仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2024/06/03(月)23:18

利府線(山線)の跡を訪ねて(その4)

宮城(619)

前回に続いて、利府線の跡の探訪記。旧線ルートは森郷児童遊園を抜けて小川の橋梁を渡り、生活道路となっていて北東に伸びていく。両側にはまばらに住宅があり、猫たちが朝の日光浴。しばらく進んでいくと、ルートはそのまま町道をクロスする。 (写真1)利府方から松島方(北東方向)を望む 町道を横断したその先も明確にルート跡はわかるのだが、進んでいくと、三陸道(仙台松島道路)の利府中ICのために、ルートは消失する。探訪者は、三陸道高架をくぐって、ICを回り込むように歩いていかねばならない。写真2にみえる高架道路の奥(反対側)に利府中ICがある。 (写真2)利府方から松島方(北東方向)を望む 利府中ICを過ぎて進むと、旧路盤跡の築堤された道が現れてくる。 (写真3)仙台松島道路の西側道から北方向を向いて撮影。右手が仙台松島道路で奥は石巻方面。画の中央から左に向かって築堤の道がみえる。 カッコウの声を聞きながら気持ちよく道を歩いていくと、左右の田畑がだんだん低くなっていく。鉄道建設の際に高低差を避けるための築堤だったのだろう。たまに車が通ってきた。 (写真4) そして、少し進んだところで築堤の下に降りてみると、レンガ造りの隧道があり、集落利用の道が潜り抜ける。写真5の右の方向に、舗装道路は堤の上に駆け上がっていく。 (写真5)築堤(旧線路)を降りた西側から撮ったもの(画の右が利府方、左が松島方)。 (写真6)築堤の東側から。 この隧道は、人や車が通れるが、その下が河道になっている二重構造のようだ。写真7の標柱で、藤田川の上端を示すらしいが、偶然にも同様の標柱が利府線跡ルートの橋脚跡(今回シリーズその2で写真があります)の脇にもあった。あちらの場合は、藤田川が橋の架かる勿来川に合流しており、藤田川の下端を示すものだろう。 (写真7) 下の画が、今回の探訪のマップと写真撮影ポイントです。なお、撮影ポイントは、赤矢印の先端が撮影した地点であり、撮影の方向を示すものではありません。撮影方角は文中に記しています。 ■シリーズの一覧 ・利府線(山線)の跡を訪ねて(その1)(2024年05月08日) ・利府線(山線)の跡を訪ねて(その2)(2024年05月10日) ・利府線(山線)の跡を訪ねて(その3)(2024年05月10日) ・今回 利府線(山線)の跡を訪ねて(その4)(2024年05月11日) ・利府線(山線)の跡を訪ねて(その5)(2024年05月12日)  利府線(山線)の跡を訪ねて(その6)(2024年05月15日) ・利府線(山線)の跡を訪ねて(その7)(2024年05月17日) ・利府線(山線)の跡を訪ねて(その8)旧赤沼信号場(2024年05月18日) ・利府線(山線)の跡を訪ねて(その9)用地界標(2024年05月26日) ・東北本線旧線(山線)の跡を訪ねて(その10)松島町桜渡戸、初原(2024年06月01日) ・東北本線旧線(山線)の跡を訪ねて(その11)松島町初原、旧松島駅(2024年06月02日) ・東北本線旧線(山線)の跡を訪ねて(その12)愛宕駅、高城川架橋(2024年06月03日) ■関連する過去の記事(東北本線のルートについて。なお記事リスト鉄道敷設史をご覧ください)  仙台以北の東北本線・仙石線ルートと「松島電車」(2016年2月11日)  宮城県北部の東北本線ルート(何度目でしょうか)(2012年1月1日)  やっぱり当初は角田か 東北本線ルート(2011年9月15日)  東北本線ルート 白石か角田か(2011年9月5日)  宮城県北の東北本線ルート(再び)(2011年8月24日)  宮城県北の東北本線ルート(2011年8月20日)  塩竈市内の仙石線と塩釜線の歴史(10年5月11日)  大河原の尾形安平 東北本線実現に尽力(07年1月5日)  宮城県内の東北本線のルートの話(05年11月27日)

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