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2005年03月14日
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カテゴリ:未分類ネタ話
「ネット右翼論」をもうちょっと考察して見ます。以前、「なぜ普通に“右翼”と呼ばずに“ネット右翼”なのか?」と書きましたが、試しに“ネット右翼”と書かれた文章を“右翼”に変換して見ました。単に“ネット”を取ってみただけです。



ブログ時評]より

公論の場を貧しくするネット右翼の病理 

公論の場を貧しくする右翼の病理

ネット右翼的な思考回路は限界

右翼的な思考回路は限界


う~ん、もし新聞で青色文字なタイトルの記事を書いたらとても凄いことになりそう。いや、赤色文字の記事でも相当凄そうなので、団藤記者には一度所属自社の記事で書いて欲しいのですがどうでしょうか。雑誌『世界』の方でも良いので、挑戦してみて欲しいですね。


以前ここで、左側の言う“ネット右翼”の定義を勝手にこう定めてみました。

「現実社会で政治と関ろうとしなかったが、ネットで政治的主張(右翼的な言動)を行っている人」

団藤記者や小倉弁護士も「ネット右翼は現実社会の右翼とは別の存在なのではないか」と認識しておられるようなので、この定義は大体合っているのではないでしょうか。・・・するとやっぱり赤色文字の主張は無茶なんですよね。対象範囲があまりにも広すぎるのに病理とか限界とかはないでしょう。「コメントラッシュ」なるものも群集心理で説明が付いてしまいます。火事場見物の野次馬と大差が無い。だって・・・あれは「祭り」なんですから。

「ネット右翼が扇動している!」という主張に至っては単なる陰謀論、扇動している者が何者かも特定できていないのでは説得力が無い。「職業右翼がネットで大衆を扇動してネット右翼が増殖した」という主張にしても同じ事です。単純に「時代が変わって右が増えたor実は元から左は少なかった」という説明では不足なのでしょうか。数が多ければ自然発生的にコメントが集中することもある、と考えるのはそんなに不思議なことなのでしょうか。

「集団叩きはよくない」という主張は理解できます。しかし「その集団はネット右翼で~」と言い出すのは何故か。今の時代、ただ単に「右翼」とレッテルを貼っても効果が無いので、レッテル貼り用語が欲しかった・・・ただそれだけだとしたら、それにどんな意味が在るのでしょう。普通のインターネットユーザーらが使うならまだ理解できます。

しかし社会的責任のある立場の方々・・・弁護士である小倉さんや全国紙新聞記者である団藤さんのような有名人が、煽ってる人と一緒になって本気でレッテル貼りとして使っている有様は・・・見ていて情けなくなってくるのですが、どうでしょうか。

他の著名人で「プロ市民は~」「ホロン部は~」と真面目に語っている人は聞いた事がありません。



・・・以前の左翼思想が隆盛であった頃、「右翼」という単語はそれ自体が悪い意味を持っているレッテル貼り用語として機能してきました。しかし本来、左翼・右翼とは主張の傾向を示すものであってそれ自体に正邪の区別はありません。しかし当時はそういった時代でした。ところが時代は流れ冷戦は終結、ソビエトは崩壊し・・・小泉首相訪朝による北朝鮮拉致発覚で右翼思想が普通に認められるようになりました。拉致事件に関連して安倍幹事長が「一人の日本人の命もおろそかにしないのがタカ派と言うなら、私はタカ派で結構です」と言い放ちそれは喝采を浴び、今この時代において「右翼」はレッテル貼り用語としての意味を失いました。右=悪の図式は崩れ、「左の逆」というだけの意味になりました。

しかしそれは本来の在り方として正常なわけです。右も左も、傾向を示す言葉というだけですから。右=タカ・左=ハトというのも何かおかしい気もしますけど、右で反戦平和主義と言うのもあまり聞かないのでとりあえずはこれで。(一方で「左」で好戦的な人・国が数多くあったのも事実です)

この流れの変わり様は、私にとっても恩恵をもたらしました。・・・以前はミリタリーマニアというだけで右翼扱いされていたんですよね。でも共産主義者でミリタリーマニアな人も居るのに・・・と、ちょっと理不尽に感じていました。軍事評論家の中にも反米親共は普通に居ましたし、今も居ます。某有名アニメ作家は元左翼思想家でドイツ軍マニアだったりします。・・・そして今の状況ではどうなったかというと、「軍事的にそれは不可能」とレスしたら「お前は弱腰だ!」と罵られるという、面白い経験をしてきました。消印所沢氏の運営している[軍事板常見問題]に至っては「左翼的過ぎる」と叩かれ何度か抗議を受けています。しかし消印所沢氏の所には私も幾度か寄稿しているわけですから、私も左翼的過ぎるんでしょうか。

とはいえ右から批判されている、相手が右でも批判するからといって「俺は真ん中だ!」とは主張しないと以前から述べています。右翼と呼びたいなら呼べばいい。しかし正直、そういった区分自体に興味が無い。右も左も関係無く、軍事的に間違っている人は評価できない。すると夢想的な平和主義も現実を無視した主戦論も、私にとっては同じ物でしかないのです。

軍事を語る人=右翼、という短絡的な図式が消えました。国際政治がパワーポリティクスである以上、軍事的バランス・オブ・パワーを無視することは出来ません。これからは左翼側も軍事学を学ぶべきではないでしょうか。実際に左翼紙(インターネット新聞ですが)で軍事に対する知識を得ていく必要があると訴える記事があります。



「非武装中立論」の問題点 [2004/03/24 JANJAN]

非武装中立という理想を持つことが間違っているとは思わない。が、それを現実のものとしていくためには、軍事費の削減や外交政策の充実などリアルな観点からの提言と、世界のあらゆる国の軍事大国化にNOと言えるだけの精神的な強さが必要となる。そして、それらを一歩一歩進めていくには、軍事的な知識が不可欠だ。

これからは市民も、ニュートラルな視点で軍事というものを捉らえていく(「まず結論ありき」というものではない)学習会、言ってみれば「平和のための軍事学講座」といったものを行い、軍事に対する知識を得ていく必要があるのではないだろうか。


去年この記事を初めて見た時はかなり驚きました。時代が変わってきたんですね・・・





 Read Me やる気の無いサイトリング 時間ねぇー ニンニン





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Last updated  2005年03月14日 23時27分15秒
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