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2007/02/09(金)00:06

いのちのメッセージ

母として 継母として(32)

昨夜、まったく唐突に、 喪ってしまった子どものことを思い返しました。 いえ。 正確には『胎児』です。 戌の日のお祝いをした1週間後の検診で、心音が聞こえないと宣告されました。 初めての妊娠、しかも、不妊治療してようやく授かった最初の子でした。 時々、胎動も感じられるようになり、 日増しに存在感が増してきた…その矢先のことでした。 即座に入院『処置』を厳命され、 でも、医師の言葉を信じる事もできず、 エコーが壊れてるのでは、とか、 そんなはずはない、などという思いがぐるぐる渦巻いていたのを覚えています。 『処置』というのは、堕胎のことです。 週数からみて、陣痛促進剤を使っての出産になるとのことでした。 幸せそうな妊婦さんがたくさんいらっしゃる外来で、 子どものように声をあげて泣きました。 家族に連絡しようにも、ショックのあまり話ができなくて、 看護師さんに受話器を押し付け、説明をお願いしました。 助産婦さんが一人傍にいてくれるだけのさびしいお産でした。 痛みは変わらないのに、その痛みに耐えたのに、 産まれてきたいのちはすでに終わっていたのです。 辛さが増すだけだから…という助産婦さんの配慮で、 産まれてきた子を抱きしめることも叶いませんでした。 このままもう少し待っていたら、何かの間違いだとわかるかもしれないと、 最後まで抵抗していた私を宥めるかのように、 遺体を引き取った家族が「色が変わっていたよ」と知らせてくれました。 入院中の簡単な法要、納骨。 最後の別れにも立ち会うことは出来ませんでした。 退院後、母乳を止める薬を頂いたけれども、 吸ってくれる子のいない母乳が服に染み出すのを見ては、寂しさに泣きました。 抱きたかったという思いは今も残っています。 でも、その姿を目にすることが叶わなかったからこそ、 この子は私の中で今も生き続け、成長しています。 次に授かったいのちには、 生まれてきてくれればいい、 と、それだけを願いました。 出産の際、子どもの心拍数が急激に落ち、いのちが危ぶまれたときも、 生きてさえいてくれればいい と、それだけを願いました。 この体験から、『いのち』に感謝することを教えられました。 あたりまえに生まれてきたいのちはひとつも無いのだと、 亡くなった子はいのちを以て教えてくれました。 今、我が家で眠る子どもたちもまた、 数多くの偶然の果てにめぐり合った『いのち』なのです。 生きてさえいてくれればいい。 その願いは今も生き続けています。 いえ。 もしかしたら、その願いを叶えてくれたのは、 喪ったあの子かもしれないのです。 しょうがいがあろうがなかろうが、 今、目の前にあるいのちに最善を尽くすこと。 それこそが、 いのちを張って、大切なことを教えてくれたあの子が、 語りかけてくれるメッセージなのかもしれません。

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