カテゴリ:仙台
安永3年(1774)の「風土記御用書出」の田子村の部に、宮城郡陸方田子村の村名の由来がある。
これによると、往古は海辺で多湖の浦と称した。読人しらずの古歌として紹介されているものがある。 あまた度君か(が)こゝろをみちのくの多湖のうらしま恨てそ(ぞ)ふる またもとは池や湖が多く「多湖」で、文治5年頼朝が平泉攻略に来た折、多湖明神に詣でて西方を望んだところ、多湖の満々と水を湛えている様子を見て、駿河の田子の浦に似ていたところから、多湖を田子と改称したという。 仙台藩士佐藤信要の「封内名蹟志」には多湖浦島と記され、よく芋を産す、味美にして名物と伝えている。なお、よみ人知らずの古歌の下の句が異なっている。 あまたたび君か心をみちのくのた湖の浦島うち見てぞゆく 村の鎮守の多湖明神社は明治6年に二木神社と改称し村社となった。 田子は現在七北田川沿いは住宅地となり、西側は広い田園地帯。往古の多湖の浦を偲ぶことは難しい。 ■参考 木村孝文『宮城野の散歩手帖 榴岡から蒲生までの史跡を訪ねて』宝文堂、1999年 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2012年11月08日の「多湖の浦と田子」の項で明治6年に「多湖明神社」から「二木神社」に改称された旨の記事を拝見しました。できれば、その基となる史料を教えていただければ幸いです。
(2017.04.16 08:48:55)
KOUさんコメント感謝いたします。最近事情があってブログを開いておらず申し訳ありませんでした。
明治初年の社格を定めた際(一村一社)のことと思うのですが、史料については調べないとわからないです。 こんど図書館などに行った際に確認したいと思います。 ありがとうございました。 (2017.05.04 20:02:47) |
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