へそ曲がり
たまたま発見した小さな光る石が、皆が誉める有名な石だったと知らされたときの落胆を今、味わっている。 数日前、青木新門という作家の『納棺人日記』という文庫本をBook offの100円均一コーナーで見つけてパラパラめくっていると、のめり込んでしまって読み通してしまった。特に三島由紀夫と自殺と深沢七郎『楢山節考』のおりん婆さんの自裁を引き比べて、「生」と「死」の関係を考察したあたりが秀逸で、また宮沢賢治の永訣の詩の解釈も目から鱗で、文学論としても面白いと人にも勧めたりしていた。 ところが、最近アカデミー賞にノミネートされたと報道された「おくりびと」という映画があって、『納棺人日記』が原作であるような気がしている。HPを見てもハッキリしないが、納棺人と納棺師、・・・この発想はそう出てくるものではないだろう。自分が読んで面白いと人に勧めているような本が、映画になっていて、それがなにかの受賞候補になっていると、急に醒めてしまった。 もちろん映画など年に数本それもTVの録画で古い映画を録画して見る程度のわたしが、最新作など知り得ようもないが、それでも流行に乗ったようで甚だ居場所が悪いのだ。 自分だけの小さな寳は自分だけが美しさがわかっていればいいので、皆が皆、それを認めてしまうと、とたんに興味が失せてしまうのは、やはりへそ曲がりというものだろうか。どうも、小生のアイディンティティは、主流の中にはないようだ。 今頃になって、10年以上前の小林よしのりのゴーマニズム宣言を30冊以上購入した。(100円均一なので、なんとも済まないきもする)絵が書き込まれてあるので、なかなか頁が進まないが、タイ米と抱き合わせでしか日本米が買えないことがあったり、小沢一郎が自民党を割って新生党をつくるあたりの自民党の混乱や、皇室と部落差別の問題、表現の自由と自主規制の問題などが、漫画というメディアで実に生き生きと描かれているのには新鮮な思いがした。ちょうど今の社会の混乱とだぶることも多く、ということは、ちっとも結論や解決をみないまま10数年が過ぎたということだろうが、実に真摯に問題提起されているのにはびっくりする。 大学院に進んだ頃は、50年代から80年代の漫画を収集した時期もあったが、ちょうど90年代から00年代までの10年間ゴーマニズムが話題になっていた頃は、漫画から離れていた時期なので同時代では読んでいない。単行本/文庫本がごちゃ混ぜで買い込み、1巻から読み始めているが、ショックなのは老眼が来たらしく幻鐙舍の文庫本がついに見にくくなった。これが一番ショックかもしれない。