2009/03/10(火)08:50
年金特別便
昨年母の年金特別便が来ていた。
先週催促のはがきが届いた。
一応母から聞いて分かる所まで調べて社会保険庁の四日市出張所へ出掛ける。
10時過ぎに順番のカードを取り約1時間半待ち。
母は沖縄出身の85歳。(大正12年屋我地島生まれ)
尋常高等小学校卒業(今の中学2年)後、東洋紡績富田工場に集団就職。
毎日織機を油まみれになって磨く仕事だったが、あるとき病気で寝ていたとき寮に来てくれた看護婦の白衣が素敵に思えたそうだ。
新聞の募集欄にあった飯田病院の看護婦養成所を猛勉強して受験、合格。
病院の宿舎に移る時に紡績工場の皆から餞別をもらったのを誇らしげに話してくれた。
ノート・えんぴつ1本づつだったそうだ。
病院では午後に先生から授業を受け、休日に宿舎を抜け出して映画を見に行ったが見つかるとビシャッと頭を張る先生が居たとのこと。
終戦後満州から復員してきた父と見合いし私と弟が生まれる。
結婚と同時に飯田病院は辞めたが生活が苦しく山本病院に勤める。
その後近くの川越診療所に転職し、定年時は川越南小学校の養護教員だった。
社会保険庁の職員も旧姓を入力したりして調べてくれたが年金記録も診療所以降しか残っていなかった。
飯田病院が年金制度に加入したのは昭和28年で母が辞めた後。
山本病院は個人病院で先生の死後もう病院は無い。
厚生年金には加入した記録は無いそうだ。
年金の記録はその人の人生・・・
だんだん
NHK朝ドラをいつも見ている。
主人公の祖母の初枝が入院した。
その時の状況が妻の場合と同じだった。(背中が痛くなり、黄疸が出て入院)
ドラマもやはりすい臓ガン。
医療技術の進歩は8年では無理なのか・・・。
のだめLesson127
KISSをもう読んだ人のネタバレがあった。
1日早いのだが。