仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2005/12/28(水)07:07

私の「越路」の思い出

仙台(546)

仙台で越路(こえじ)といえば、今は市内から愛宕橋を渡ったところの町名ですが、元来は、そこから霊屋下に至る街道、つまり今でいう向山のバス通りを指したのだそうです。  昨夜、以前住んでいた宮城野区五輪のことを考えながら寝ましたら、今朝の夢で、向山のバス通りが浮かんで、昔を思い出していました。  越路は、古くは東街道と呼ばれた江戸と奥州を結ぶ街道筋として活用されたそうで、長町からこの向山バス通りを通って鹿落を経由して広瀬川を渡るというルートだったのだそうです。仙台開府の後に、清水小路などのルートが主流になったそうです。  また、八木山は八木久兵衛さんの山だったからですが、八木家の所有となる前は、八木山一帯は仙台藩士の共有財産で、「越路山」と呼ばれていたそうです。  あの辺一帯は、旧町名も「長町越路」ですね。昭和40年代の住居表示導入前に建てたと思われる家の表札に長町越路の住所を記した家を何軒か見かけました。  実は私、学生時代は向山三丁目に住んでいました。  その「越路」(向山バス通り)は、私の新聞配達ルートでもありました。  あの年の12月は例年になく寒い冬だったと記憶していますが、コートにくるまって電気コタツで寝て、朝4時に起きたら、向山高校下のアパートから、八木山入口の新聞販売店まで、暗い中、坂を走って下りるのです。K新聞のようにメジャーじゃない、M新聞なものですから、配達軒数の割には配達区域が広く、上は八木山香澄町の県警住宅から、下は霊屋・米ヶ袋まで、という具合です。6時過ぎに配達を一通り終えて、鹿落の坂をスパイクタイヤのバイクでグィーンと登ってくる頃には、東の空がほのかな紫に明けてきて、販売店から今度はトボトボ歩いてアパートへ。ゴソゴソと石油ストーブをつけて... 咳がなかなか抜けなくて辛い冬でした。1月2日(新聞休刊日)の朝はものすご~く安楽な気分に浸った記憶がある。  八木山入口の角のF酒店でよく酒やツマミを買い、また灯油も配達してもらいましたが、ある時、おばさんが「あんだもガンバらいよ」といって、梅干しの詰まった太いビンをくれました。朝起きたら、1粒口に入れて、しばらくは噛むのを我慢、坂を下ってちょうど酒店のあたり、販売店の直前で噛みつぶしたものでした。すっぱ~い。  ありがとう、おばさん。なぜか南高校の新任の先生だネと間違われていたけど。  酒や灯油代のツケも完済していたかな。ちょっと大げさかも知れないが、あの梅干しで頑張れたような気もする。  「越路」には本当にたくさんの思い出があります。 (編集部注:今回も『忘れかけの街・仙台』(河北新報出版センター)を一部に参考にしました。)

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