意外な戦史を語る~ カモメとウツボのメクルメク戦史対談

2015/07/13(月)17:43

413.海軍駐在武官(13)駐在員がアメリカに来て三度三度きちんと飯を食おうなどと思うのはもっての外 

駐在武官・海軍(20)

(カモメ)山本五十六大佐は、昭和三年八月巡洋艦「五十鈴」艦長に補されました。十二月空母「赤城」艦長。昭和四年十一月第一次ロンドン軍縮会議全権委員次席随員、海軍少将。昭和五年十二月航空本部技術部長。昭和八年十月第一航空戦隊司令官。 (ウツボ)昭和九年九月、山本五十六少将は、第二次ロンドン軍縮会議予備交渉海軍首席代表。十一月海軍中将に昇進。昭和十年十二月航空本部長。昭和十一年十二月海軍次官。昭和十四年八月第一艦隊司令官兼連合艦隊司令長官。昭和十五年十一月海軍大将。 (カモメ)昭和十六年十二月八日真珠湾攻撃、太平洋戦争開戦。昭和十八年四月十八日、山本五十六大将はブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)しました。享年五十九歳。元帥、正三位、功一級金鵄勲章、大勲位菊花大綬章。ドイツから剣付柏葉騎士鉄十字章授与。 (ウツボ)山本五十六大佐の武官時代の話に入ろう。山本大佐は、霞ヶ浦航空隊副長兼教頭として霞ヶ浦に一年余りいてから、大正四年十二月一日、米国大使館附駐在武官の発令を受けた。 (カモメ)「山本五十六・上巻」(阿川弘之・新潮社)によると、米国への出発は大正十五年一月二十一日でした。当日は、山本大佐の乗船した「天洋丸」が横浜を出帆すると、霞ヶ浦航空隊の隊員たちが山本大佐の転勤を惜しんで、編隊を組んで上空に飛来し、爆撃演習を行って元の副長に別れを告げたのです。 (ウツボ)山本大佐の米国駐在武官当時、同じく米国駐在の伊藤整一(いとう・せいいち)海軍少佐(福岡・海兵一五・海大二一恩賜・軍令部・米国駐在・中佐・海兵教官・大佐・満州国駐在武官・最上艦長・少将・人事局長・連合艦隊参謀長・軍令部次長・中将・第二艦隊司令長官・沖縄特攻で戦死・海軍大将・功一級)がいた。 (カモメ)伊藤少佐が山本大佐に駐在地について相談したら、山本大佐は「日本語を使う機会の最も少ないところを選べ。できれば大学の寄宿舎に入って、アメリカの学生と起居を共にすることを勧める」と言ったのですね。 (ウツボ)そうだね。その結果、伊藤少佐はニュー・ヘブンのエール大学に入ることになった。日本海軍の練習艦隊がニューヨークに寄港したときも、伊藤少佐は日本語を使いに出てくることを山本大佐から禁じられた。 (カモメ)また、山本大佐は「駐在員がアメリカに来て三度三度きちんと飯を食おうなどと思うのはもっての外の贅沢だ。できるだけ倹約して、その金でアメリカ各地を旅行して歩け」と伊藤少佐に言ったのです。 (ウツボ)当時の駐米大使は松平恒雄(まつだいら・つねお)大使(元会津藩主・松平容保の六男・東京帝国大学政治学科卒・外交官試験首席で外務省入省・ロンドン海軍軍縮会議主席全権・英国駐在大使・米国駐在大使・宮内大臣・戦後参議院議員・初代参議院議長・従一位・勲一等旭日大綬章)だった。 (カモメ)大正十五年十二月、大正天皇が崩御になり、英国留学中の秩父宮雍仁(ちちぶのみや・やすひと)親王(大正天皇の第二皇子・陸士三四・陸大四三・英国オックスフォード大学留学・松平恒雄の長女勢津子と結婚・陸軍少将・大勲位功三級)がアメリカ経由で帰国するとき、秩父宮を大使館に迎えました。 (ウツボ)当時、松平大使には二十歳前の節子という娘がいて、ワシントンで秩父宮と出会った。この松平節子が後の秩父宮妃の勢津子だね。 (カモメ)長岡出身の山本五十六大佐は、当時、会津の娘の松平節子に親しみを感じたのか、フレンドスクールに通っていた節子をごみごみした中華料理店に連れて行ってご馳走したりしました。 (ウツボ)ワシントンに着いた秩父宮は大使館滞在の予定を幾日か延ばされた。このとき、松平節子を見染められたと思われる。 (カモメ)この結婚には「朝敵の娘のくせに」とか、「平民の娘が」とか、ずいぶんそねみねたみの中傷があったと伝えられていますね。 (ウツボ)そうだね。それで、節子は一旦、叔父の松平保男子爵の籍に入り、これから三年後の昭和三年九月に秩父宮雍仁親王と正式に結婚した。 (カモメ)昭和三十六年に出版された「松平恒雄追想録」(東京PR通信社編・故松平恒雄氏追憶会)に、松平恒雄氏の未亡人・信子と岩崎小弥太氏の未亡人・孝子の対談が収められていて、その中に山本五十六の思い出が出てくる。 (ウツボ)信子のワシントン時代の思い出の要旨は次の通り。 (カモメ)松平駐米大使は煙草をのまないので、大使官邸の接待用の煙草には関心が無かったのです。一応「コロナコロナ」という葉巻の高級品が置いてあるのですが、しめってはいけないし乾燥しすぎてもいけない、手入れがなかなか難しいのですね。 (ウツボ)そうだね。それを気にして、「ここの家の人は煙草に無関心で見ちゃいられない。煙草はどうしてありますか?」と始終やってくるのが、葉巻好きの山本五十六大佐だった。

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