富山でもついにあった!!“裁判員裁判”
先日、ついに富山で初めての“裁判員裁判”が実施されました。傍聴したい人も多かったようで、凄い人は前夜から並んでいたみたいです 夕方のNHK富山のニュースでも三日間連日で経過と実情報告が入りました 判決も最終的に、検察側と弁護側の間をとったような感じでした。 裁判員をした方のインタビューもあり、皆さん「まあまあ自分の意見が取り入れられた」とか「判決文に自分の意見が盛り込まれていた」と満足そうに言っておられました。 裁判官も弁護士も検察官の方々も、本当にご苦労様と云ったところでしょうか 「人が人を裁く」というのは、ハッキリ言って並大抵の事じゃあありませんね。ましてや今までそんな経験のない一般人が、急に裁判員になって職責の一部を負うなんて・・・私は未だに諸でを上げて賛成できません頭から反対でもないけれど、途惑いや不安・迷いが心中を占めています。 人間は“感情の動物”だから、冷静になって事を見つめ判断するのは容易ではないでしょう。学問的に学び司法試験を通って、ある一定の年数の研修と実地経験を積んだプロの人間(判事・検事・弁護士)でも迷うときが多いと聞きました。それなのに、いきなりクジとか抽選で選ばれた平凡人が、果たしてできることなのでしょうかしていいのでしょうか 私も有権者ですから、いつ何時クジ運で“裁判員候補者”が回ってくるか解りません。断る明確な理由でもない限り、国民の義務として受けなければならないでしょう 生々しい犯行の実態を見聞きし、写真を見て説明を聞いて・・・何だか気分が悪くなって、頭が痛みそうです 最近の日本を見ていて凄く不安になるのは、小泉首相以来日常生活の中のあらゆる事が“アメリカナイズ”されているのではと思います。 今回の“裁判員制度”しかり“郵政民営化”しかり“年金制度”しかり“健康保険制度”し阿kり・・・どうもあの方は、ブッシュびいきのアメリカびいきだったようです 必ずしもアメリカの真似が、日本を幸せにすることにはならないことにもっと早く気づくべきでしたね 基地問題もそうです かつてアメリカに戦争で負けた事を、まだズルズルと引き摺っているのでしょうか アメリカの“御機嫌取り”ばかりしていないで、もっと日本の本来あるべき姿をしっかり見極めて、必要ならば勇気をもって“ノー(No,thank you)が言えるようになって欲しいデスね 人裁くのもクジ運次第 いつか来る 恨まないで!! 私は仮の裁判員 see you again