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カテゴリ:歴史・現代考察
20世紀は資本主義と共産主義の争いと言われました。
すくなくとも1945~1990まではそういう表現は正しいものだったでしょう。 そして1930年代のほんの一瞬、全体主義が現れ、そして次世代の運命を決める主義の争いに関与した・・・というのが通説かも知れません。 ただ、最近思うのは・・・全体主義はほんの一瞬現れただけの主義かということです。 全体主義の定義を、個人の権利を制約しても国家の利益、全体の利益を最優先する政治原理と仮定すると・・・この国家という定義を国王に当てはめると、人類史がもっとも長く付き合ってきた専制君主制に合致します。 事実、君主制の長い歴史の中では、君主の利益=国家の利益というのが一般的な考えだっただけに、全体主義とは形を変えた専制君主制なのかも知れません。 そんな視点から考えると、第二次世界大戦とは、ナチスドイツの起こした侵略占領という側面のほかに、民主主義に対する専制君主制という政治主義のリベンジという見方も出来るかも知れません。 そう考えると、「戦前日本の天皇制は、ファシズムとは一線を画した政治体系であり、英米が日本をドイツを同列視して民主主義の敵と目したのは誤っている」という主張は色あせます。 第二次世界大戦は、民主主義と専制君主制の最後の闘争だった可能性があります。 人類の歴史を振り返ると、最初は原始共産主義に喩えられる民主主義に近い政体をとり、その後に豊かな者が出現し君主制に近くなっていくというのが定説です。 はるか昔に発生した、専制君主制と民主主義の争いの最終闘争が、その政治体系を自己の力で変えるにはあまりに大きな力がいるため「戦争」という形で外部の力を使ったのかも知れません。(むろん、それを確信していた当事者たちはいなかったでしょうが) ここでポイントは、貧しい時期は民主主義で、豊かさが発生し一部の人間が持ち始めると君主制になり、その豊かさが溢れて全体にいきわたり始めると民主主義に戻るというサイクルです。 つまり環境によって、人類にとってベストな主義主張は変化するということ・・・ その好例として存在するのが20世紀末のアジアの各国で流行した「開発型独裁」という制度。 発展途上国では独裁型の国家の方が発展しやすく、発展の後に民主化に移行するというやり方です・・・韓国の朴軍事政権やマレーシアのマハティール政権なんかもその例の一種ではないでしょうか。 ただ、気になるのは、現在において民主主義がもっとも人々の幸せに合った政体であることは間違いなのですが、世界が全体的に貧しくなったりしたら、ひょっとすると君主制の方が正しい政体になるかも知れないということです。 あるいは、また世界が発展し、富が全世界に行き渡った後に現れる政体が君主制に近いものになるかも知れないということです・・・。 闘争はまだ終わってないのかも知れません。 最後にバーナード・ショウの言葉です。 ただし、バーナード・ショウはスターリンの演出した「社会主義は人類の楽園」という言葉に騙された人です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.04.28 20:34:28
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