、ようやく私の勝ち取った余生なのです。



         完







Last updated 2006年06月25日 06時26分05秒
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