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2007.08.07
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カテゴリ:東北
東北を蔑視する言葉。河北新報の題号の由来でもある。旧盛岡藩出身の平民宰相原敬は、自らを「一山」と号した。私も小学校の先生に教えられた。東北を蔑む言葉だが、自らその表現を伝えるわが東北人には、中央中心の日本の見方に対する明確な外交意識を想起させる言葉でもある。

この蔑称はどのように生まれたのか。戊辰戦争で官軍が発したとも言われるが、実証されていない。今のところ『近事評論』の記事「白河以北一山百文」(1878年8月23日)を起源とみるのが最も信頼できる説だ。
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往来で日本地図を開き各地の土人形を並べて、「白河以北一山百文」と泣き叫ぶ売り子。聞けば、西南の人形は飛ぶように売れるが、東北地方はたたき売りでもしないと売れない。それが悲しくて泣いているという。そこで、こう諭した。治乱盛衰は天の道、今は人気がある西南もいつ廃れるかわからない。やがて東北の人形が大いに売れる日も来るだろう。すると、売り子は納得したと見え、泣くのをやめて、再び大声で叫んだ。「白河以北一山百文」と。
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ところで1897年創刊の河北新報は、実業家一力健治郎が経営難に陥った進歩党系の「東北日報」を引き継ぐに当たって、「白河以北一山百文」をもじって題号にした、ということになっている。しかし、陸羯南(7月23日の日記参照)が主筆であった新聞「日本」によれば、東京朝日新聞の村山龍平による東北日報の買収話に反発した仙台の進歩党員らが、金満家の一力に立て直しを依頼し、「こがね新聞」と改題することで引き続き進歩党系の機関誌にしようとした。その後名称は河北新報と変えられた。

ここで著者は、当時は必ずしも東北の自己認識が「白河以北一山百文」に収斂されていたわけではなく、むしろ「こがね(黄金)」なる可能性の連想を抱いていたことを指摘している。

■出典 河西英通『続・東北 異境と原境のあいだ』中央公論新社(中公新書1889)、2007年

この著書は、前著(7月23日の日記参照)東北の後進的な像はどのように生成されどう変わっていくのか、精神構造における「東北」を明らかにするため、徹底的に資料文献を博捜して明らかにする。ものすごい力作だ。





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最終更新日  2007.08.07 00:02:13
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