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意外な戦史を語る~  カモメとウツボのメクルメク戦史対談

意外な戦史を語る~ カモメとウツボのメクルメク戦史対談

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2009.02.06
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カテゴリ:ルンガ沖夜戦
(カモメ)田中少将が冷遇された理由のひとつは、前述しましたが、ルンガ沖夜戦で旗艦が隊の中央に位置していたため、指揮官先頭の伝統にもとる行為だとされたからですね。

(ウツボ)ほかにも、攻撃をしかけた後に、すぐに退避行動に移ったことも問題にされた。そしてガダルカナル島作戦に消極的だったことも上層部の印象を悪くした。

(カモメ)田中少将については海軍の中でも賛否両論が噴出しました。終戦時、海軍兵学校教官だった外山三郎元海軍少佐は、その著書の中で「田中司令官の戦闘指揮はきわめて消極的で、その旗艦長波は、夜間の進撃に当たって単縦陣の中央に位置したばかりか、長波はまっさきに避退してしまうという失態を演じた。弱将の本性争われずというべきであろう」と批判的に述べています。

(ウツボ)一方、連合艦隊参謀で終戦を迎えた千早正隆元海軍中佐(海兵58・海大39)は「田中司令官がルンガ沖で優勢な敵部隊に奇襲されたときの彼の『突撃せよ』の処置は、これ以上なく適切であったといってよかった。もしも彼がこの命令を出さずに、混乱から逃れようとしたならば、混乱はさらに混乱を生み支離滅裂となったであろうことは想像に難くない」と賞賛している。

(カモメ)また佐々淳行氏は「ルンガ沖夜戦」(PHP文庫)の解説で、「もしかすると、功績をあげすぎた者に該当し、ルンガ沖夜戦の傑出した武功が、無能な海軍上層部の嫉妬を招いたためかも知れない」と述べていますね。

(ウツボ)うがった考えだが、それは無きにしも非ず、というところだろうね。田中少将は上司には受けがあまりよくなかったからね。上に媚びるという事もできない人だった。

(カモメ)ところが、この戦いで敗北を喫したアメリカでは、前にも述べましたが、田中少将の評価は非常に高いですね。

(ウツボ)そうなんだね。ピューリッツアー賞を受賞した著名な軍事評論家、ハドソン・ボールドウィンは、戦後の著書で「太平洋戦争を通して日本に二人の名将がいる。陸の牛島、海の田中」と激賞している。

(カモメ)さらにアメリカ海軍の公式戦史を編纂したサミュエル・E・モリソン博士も「不撓不屈の田中」と評するなど、賛辞を惜しんでいません。

(ウツボ)「ルンガ沖夜戦」(PHP文庫)の著者、半藤一利氏が田中元海軍中将を昭和35年春に訪ねた。そのとき、田中元中将は「僕は何もしなかったのだよ。ただ、突撃せよと命令を出しただけだ。あとは残らず部下の駆逐艦乗りの大活躍があったからだ」と話している。

(カモメ)これに対し、半藤氏は「しかし、断然優秀な敵艦隊から奇襲されたとき、その主将として『突撃せよ』の一言でしかなかったにせよ、その一言によって指揮官はみずからの責任を自分の手にしっかりと掴み取ったのではあるまいか」と述べています。

(ウツボ)田中元海軍中将は、半藤氏にルンガ沖夜戦の戦闘経過を畳の上に手の指で線を引きながら説明したという。「ここにわれわれの水雷戦隊がいた。8隻だ」と。

(カモメ)田中元海軍中将はさらに上の方に一本の線を引きました。「これがガダルカナルだ。われわれはここ、タサファロンガとセギロウへ12ノットで向かった。視界は7、8キロがやっとという暗い暗い海面だった」

(ウツボ)次に田中元海軍中将はごつごつした指で太い線をすぐ横に引いた。「ここにアメリカの重巡洋艦隊が~」。ここで田中元海軍中将は身をのり出した。

(カモメ)「もう少しでドラム缶の揚陸ができるときだった~。揚陸と戦闘と二兎を追ったわれわれの大間違いなのだが、それにしても冷や汗三斗の思いだったが、僕はそのとき言ったのです。ただ、突撃せよ、とね」

(ウツボ)そして田中元海軍中将は畳の上にすばやく、全速4ノットで敵中に突進する線を何本もくっきりと記した。敵艦隊の太い線はたちまちにずたずたに千切られていった。

(カモメ)「戦争なんてそんなもんです。われわれは幸運だったのだな。ただそれだけのものなのだよ」と田中元海軍中将はぽつりと言いました。

(ウツボ)著者の半藤氏が最後に、カメラを向け、笑ってくれと頼んでも、田中元海軍中将はついに口許をしめたままだった。そして、「晴耕雨読、のんびりとした生活を続けていると、突然昔の駆逐艦乗りの部下のことが思い出されてきて、みんな死んでしまったなあ、しかもいいやつが先に死んでしまう」と言った。

(カモメ)水雷の神様、田中頼三元海軍中将は昭和44年7月9日に死去しました。77歳でした。

(「ルンガ沖夜戦」は今回で終わりです。次回からは「陸軍大学校の光と陰」が始まります)






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最終更新日  2015.08.16 11:50:11


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