カテゴリ:東北
先日の記事(名称が七戸十和田駅に決定(7月29日))で、経緯に上十三広域市町村圏協議会が登場するが、この「上」「十」「三」とは何か。また、よく天気予報で聞く「三八上北」とは。そもそも、上北、下北とはどこで分かれているのか。一戸から九戸までの数字の地名、更には、南部地方とか、県外の者にはわかりにくい。上十三とは、津軽の十三湊と関係有るのかと思ったり、そもそも「三」とは三沢か三戸か三本木か、「八」は八戸だろうけど意外と八甲田なのか、などなど... いや、これは東北人としてマズいでしょう。
というわけで、青森県東部の地理を概説いたします。もう迷いはなし。結論だけ知りたい方は、3からご覧下さい。 ---------- 1 前史 関ヶ原で東軍についた津軽氏と南部氏はともに藩政を興隆させた。南部信直は、九戸城を福岡城と改めて居城とし、世子利直に不来方(盛岡)城を築かせ、中世以来の三戸から盛岡に本拠を移す。寛文4年(1664年)に南部重直の後継をまぐり藩論が分かれたが幕府は10万石のうち8万石を重信に、2万石を直房に分封して八戸藩を創設させる。 こうして、近世の青森県東部地域は、 八戸藩(八戸周辺)と、三戸郡(三戸通、五戸通)及び北郡(七戸通、野辺地通、田名部=たなぶ=通)を領地とする盛岡藩で構成された。 なお、北郡田名部通は、さらに代官所の置かれた田名部と、西通、東通、北通に細分。 この時、青森県全域を見渡すと、これに津軽郡(平賀庄、鼻和庄、田舎庄)を領地とする弘前藩を合わせた三藩体制である。なお、文化6年(1809年)には支藩黒石藩が誕生。 盛岡藩は、藩士新渡戸親子が奥入瀬川から取水して用水を引き(現在の稲生川)、不毛の原野三本木原の新田開発を行い、12町(1.3km)四方の町割り(現在の十和田市)を行った。 明治2年の版籍奉還により、現在の青森県域は、弘前藩、黒石藩、八戸藩、七戸藩(南部信隣が1819年大名に列す)、斗南藩(朝敵とされた会津藩が北郡、三戸郡、二戸郡の各一部を所領とされ立藩)の5藩体制となる。明治4年(1781年)廃藩置県では、弘前、黒石、八戸、七戸、斗南の5県が成立し、同年9月にはこの5県に館県(旧松前藩)を合併し、広大な新弘前県が誕生。まもなく青森県と改称し、県庁も青森に移転。その後、館県は開拓使に、二戸郡は岩手県に編入し、現在の県域が決まる。 (以上、青森県高等学校地方史研究会『青森県の歴史散歩』山川出版社、2007年を参考に) 2 郡の区分、広域行政区分などの状況 (1) 郡の区分は次のとおり。 ■三戸郡 明治22年の町村制で、2町31村。町は、八戸町と三戸町。明治期に五戸、大正に小中野、湊が、昭和に入り田子が、それぞれ町制。昭和4年、八戸町、小中町、湊町、鮫村が合併し八戸市。 昭和の大合併では、三戸町、五戸町、名川町などの5町5村に再編され、平成の合併を経て、5町1村。南部町、三戸町、五戸町、田子町、階上町、新郷村。 ■上北郡 藩政時代には、野辺地と七戸に南部藩の代官所。第七大区50村が、下北郡と分かれて上北郡となる。明治22年町村制で16村。明治期に、野辺地、七戸、三本木が町制。昭和に入り、百石が町制。昭和23年、大三沢町が発足。昭和30年に三本木町など3町村合併で三本木市が発足(後1村を編入)、同年に十和田村が十和田町に。その後、昭和30年代に、大三沢町が三沢市に昇格するほか、六戸、横浜、上北、東北の各町が誕生。昭和44年下田町。 平成の合併では、十和田湖町(昭和50年十和田町が改称)が十和田市と合併。また、東北町(上北町、東北町)、七戸町(天間林村、七戸町)、おいらせ町(下田町、百石町)が発足し、郡部は6町1村(野辺地町、七戸町、六戸町、横浜町、東北町、六ヶ所村、おいらせ町)。 ■下北郡 明治11年(1878年)の郡区町村編制法で北郡を二分して33村で発足。明治22年町村制で9村。明治期に唯一町制を敷く田名部が中心であった。平成の合併で3町がむつ市に編入し、郡部は現在は1町3村(大間町、東通村、風間浦村、佐井村)。 (2) 青森県庁では総合的な出先機関として07年度から「地域県民局」を設置しているが、東青(青森市など)、中南(弘前市など)、三八、西北(五所川原市など)、上北、下北の6つに分かれている。 ■三八地域県民局(エリア図) 所管区域は八戸市、三戸郡の全6町村(三戸、五戸、田子、南部、階上、新郷)に加えて、保健福祉関係事務では上北郡おいらせ町も所管。 ■上北地域県民局(管内イメージ) 所在地は十和田市。所管区域は十和田市、三沢市、上北郡(全7町村)。このうち上北郡おいらせ町は、保健福祉事務で所管となり、2つの県民局の管轄対象となる。2つの県民局のサイトいずれのエリア図にも、おいらせ町が出ている。 正確に言うと、(青森県地域県民局及び行政機関設置条例)の第2条では、三八地域は八戸市と三戸郡、上北地域は、2市と上北郡、ときれいに郡市別で所管を分けているのだが、保健福祉事務では、おいらせ町が三八地域局に移されている。他にも環境や水産関係など例外あり。 ■下北地域県民局 むつ市、下北郡。 (3)市町村のまとまり 事務処理を共同で行う広域行政の設定状況をみてみる。 ■八戸地域広域市町村圏事務組合 八戸市、三戸郡(全)、上北郡おいらせ町 ■上十三地域広域市町村圏協議会 十和田市、三沢市、野辺地町、七戸町、六戸町、横浜町、東北町、六ケ所村。上北郡のうちおいらせ町が外れる。事務所は十和田市役所。 これはあくまで協議会であり、いわばエリアの大枠。消防、衛生などの共同事務処理はそれぞれ個別に複数自治体で共同処理されているようだ。 ■下北地域行政事務組合 なお、消防の広域化計画が進行しているが、県内6圏域の体制を計画しており、県東部では上記の3圏域を想定している。すなわち、八戸地域と下北は現行の広域事務組合。上十三地域は、十和田地域広域事務組合、三沢市、北部上北広域事務組合(平内町を除く)、中部上北広域事業組合の1市3組合の消防事務を統合する。 このように、市町村レベルで見た広域行政としては、おいらせ町が八戸地域に入るようだ。また、上北郡の北部では消防は野辺地町に隣接する平内町とも共同しているようだ。 (4)警察(県条例による) 八戸警察署 八戸市、三戸郡階上町 三戸警察署 三戸町、田子町、南部町 五戸警察署 五戸町、新郷村 野辺地警察署 野辺地町、横浜町、東北町(一部)、六ケ所村 十和田警察署 十和田市、六戸町(一部) 七戸警察署 七戸町、東北町(一部) 三沢警察署 三沢市、おいらせ町、六戸町(一部)、東北町(一部) 大間警察署 大間町、佐井村、風間浦村 むつ警察署 むつ市、東通村 以上の通りでやや複雑だが、上記のように郡単位に3グループに分類すれば、郡界をまたぐ所管区域設定はない。つまり、上北郡おいらせ町が八戸グループに入るようなことはない。 (5)保健所 保健所の所管区域は(上記条例)、下記の通り、郡境界パターンではなくて、おいらせ町が八戸グループに属するパターン。 ■八戸保健所 八戸市、三戸郡、おいらせ町 ■上十三保健所(十和田市) 十和田市、三沢市、上北郡(おいらせ町除く) ■むつ保健所 むつ市、下北郡 (6)気象区分 おなじみの呼び方。青森地方気象台の天気予報発表区域によると、まず全県を津軽、三八上北、下北に三分し、さらに津軽は4つに、三八上北は、三八と上北に細分される。 ■三八 八戸市+三戸郡全6町村に、三沢市、六戸町、おいらせ町が上北郡グループから加わる。 ■上北 十和田市と5町村。 ■下北 むつ市と下北郡全4町村。 「三八」には三沢まで含まれている。気象の共通性からこうなるのだろうが、上北は十和田湖や八甲田から太平洋岸の六ヶ所村までひょろ長い地域となっている。 3 広域エリアを指し示す名称 (1)三八上北 さんぱちかみきた。東北の人なら、NHKの広域の天気予報で耳に入っている。 一般に、三八とは上記2(2)の三八地域県民局のように、三戸郡と八戸市を指している。 もっとも気象上の地域区分では、三八に三沢市なども含まれる(上記2(6))が、いずれにしても、「三」は三沢市ではない。 (2)南部地方 三八上北地方、つまり県民局で言うと三八地域と上北地域の管轄となるエリアをまとめて呼ぶ言い方。南部藩が治めていたことに由来するが、下北は地理的にも離れ風土も異なるので、含めないようだ。 (3)上十三 かみとうさん or かみとさん と読むようだ。上北(郡)、十和田(市)、三沢(市)の郡市名をつないだもの。県外人には、有名な「三八(上北)地方」の「三」を示す三戸郡と混同してしまいがちだ。 郡の成り立ちや地勢事情から、七戸町が中心であっただろうが、圏域の南部に形成された十和田市、三沢市に人口や産業が集積し、そもそも郡域が非常に広いことから、産業経済面でも、人心の面でも一体性が薄いものと推察する。 そこで、圏域全体を指し示す言葉として、「上十三」が考出されたのだろう。もともと郡名の「上北」地域で良さそうなものだが、両市に配慮する辺りに、広範で考え方も異なるだろうこの圏域の一体性を何とか保持していこうとする気概だろうか。 (上十三医師会のサイトの沿革が参考になりました。)。 広域行政組織、保健所のほか、医師会や法人会などの地域の連合体などに使われるようだ。 4 余話 ところで、津軽地方でも、西北五、中弘南黒、東青などの呼び方が定着しているようだ。津軽地方は、もともと東西南北を冠した四つの郡だったが、新興の都市名の頭文字を付けることで、中心都市をハッキリさせる命名法が定着しているようだ。 西北五(西津軽郡、北津軽郡、五所川原市) 中弘南黒(中津軽郡、弘前市、南津軽郡、黒石市) 東青(東津軽郡、青森市) 津軽だけなら弘前を中心に方位だけで良いとしても、県東部には上北や下北なる地名もあるので、絶対地点を表示することにしているだろうか。「上十三」や、「三八」も同様で、まず郡名、そして郡から独立した都市名、を連記する表現が確立しているようだ。それに、上記3で、「上十三」について書いたように、地域の一体性を保とうとする高度の知恵なのかも知れない。 そう言えば、引っ越しや観光バス(宮城県人がよくミヤコーと間違える)の「三八五」がある。小さいとき、国道4号を走るトラックを見て、サンパチゴー貨物だよ、と言って父親にミヤゴと読むのだと教えられた。これは、三戸、八戸、五戸から取った名前だという。 上北、下北に、東西南北中の各津軽郡。南部町や東北町などの存在も、考えてみれば不思議である。それに、n戸の地名に、五所川原や十三湖など、数字も豊富。方角、上下、数字、そして色(黒と青)、など抽象的幾何学的な楽しいコンビネーション地名なら、青森県が絶対に世界一だろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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